昼休憩中だった。
「え、お前あの塾辞めるのか?」
机を付けて弁当を食べていた青山が、驚いた声を上げた。壮馬は既に弁当を食べ終わっていて、机の上は片付いていた。
「ああ、もう決めたんだ。塾を辞めるだけじゃなくて、美大に行くのも辞める」
「そっかあ、いや、俺としてはまたお前と遊ぶ時間が増えて嬉しいんだけどさ、あんなに頑張ってたのに、辞めちゃうのって何かもったいなくね?」
青山も自分の弁当箱に蓋をして、片付け始めた。
「うん。でも絵描きになるって言っても、美大に行くことだけが全てじゃ無いからな。他の道もあるし、何より……」
「辞めるの?」
振り向くと、美咲が立っていた。その目が驚きに見開かれていた。
「水瀬さんとの約束を、その、諦めるってこと」
その言葉は壮馬の腹にずしんと重くのしかかった。普段から葉に衣着せぬ物言いの美咲の言葉が、壮馬に気を使っている言い回しになっていることに気づいた。
約束。壮馬がこれまで雫と一緒に居て、最も大切にしていたことだった。それまで約束を守らない適当人間だった壮馬が、雫との約束にだけは真剣に取り組んできた。それは雫のためだった。全て雫のためだった。
彼女が笑ってくれるなら、喜んでくれるなら、壮馬は何だって出来る気がした。何だって、するつもりだった。
それが壮馬の行動原理だったからこそ、受験を諦めることも雫のため。その確信を持っての行動だった。雫の病状は先行きは不透明だった。そもそも、彼女は20才を超えるまで生きられないかもしれない病を患っているのだ。一緒にいる時間を最大化することに、最も注力するべきだと思った。
そう思っていた。それが壮馬の出した結論だった。
それなのに、たった一言美咲から言われただけで、壮馬の心はざわついた。今、何か取り返しのつかないことをやってしまっているような気がした。
「それが雫のためだと、俺は思ったんだ」
壮馬は、青山の方を向いたまま言った。美咲はしばらく黙っていた。教室内の喧騒だけが響いていた。青山は様子を伺うように、壮馬と美咲の顔を交互に見ていた。
「それなら、私からは何も言えない。でも、結論を出すのって、もっと後でも良いんじゃない」
「もう十分考えて出した結論だよ」
それ以降、美咲は何も言わず、自分の席に帰って行った。壮馬は俯いていた。
「えーっと、あ、お笑いの動画でも見る?」
青山が自分のスマホ画面を壮馬に見せようとしたときだった。壮馬のスマートフォンが振動した。
「電話来た」
「おかんじゃねえの?」
壮馬は何気なく自分のスマホ画面を見た瞬間、弾かれたように立ち上がった。
勢い良く椅子が後ろに倒れ、けたたましい音を立てた。
クラス中の注目が集まっている時既に、壮馬は教室の外に駆け出していた。
「もしもし」
壮馬は廊下を走りながら声を出した。
「加藤壮馬さんの携帯電話でお間違いないですか?」
画面には 病院と表示されていた。


