▶︎▶︎
一週間後。
鷲爪と飯豊は再び風祀家を訪れていた。
「それでは正式にお話を進めていただけるということですか?」
鶴司が安堵したような声で言う。
「ええ。最強の聖女との縁談、我が穂邑家にとってもありがたいお話だ。ぜひ進めさせていただきたい」
鷲爪の言葉に鶴司もシギ乃もホッと胸を撫で下ろす。
翡翠だけが穢らわしいものを見るかのような目で鷲爪の傷を見ていた。
「鶴司殿。つかぬことをお聞きしますが」
「は、はい。何でしょう」
「この家には翡翠さん以外にもう一人、娘さんがいるのではないですか?」
鶴司の眉が一瞬ピクリと動き、明らかな動揺を見せた。
「い、いえ、我が家の娘は翡翠一人で――」
「鶴司殿」
鷲爪の冷たさのわかる声色に、和室の空気がピリッと凍りつく。
「穂邑の目を誤魔化せるとお思いですか?」
あれから飯豊は風祀の事を徹底的に調べ上げ、鷲爪に報告していた。
予想通り『雲雀』という名前の娘がいること、雲雀は翡翠の双子の姉であること、二人は三歳の時に風祀に引き取られたこと、雲雀は無能と言われていること、風祀の商売がうまく行っていないこと――そして、雲雀と烏頭目という男が婚約していることまでも。
「雲雀さんにご挨拶させていただけませんか?」
「い、いやしかし雲雀はもう嫁に行く身でして、もうこの家とは――」
「まだ嫁がれているわけではないでしょう? 私にとっても家族になる方だ。ぜひ顔合わせを」
丁寧ではあっても威圧感を纏った鷲爪の言葉に鶴司は従うしかなかった。
「失礼致します」
消え入りそうな声と共に、雲雀が姿を現した。
「失礼ながら、雲雀さんは随分と簡素なお召し物なのですね」
部屋の隅に座した雲雀を見て鷲爪はそう言うと、鶴司たち三人の方を見た。
「雲雀には花嫁修行をさせているんですの」
シギ乃が「おほほ」と笑う。
「穂邑様には隠し立てできないと思いますので申しますが、雲雀は何もできない無能の娘なのです」
シギ乃は鷲爪が忌み血を知っていて尚、翡翠との縁談を進めようとしている事を察していた。
「ですから他所様で恥をかかないよう、この家で庶民の家仕事を叩き込んでいるんですの」
「無能……」
鷲爪の視線が雲雀に向かう。
「も! 申し訳ありません!」
鷲爪と目が合った雲雀は土下座でもするかのように平伏した。
「せ、先日は急な事でしたので、つい使用人だと申し――」
「どういうこと? 雲雀、穂邑様に会ったの!?」
翡翠が雲雀を睨みつける。
「……ごめんなさい」
「穂邑様に何かご無礼があったんじゃないの!?」
「偶然お会いして、私が無理やり怪我の手当てをお願いしてしまっただけです」
鬼のような形相の翡翠に鷲爪が言う。
(傷の手当ては本当だけれど、無理やりだなんて!)
困惑する雲雀に鷲爪は〝いいから〟と目配せをする。
翡翠はそれでも苛立ちを隠さない。
「雲雀はもう他所へお嫁に行く身です。風祀には関係のない人間だわ」
「あ、わ、私、仕事が残っておりますので」
翡翠が暗に退室を促しているのを感じ取って、雲雀は立ち上がるとまた頭を下げて出て行こうとした。
「あなたは――」
鷲爪は座ったままその背中に声をかけた。雲雀が振り返る。
「あなたは無能などではないはずだ」
「え……?」
まっすぐ自分を見据える鷲爪と目が合い、雲雀の心臓がトクンと跳ねる。
「現に、私の開いた傷口はすぐに塞がった」
「そ、それは……異国の植物の」
「いや、あなたの力だ。もっとご自身の能力に自信を持ってはいかがですか?」
―― 『もっと自信を持って。君の力はそんなものではないはずだから』
その深い瞳が、またあの日の少年と重なった。
「し、失礼します」
雲雀は深々と頭を下げて部屋を後にした。
彼女の心臓はトクントクンと今までにないくらい大きな音を耳に響かせる。
その夜、雲雀は翡翠から酷い折檻を受けた。
鷲爪との密会を咎められたのだ。
「なぜ勝手に会ったのよ! 無能のくせに!」
「わざとではありま……ゴフッ」
鷲爪が雲雀をかばったのも気に食わないらしく、雲雀の顔を何度も水に沈めた。
「言い付け通り隠れて……ッ鳥籠に……ゲホッ」
「鳥籠?」
翡翠の手が止まり、クスリと笑う。
「そういえば昔からあの温室が好きだったわね」
その翌日の夜。
「まったく翡翠にも困ったものだな。鍵をかけてしまうなんて」
烏頭目が鳥籠の前で行った。
「私が悪いんです。言い付けを守らなかったから」
翡翠は雲雀のお気に入りである鳥籠に鍵をかけ、二度と立ち入れないようにしてしまった。
「そうか。それなら仕方ないな」
(先生……)
雲雀は俯く。
「いつもの薬だ」
烏頭目がいつものように瓶を差し出し、雲雀が受け取った。
「え!?」
雲雀が瓶を手にした瞬間、何かがそれを掠め取って行った。
音もなく一瞬の出来事であったが、雲雀は鳥の羽が風を切る気配を頬で感じた。
「フクロウか? この辺りでは珍しいな」
どうやら小さなフクロウが瓶を獲物と間違えて攫って行ったようだ。
「雲雀がしっかりと持っていないから取られてしまうんだ。まったく」
「ごめんなさい……」
「まあいい。薬はまだあるから、これを飲みなさい」
もう一度渡された薬を雲雀は口に含んだ。
そしていつものように烏頭目に抱き止められる。
「穂邑鷲爪に会ったのだろう?」
「……はい」
「聞けば妖魔の傷が顔で蠢いていたとか。さすが破壊を司る穂邑の後継者なだけあるな。そうやって妖魔の力で悪虐の限りを尽くすのだろう」
(……そうかしら)
雲雀は朦朧としながら鷲爪とのやり取りを思い出していた。
「傍若無人で粗暴な人間だと聞いているよ」
「そんな……風には……」
(強引なところはあったけれど……優しい……)
鷲爪の言葉も思い出す。
「雲雀は無能だから、悪い人間がわからないのだね」
(私は無能……)
「ダメな君のことは、私が守るよ」
(先生は……私を守ってくれる、なら……どうして)
「翡翠からも、穂邑からも」
烏頭目は耳元で囁く。
(どうして先生は……私を無能だと決めつけるの?)
―― 『もっとご自身の能力に自信を持ってはいかがですか?』
(どうして……穂邑様のような言葉をくださらな……い)
▶︎▶︎
それからさらに一週間の後、鷲爪から鶴司へ正式に翡翠との結婚の申し込みがあった。
それを聞いた雲雀の胸は何かに掴まれたような苦しさを覚えた。
(はじめから決まっていたことだわ。翡翠が穂邑様と結婚して、私は先生と結婚する)
けれど、頭の中には鷲爪の言葉と眼差しがこびりついている。
記憶の中の男の子が烏頭目であることは、彼が家に来た時に明かされている。
しかし何故か、烏頭目よりも鷲爪の言葉に彼を思い出すのだ。
そんな彼が翡翠と結婚する。
雲雀の胸はシクシクと鈍い痛みに鳴いているようだ。
翌日、鷲爪は飯豊を伴って風祀を訪れた。
この日は洋室で鶴司たちと話をした。
「祝言を十日後に……ですか?」
「ええ。次の遠征討伐が決まり、これを逃すとしばらく機会がありませんので」
鷲爪は出された紅茶を口にした。
「で、ですが何かと準備というものが」
「ご心配なく。婚礼の衣装も料理もすべてこちらで用意しますよ」
「しかし、客人の都合なども……」
「今回は形ばかりの式でいいのです。盛大なものは帰ってきてからで。無事に聖女を自分のもとに迎えなければ、うかうか遠征になど出ていられませんから」
彼はこれまでに見せたこともないようなニッコリとした笑顔を見せた。
「あなた、ありがたいじゃありませんか!」
シギ乃は一刻も早く翡翠を嫁がせて、穂邑との関係を確固たるものにしたいようだ。
「そうですな。では――」
「一つ、私からの提案なのですが」
鷲爪は音を立てないようにカップを置いた。
「翡翠さんと雲雀さんの祝言を同日に執り行うというのはいかがですか」
「え!?」
嫌悪感を隠さない声を出したのは翡翠だ。
「二人は同じ日に生まれた双子の姉妹だ。めでたい日が同じというのも趣があっていいでしょう。ちょうどそれぞれに相手もいることだ」
彼は気にせず話を進める。
「もちろん、雲雀さんの方の衣装などもこちらでご用意させていただきます」
「い、嫌よ! 無能の雲雀なんかと一緒に婚礼の儀だなんて」
「無能ですか」
鷲爪はため息をつく。
「ええ、事実ですもの」
「では風祀は忌み血のいる家ということだ。こちらが先に祝言を上げれば、忌み血と穂邑が表立って親戚になるということですね。それは少々世間体が悪い」
「そ、それは……」
彼は拒否権を与える気がないようだ。
「同日に風祀の籍を出ていただけるというのなら、その事態は防げます」
鷲爪はまたニッコリと微笑み、それは決定事項となった。
「恐れながら穂邑様……」
帰ろうとする鷲爪を翡翠が呼び止めた。
「その……お顔の傷は、良くなっていないのでしょうか? 少しも……」
彼の傷を直視することができず、俯きがちに尋ねる。
「気味悪がらせていますね。申し訳ない」
「い、いいえ! そのようなことは」
彼と目を合わせないまま首を振るが、声はまた裏返る。
「残念ながら、良くなっていませんね。少しも」
「そうですか」
翡翠はあからさまに落胆したが、鷲爪はとくに気に留める様子もなく帰って行った。
▶︎▶︎
祝言の前日。
翡翠は日頃誰も近づかない庭の片隅で烏頭目に泣きついていた。
「ねえ先生、私嫌よ! 妖魔を宿している方と結婚だなんて! 悍ましいったらないわ。最強の聖女がどうして妖魔に嫁がなければいけないのよ。死んだ方がマシだわ!」
「そう言われても、相手は穂邑家だ。私に泣きつかれても何もできる事などないよ」
烏頭目は苦笑いを浮かべた。
「こんなことなら私が先生と結婚すればよかった!」
翡翠は頬を膨らめる。
「今からでもなんとかできないかしら」
「なんとか?」
「ええ! 私が先生と結婚して、雲雀が穂邑鷲爪と結婚するの! 雲雀に無能ではないとかなんとか言っていたくらいですもの、案外上手くいくんじゃないかしら」
彼女は名案だとばかりに、両手のひらを合わせてはしゃいだような明るい声を出す。
「雲雀に〝無能ではない〟と言ったのか? 穂邑鷲爪は」
「ええそうよ。わざわざ呼び止めて『あなたは無能などではないはずだ』なんて」
言いながら翡翠は不機嫌になる。
「ほう。わざわざ呼び止めて……同日の祝言などおかしいと思ったが、やはり気づいているのか」
烏頭目が呟く。
「先生?」
「翡翠、君は穂邑と結婚したくないんだな?」
「え? ええ」
「ならば――」
烏頭目は口角を上げた。
「君の手で穂邑鷲爪を葬り去ればいい」
「え……? 先生? 何をおっしゃっているの?」
烏頭目の目が半色に光る。すると翡翠の目から光が消え生気というものが感じられなくなる。
「たったのこれだけで私の傀儡になってしまう程度の能力で〝最強の聖女〟とは勘違いも甚だしいな。お前との結婚など、悍ましいのはこちらの方だ」
彼は怪しげにクックッと笑う。
「最強の聖女を手に入れるために私がどれほど待ったことか」
烏頭目は獲物を狙うヘビのように、舌でペロリと唇を舐めた。
一週間後。
鷲爪と飯豊は再び風祀家を訪れていた。
「それでは正式にお話を進めていただけるということですか?」
鶴司が安堵したような声で言う。
「ええ。最強の聖女との縁談、我が穂邑家にとってもありがたいお話だ。ぜひ進めさせていただきたい」
鷲爪の言葉に鶴司もシギ乃もホッと胸を撫で下ろす。
翡翠だけが穢らわしいものを見るかのような目で鷲爪の傷を見ていた。
「鶴司殿。つかぬことをお聞きしますが」
「は、はい。何でしょう」
「この家には翡翠さん以外にもう一人、娘さんがいるのではないですか?」
鶴司の眉が一瞬ピクリと動き、明らかな動揺を見せた。
「い、いえ、我が家の娘は翡翠一人で――」
「鶴司殿」
鷲爪の冷たさのわかる声色に、和室の空気がピリッと凍りつく。
「穂邑の目を誤魔化せるとお思いですか?」
あれから飯豊は風祀の事を徹底的に調べ上げ、鷲爪に報告していた。
予想通り『雲雀』という名前の娘がいること、雲雀は翡翠の双子の姉であること、二人は三歳の時に風祀に引き取られたこと、雲雀は無能と言われていること、風祀の商売がうまく行っていないこと――そして、雲雀と烏頭目という男が婚約していることまでも。
「雲雀さんにご挨拶させていただけませんか?」
「い、いやしかし雲雀はもう嫁に行く身でして、もうこの家とは――」
「まだ嫁がれているわけではないでしょう? 私にとっても家族になる方だ。ぜひ顔合わせを」
丁寧ではあっても威圧感を纏った鷲爪の言葉に鶴司は従うしかなかった。
「失礼致します」
消え入りそうな声と共に、雲雀が姿を現した。
「失礼ながら、雲雀さんは随分と簡素なお召し物なのですね」
部屋の隅に座した雲雀を見て鷲爪はそう言うと、鶴司たち三人の方を見た。
「雲雀には花嫁修行をさせているんですの」
シギ乃が「おほほ」と笑う。
「穂邑様には隠し立てできないと思いますので申しますが、雲雀は何もできない無能の娘なのです」
シギ乃は鷲爪が忌み血を知っていて尚、翡翠との縁談を進めようとしている事を察していた。
「ですから他所様で恥をかかないよう、この家で庶民の家仕事を叩き込んでいるんですの」
「無能……」
鷲爪の視線が雲雀に向かう。
「も! 申し訳ありません!」
鷲爪と目が合った雲雀は土下座でもするかのように平伏した。
「せ、先日は急な事でしたので、つい使用人だと申し――」
「どういうこと? 雲雀、穂邑様に会ったの!?」
翡翠が雲雀を睨みつける。
「……ごめんなさい」
「穂邑様に何かご無礼があったんじゃないの!?」
「偶然お会いして、私が無理やり怪我の手当てをお願いしてしまっただけです」
鬼のような形相の翡翠に鷲爪が言う。
(傷の手当ては本当だけれど、無理やりだなんて!)
困惑する雲雀に鷲爪は〝いいから〟と目配せをする。
翡翠はそれでも苛立ちを隠さない。
「雲雀はもう他所へお嫁に行く身です。風祀には関係のない人間だわ」
「あ、わ、私、仕事が残っておりますので」
翡翠が暗に退室を促しているのを感じ取って、雲雀は立ち上がるとまた頭を下げて出て行こうとした。
「あなたは――」
鷲爪は座ったままその背中に声をかけた。雲雀が振り返る。
「あなたは無能などではないはずだ」
「え……?」
まっすぐ自分を見据える鷲爪と目が合い、雲雀の心臓がトクンと跳ねる。
「現に、私の開いた傷口はすぐに塞がった」
「そ、それは……異国の植物の」
「いや、あなたの力だ。もっとご自身の能力に自信を持ってはいかがですか?」
―― 『もっと自信を持って。君の力はそんなものではないはずだから』
その深い瞳が、またあの日の少年と重なった。
「し、失礼します」
雲雀は深々と頭を下げて部屋を後にした。
彼女の心臓はトクントクンと今までにないくらい大きな音を耳に響かせる。
その夜、雲雀は翡翠から酷い折檻を受けた。
鷲爪との密会を咎められたのだ。
「なぜ勝手に会ったのよ! 無能のくせに!」
「わざとではありま……ゴフッ」
鷲爪が雲雀をかばったのも気に食わないらしく、雲雀の顔を何度も水に沈めた。
「言い付け通り隠れて……ッ鳥籠に……ゲホッ」
「鳥籠?」
翡翠の手が止まり、クスリと笑う。
「そういえば昔からあの温室が好きだったわね」
その翌日の夜。
「まったく翡翠にも困ったものだな。鍵をかけてしまうなんて」
烏頭目が鳥籠の前で行った。
「私が悪いんです。言い付けを守らなかったから」
翡翠は雲雀のお気に入りである鳥籠に鍵をかけ、二度と立ち入れないようにしてしまった。
「そうか。それなら仕方ないな」
(先生……)
雲雀は俯く。
「いつもの薬だ」
烏頭目がいつものように瓶を差し出し、雲雀が受け取った。
「え!?」
雲雀が瓶を手にした瞬間、何かがそれを掠め取って行った。
音もなく一瞬の出来事であったが、雲雀は鳥の羽が風を切る気配を頬で感じた。
「フクロウか? この辺りでは珍しいな」
どうやら小さなフクロウが瓶を獲物と間違えて攫って行ったようだ。
「雲雀がしっかりと持っていないから取られてしまうんだ。まったく」
「ごめんなさい……」
「まあいい。薬はまだあるから、これを飲みなさい」
もう一度渡された薬を雲雀は口に含んだ。
そしていつものように烏頭目に抱き止められる。
「穂邑鷲爪に会ったのだろう?」
「……はい」
「聞けば妖魔の傷が顔で蠢いていたとか。さすが破壊を司る穂邑の後継者なだけあるな。そうやって妖魔の力で悪虐の限りを尽くすのだろう」
(……そうかしら)
雲雀は朦朧としながら鷲爪とのやり取りを思い出していた。
「傍若無人で粗暴な人間だと聞いているよ」
「そんな……風には……」
(強引なところはあったけれど……優しい……)
鷲爪の言葉も思い出す。
「雲雀は無能だから、悪い人間がわからないのだね」
(私は無能……)
「ダメな君のことは、私が守るよ」
(先生は……私を守ってくれる、なら……どうして)
「翡翠からも、穂邑からも」
烏頭目は耳元で囁く。
(どうして先生は……私を無能だと決めつけるの?)
―― 『もっとご自身の能力に自信を持ってはいかがですか?』
(どうして……穂邑様のような言葉をくださらな……い)
▶︎▶︎
それからさらに一週間の後、鷲爪から鶴司へ正式に翡翠との結婚の申し込みがあった。
それを聞いた雲雀の胸は何かに掴まれたような苦しさを覚えた。
(はじめから決まっていたことだわ。翡翠が穂邑様と結婚して、私は先生と結婚する)
けれど、頭の中には鷲爪の言葉と眼差しがこびりついている。
記憶の中の男の子が烏頭目であることは、彼が家に来た時に明かされている。
しかし何故か、烏頭目よりも鷲爪の言葉に彼を思い出すのだ。
そんな彼が翡翠と結婚する。
雲雀の胸はシクシクと鈍い痛みに鳴いているようだ。
翌日、鷲爪は飯豊を伴って風祀を訪れた。
この日は洋室で鶴司たちと話をした。
「祝言を十日後に……ですか?」
「ええ。次の遠征討伐が決まり、これを逃すとしばらく機会がありませんので」
鷲爪は出された紅茶を口にした。
「で、ですが何かと準備というものが」
「ご心配なく。婚礼の衣装も料理もすべてこちらで用意しますよ」
「しかし、客人の都合なども……」
「今回は形ばかりの式でいいのです。盛大なものは帰ってきてからで。無事に聖女を自分のもとに迎えなければ、うかうか遠征になど出ていられませんから」
彼はこれまでに見せたこともないようなニッコリとした笑顔を見せた。
「あなた、ありがたいじゃありませんか!」
シギ乃は一刻も早く翡翠を嫁がせて、穂邑との関係を確固たるものにしたいようだ。
「そうですな。では――」
「一つ、私からの提案なのですが」
鷲爪は音を立てないようにカップを置いた。
「翡翠さんと雲雀さんの祝言を同日に執り行うというのはいかがですか」
「え!?」
嫌悪感を隠さない声を出したのは翡翠だ。
「二人は同じ日に生まれた双子の姉妹だ。めでたい日が同じというのも趣があっていいでしょう。ちょうどそれぞれに相手もいることだ」
彼は気にせず話を進める。
「もちろん、雲雀さんの方の衣装などもこちらでご用意させていただきます」
「い、嫌よ! 無能の雲雀なんかと一緒に婚礼の儀だなんて」
「無能ですか」
鷲爪はため息をつく。
「ええ、事実ですもの」
「では風祀は忌み血のいる家ということだ。こちらが先に祝言を上げれば、忌み血と穂邑が表立って親戚になるということですね。それは少々世間体が悪い」
「そ、それは……」
彼は拒否権を与える気がないようだ。
「同日に風祀の籍を出ていただけるというのなら、その事態は防げます」
鷲爪はまたニッコリと微笑み、それは決定事項となった。
「恐れながら穂邑様……」
帰ろうとする鷲爪を翡翠が呼び止めた。
「その……お顔の傷は、良くなっていないのでしょうか? 少しも……」
彼の傷を直視することができず、俯きがちに尋ねる。
「気味悪がらせていますね。申し訳ない」
「い、いいえ! そのようなことは」
彼と目を合わせないまま首を振るが、声はまた裏返る。
「残念ながら、良くなっていませんね。少しも」
「そうですか」
翡翠はあからさまに落胆したが、鷲爪はとくに気に留める様子もなく帰って行った。
▶︎▶︎
祝言の前日。
翡翠は日頃誰も近づかない庭の片隅で烏頭目に泣きついていた。
「ねえ先生、私嫌よ! 妖魔を宿している方と結婚だなんて! 悍ましいったらないわ。最強の聖女がどうして妖魔に嫁がなければいけないのよ。死んだ方がマシだわ!」
「そう言われても、相手は穂邑家だ。私に泣きつかれても何もできる事などないよ」
烏頭目は苦笑いを浮かべた。
「こんなことなら私が先生と結婚すればよかった!」
翡翠は頬を膨らめる。
「今からでもなんとかできないかしら」
「なんとか?」
「ええ! 私が先生と結婚して、雲雀が穂邑鷲爪と結婚するの! 雲雀に無能ではないとかなんとか言っていたくらいですもの、案外上手くいくんじゃないかしら」
彼女は名案だとばかりに、両手のひらを合わせてはしゃいだような明るい声を出す。
「雲雀に〝無能ではない〟と言ったのか? 穂邑鷲爪は」
「ええそうよ。わざわざ呼び止めて『あなたは無能などではないはずだ』なんて」
言いながら翡翠は不機嫌になる。
「ほう。わざわざ呼び止めて……同日の祝言などおかしいと思ったが、やはり気づいているのか」
烏頭目が呟く。
「先生?」
「翡翠、君は穂邑と結婚したくないんだな?」
「え? ええ」
「ならば――」
烏頭目は口角を上げた。
「君の手で穂邑鷲爪を葬り去ればいい」
「え……? 先生? 何をおっしゃっているの?」
烏頭目の目が半色に光る。すると翡翠の目から光が消え生気というものが感じられなくなる。
「たったのこれだけで私の傀儡になってしまう程度の能力で〝最強の聖女〟とは勘違いも甚だしいな。お前との結婚など、悍ましいのはこちらの方だ」
彼は怪しげにクックッと笑う。
「最強の聖女を手に入れるために私がどれほど待ったことか」
烏頭目は獲物を狙うヘビのように、舌でペロリと唇を舐めた。

