さて、未の刻を少し過ぎました。
 華蓮さまは青い花の髪飾りに紅色の振袖をお召しになり、お母さまの嫁入り道具の一つだったカゴの鞄を下げていらっしゃいます。お義母さまも黒地に赤い花の描いてある小袖をお召しになり、紅も赤く挿されて顔を白く見せているのでしょうか。
 一方、麗蘭は「ぬた餅」を完成させ、桐を薄く削って作られた紙に包んで華蓮さまに差し上げました。

 「『ぬた餅』にございます。」

 「あんたのせいで遅刻しかけたじゃない!」

 華蓮さまからの礼はもちろん無く、ぬた餅を奪って行かれました。
 華蓮さまとお義母さま、お二人が出て行かれた家は実に静かで、とても散らかっていました。食べたものはそのまま。脱いだ服も寝ていた布団もそのままになっています。これを片付けてから麗蘭の支度。申の刻から始まる歌会には間に合うわけがございませんでした。

 「麗蘭も行くのだろ?」

 「いえ、私は片付けがございますゆえ。」

 お父さまの言葉に一筋の雫が目からこぼれました。

 「なに、そのくらい父さんがやるよ。さあ、準備なさい。」

 「ありがとうございます。」

 麗蘭はあふれる雫を手の甲で押し戻し、お米さまの待つお部屋に向かいました。

 「さて、麗蘭さま。少々お時間かかりましたが、まだ間に合いますぞ。その前にひとつだけ注意がございます。」

 お米さまはそうおっしゃると、朝洗った藤色の着物をさしました。

 「こ、これは…。」

 洗ったはずの藤色が汚れた味噌汁色に戻っておられます。

 「私の魔法は力が小さい上に、時間制限がございます。3つの刻しかもたないのです。」

 申の刻から始まる歌会に合わせて魔法をかけると亥の刻には魔法が解ける、ということです。

 「少しでも長く、歌会にいていただきたいのでございます。行きは馬車を走らせますが、帰りは歩いていただいても…?」

 「もちろん。どちらも歩くつもりでございましたから。」

 「では、馬車にする生き物を1匹、捕まえていただけますか?」

 外に出てあたりを見回しても、生き物は見つかりません。

 「まさか、蟻では…。」

 「もう少し大きくなくてはなりませぬ…。」

 麗蘭の肩に乗っているお米さまは喉をつぶして絞り出すようにそう言います。

 「では、華蓮さまの犬では…。」

 「いいですね! 犬は賢いと申します。帰ってくれば問題ございません!」

 お米さまは華蓮さまの犬に飛び乗り、その上をピョンピョン跳ねています。するとどうでしょう。だんだんと、本当にわずかにわずかに犬が大きくなっていきました。

 「麗蘭さま、何か木の葉を!」

 麗蘭は道端に落ちていた桜の木の葉を大きくなった犬の背に載せました。やがて木の葉は人が乗るための鞍に変わりました。犬ももうすっかり白黒模様の馬に変わりました。

 「では、参りますぞ! 昨日作った裃をお召しになって馬にお乗りくださいませ!」

 麗蘭は部屋に干してあった藁の裃を身にまとい、華蓮さまの犬だった馬にまたがりました。

 「いざ、たまえ!!」

 お米さまが声をあげると馬は道を知っているかのように自ら走り始めました。道には馬に乗っている麗蘭の腰丈ほどの草が生えています。地面は土だけではなく、泥や水たまりもございます。右に左に、山あり谷あり。

 「麗蘭さま! 着きました! ここが宮中にございます!」

 「宮中」といわれても、そこはただの野原でした。強いて言えば薄い灰色の細かな砂利が敷き詰められ、朱色の門があるだけ。大きな宮殿や緑豊かな庭は見当たりません。

 「では、最後の魔法をおかけいたします。」

 お米さまは麗蘭の肩の上で飛び跳ね始めました。次第に頭や背中や、身体全体を包み込むように何度も何度も飛び跳ねます。
 麗蘭の裃は金色の振袖に変わりました。ところどころに蘭の模様をあしらった唯一無二の仕立てです。

 「お米さま、ありがとうございます!」

 「いえいえ、めっそうもございません。」

 深々と頭を下げると草履も金の糸で編まれたものに変わっています。宮中の中の方から大きな鐘の音が聞こえてまいりました。

 「いいですか。この鐘が申の刻を告げる鐘にございます。先に申し上げましたとおり、この魔法は3つの刻しか持ちませぬ。申、酉、戌。亥の刻を告げる鐘がなり終わると全て元通りに戻ってしまいます。それまでに帰るのですよ。」

 「ありがとう。きっと歌会を楽しんで参ります。」

 麗蘭はお米さまに別れを告げ、門の真ん中を通って宮中に入っていきました。