従業員を雇い始めてから三ヶ月が経過した。もう、転移魔法は怖くない。

 熾しても熾しても足りない火は倍の火力をカーネスが出してくれるし、汲んでも汲んでも終わらない水汲みはシェリーシャさんがパッと水を出してくれるし、切っても切っても終わらない野菜の下処理はギルダが一瞬にして終わらせる。

 憎かったこの世から消してしまいたかった転移魔法も今は恐ろしくない。だって従業員がいるんだもの。だから行列なんて関係ない。一瞬で捌くことが出来る。

 そう、思っていた。

 麗らかな午後、炒め物に味をつけていると、後ろからギルダがやってくる。

「私の女神、あの男のことなんだが」

 臭みの強い食材も、じっくり漬けてから焼くと、劇的に味が変わったりする。
 けれど。
 半月で、ここまで人間が豹変するなんてことは、本当にあるのだろうか。

「女神じゃないです。店長です」
「貴女が店の主なわけがないだろう」

 屈託のない瞳で全否定され、脱力する。

 ギルダを雇って半月。彼女は完全に化け物に変わった。

『化け物のような私を受け入れてくれた。人間の優しさとは思えない。どうしてか考え、気付いたんだ。貴女は女神様、なのだろう?』

 なんて結論を出し、違うと否定してもそれからずっと私を女神設定のままごとに巻き込んでくる。迷惑極まりないが、「私は人間です」と言えば、カーネスが「そうです、店長は人間なので催淫魔法も効くし媚薬も効くし身体で堕ちる可能性もあるし分からせられたりすることもあるので守らなきゃいけないんですよ」と最悪な援護射撃が飛んでくるし、シェリーシャさんは「人間じゃなくなれば、死ななくなるわね」と意味深に笑う。

 さらに常連客たちは「精霊王に頼んで精霊にすれば長寿になる」だったり、「龍神に仇をなし呪いを受ければ、その呪いを解くまで死ねなくなる。それを利用すれば」なんて道徳皆無の効率馬鹿助言お披露目会をしては盛り上がる。最悪でしかない。


「それで、あの男の話に戻すが、炎の少年は、女神を何度も見た人間は女神に襲い掛かると言う。神に背く者は死をもって償うべきだ」
「うん、襲い掛からないから大丈夫だよ。あと女神じゃないです」

 思えばカーネスもシェリーシャさんも「最初とはだいぶ性格違くない?」みたいな、変化があった。

 カーネスは痛い根暗から痛くて明るい変態に、シェリーシャさんも陰鬱とした痛い感じからほんわか妖艶お姉さん兼倫理観皆無幼女に変わった。

 そしてギルダは、このありさま。

 私はそばにいたカーネスを睨む。

「おい、そこの火力係」
「どうしました? 籍入れます?」
「今度病院行こうか」
「はは、嬉しいなあ。女の子と男の子、どっちでしょうね」

 駄目だ。頭おかしい奴の思考回路どうにかなってるわ。相手にしない、というのが最大の自己防衛だった。

「ギルダに変なこと教えただろ」
「何がですか」
「私を二回見たら襲い掛かるとか何か言っただろ」
「あー、言いましたねえ」

 悪びれもせずに認めるカーネスを小突くと、カーネスは半笑いで話を続けた。

「だって、来店注文退店以外で店長を何度も見るって、むしろ邪念と好意しかないですよね? 犯罪じゃないですか? 俺はそこの哀れな騎士様に社会を教えたまでですよ」

 なんだろう、カーネスの学んだ司法って、私が学んだ司法とだいぶ違うのかな。

「それに、あの騎士様が女神だのなんだの言いだしたのは俺が干渉する前です。つまり、あれがあいつの性癖ってことです。汚してはならない存在を汚したい、それも自分より上位で清廉な存在を快楽でぐちゃぐちゃにして堕としたい、正しさに囚われていたからこそ、背徳感に惹かれるわけです。気持ちは分からなくもないですが、俺はあくまで両想い、もしくは両片思いあってのものなので、俺の騎士道とは違います。目を見て分かります。あいつは、思い余る」
「その極端物騒発言本当に直さないとその口に芋詰めるからね」
「店長の口移しなら歓迎です」

 頭が痛い。カーネスを放置して料理にまた取り掛かろうとすると、シェリーシャちゃんが嬉々として客を凍らせようとしているのが視界に入った。

 その後ろではギルダがいる。

「すみませんお客様! うちの従業員が大変な失礼を!」

 全力の低姿勢で凍りかけているお客様に近付いていく。すると「うちの」と言ったところでシェリーシャさんとギルダは口元に笑みを浮かべた。

 何だろう、私には威厳が無いのだろうか。店長なのに。後で従業員たちには、威厳を見せなければ。どうやって見せていいかいまいちわからないけど。

 いや、今はこんなこと考えている場合じゃない。

 私はお客様に誠心誠意頭を下げながら、どう許してもらおうか考えた。