雫の葬儀は簡素だった。
葬祭ホールに並べられた椅子は全部で12個だけ。そこに座っているのは、雫の母親を除けば、壮馬とその家族。つまり父、母、姉の計五人だけだった。
泣いているのは壮馬と姉の澄香だけだった。
看護師の仲村さんは通夜には来たが、葬式はどうしても仕事で来られなかったらしい。
遺影の中の雫は微笑んでいた。
それは絵画展を開いた時、壮馬と並んで美術館で撮った写真だった。
その顔が思い出の中の雫と重なった。雪のように白くて、花のように笑う、大人しい子だった。そして心は春の日差しのように暖かくて、とても優しい子だった。
雫が病気にならず、元気で暮らしていたのなら、毎日あの笑顔で周りの人を幸せにしていただろうか。沢山の人に囲まれて、幸せに暮らしていたのだろうか。
それはもう何度も、何度も壮馬が頭の中で反芻し続けた考えだった。
壮馬は歯を食いしばった。湧いてくる感情は悔しさばかりだった。
もっと一緒に居てあげたら良かった。
もっと一緒に笑っていたかった。
もっと一緒に絵を描けたら良かった。
もっと真剣に、雫の愛と向き合えば良かった。
もっと彼女のわがままを聞いてあげたかった。
もっと彼女の気持ちに、寄り添ってあげたった。
ずっと彼女と、ずっと二人の人生を歩みたかった。
しかし、思考は一つの思いに帰結する。
「もうどんなに後悔しても雫は戻ってこない」
そして、この思いに飛ぶ。
「これから、一人だけの人生をどうすれば良いのだろうか」
雫は壮馬にとって人生そのものだった。雫が死病に侵されていることは、頭では分かっていた。でも、彼女の居ない人生は、考えたことも無かった。
いつの間にか壮馬の人生は雫のためのものになっていた。壮馬が何よりもそれを望んでいた。
しかし雫が居なくなった今、壮馬は生きる指針を根こそぎ失った。壮馬の足は底のない谷に宙ぶらりんになったような気持ちだった。
再び東方芸大を目指すか? と一瞬考えたが即座に否定した。そもそも、壮馬が美大を受験しようとしているのもーー、根本的には絵を描いていることさえ、雫のためだった。雫が居なくなった今、壮馬は絵を描く理由を失っていたに等しかった。
眼の前に広がる無限の暗闇の前に立ち尽くしているようだった。
葬式中、僧侶の念仏も耳に入ってこなかった。
ただただ涙が止まらなかった。
壮馬はそれを拭おうともしなかった。
隣から手が伸びてきた。父親の手が、優しく壮馬の頭を抱き寄せ、何を言うでもなく、優しく頭を撫でた。暖かい、ごつい手だった。今日久しぶりに、父の手が、大きく感じた。
壮馬の濡れた頬を、姉の澄香が拭ってくれた。
涙は止まらなかった。
「加藤……壮馬くん」
葬儀が終わり、火葬場に移動しようと駐車場に移動した時だった。振り返ると雫の母親が立っていた。泣いていた様子は無かったが、流石に顔は暗かった。目元には深いくまが隠しきれていない。
「これ、雫からあなたに渡すよう頼まれてたの。あの子が死んだ時にね」
渡されたのはタイプAのUSBメモリだった。壮馬はわけが分からず彼女の顔を見返す。
「もう一つ、大きめの荷物も預かっていたんだけれど、そっちははあなたの自宅宛てに郵送したわ。今週中に届くと思う」
壮馬は混乱した。彼女と雫の仲は決して良いとは言えなかった。それでも雫は何故、母親を介して壮馬に荷物を届けようとしたのだろう。
「中身は何か分かりますか?」
「さあ、私には何が入っているか教えてくれなかったから」
雫の母親は、自嘲するように笑った。壮馬が彼女の笑顔を見たのはそれが初めてだった。そして、その表情を急に湿らせた。
「私は最後まで、あの子の母親にはなれなかったから」
結局、火葬場に赴いたのは壮馬と雫の母親だけだった。壮馬の父親は無理に仕事を抜けてきたため、一刻も早く戻らねばならず、母も姉も、似たような事情で帰って行った。
火葬場では何の会話も無かった。ただUSBの中身だけが気になっていた。


