朝です。朝がきました。
 麗蘭はいつものように寅の刻になったと同時に床上げをし、3人分の朝食を作りました。お父さまはいつものように卯の刻終わり頃にお目覚めになりましたが、お義母さまと華蓮さまはその時分になってもまだイビキをかいてお休みになられています。さぞ昨晩の着物選びが楽しかったのでしょうか。

 「麗蘭、朝ごはんは食べないのか?」

 「ええ。お義母さまと華蓮さまがまだでございますから。」

 お父さまは御膳の前につかれると、そうおっしゃいました。いつもはお義母さまと華蓮さまがいらっしゃるから聞けなかったのでしょう。それでも麗蘭は本当のことが言えず、お義母さまの言うとおりにしか言えないことが悲しくなってしまいます。

 「私は麗蘭に歌会に行ってほしいと思っているよ。」

 お父さまのお言葉に、耳を赤くする麗蘭です。

 「ほら、お母さまと物語を読んで『このお話はどこで作られているの?』とお聞きしたことがあったろ? その現場に行けるまたとない機会だから。お母さまと物語を楽しんだように、歌会も楽しんできてほしいな。」

 「お父さま…。」

 「旦那さま、何を言っておられるのだ!」

 お義母さまが髪を乱したままお父さまを怒鳴りつけ、御膳につかれます。

 「麗蘭が歌会に行ったら家事は誰がするのです? 麗蘭には家を守ってもらわないと。」

 お義母さまは鼻息荒くそう言うと、手も合わせずにご飯をかき込み始めました。

 「家事はいつもお義母さまがやってるんだろ? 今日くらい麗蘭を休ませたって…。」

 「あーん!? 今なんつった?」

 お父さまが初めてお義母さまに抵抗してくださったのに、お義母さまはこの調子です。お父さまは首を小刻みに横に振りながら「何でもありません…」とつぶやいていらっしゃいます。

 「旦那さま。私は華蓮の付き人として一緒に宮中に参内いたします。こういう日が来るかもしれないと思い、常日頃厳しく家事を仕込んでいたのです。」

 嘘八百なお義母さまに麗蘭もお父さまも、ただただ聞くしかありません。

 「麗蘭。今日の家事は、私たちの食事、支度と片付け。昨日袖を通した服全ての洗濯。全ての部屋の掃除。おもての掃除、もちろん庭の野菜の手入れもだよ。あとは華蓮の着付け、私の小袖の支度。いいかい、全てだよ、すべて。」

 「…はい…。」

 麗蘭もお父さま同様、小さくなってお義母さまの言うことを聞くしかありません。

 「すべてやったら歌会なんて行ってる暇ないよね? そうでしょ?」

 「はい、そうであります。」

 麗蘭はお米さまのお声より小さい、蚊の鳴くような声で答えます。

 「ほらお父さま、麗蘭も承知の上です。いいでしょ、ね。」

 「いやぁ、明日で良くない?」

 「あーん!?」

 「はい、そ、そうです…。」

 ここで強く言えないのがお父さまなのです。

 お父さまは急いで味噌汁を飲み干して居間をあとになさいます。お義母さまはゆーっくりと朝ごはんを召し上がり、味噌汁は「気分じゃない」と残されました。残った味噌汁が入った御膳を持ち上げ、立ちあがろうとしたところ…。

 「あー! 誰だいこの着物をここに置きっぱなしにしたのは!」

 数日前、街の団子屋に行った着物が脱いだまま広げてあったところに、足を滑らせて味噌汁をこぼしてしまわれました。お義母さまも置いてあった着物も汚れてしまいました。

 「あーあ、これも綺麗に、しておくれ。」

 お義母さまは着ていた着物を置いてあった着物の上に脱ぎ捨て、お部屋に戻られました。

 「お母さま、私、本当に歌会に行けますでしょうか…。」

 「行けますとも、ファイトー!」

 外で洗濯物を洗っていると、あの蚊の鳴くような声が聞こえてきます。

 「お米さま! もう、今日に限って、家事があまたあるのでございます。」

 「大丈夫、大丈夫であります! ほれ!」

 お米さまが声をかけると、洗っていた着物からみるみる汚れが落ちていきました。もとの淡い藤色が浮かび上がります。

 「なんと! お米さまは魔法使いにございますのか?」

 「んー、まぁそんなところでございます! ワラワは小さいので効き目はすぐ切れるのでありますが、家事くらいお任せください!」

 こうして麗蘭はお米さまと協力して、家事をどんどんと片付けていきました。洗濯に掃除、お野菜のお手入れと料理、休む間もなく働き続けました。

 そして時は午の刻。
 華蓮さまとお義母さまは、未の刻には家を出て、申の刻から始まる歌会に参内される予定であります。

 「華蓮、華蓮! まだ起きないのかい。ちょっと起こしてきな。」

 「はい。」

 麗蘭はやっと最後の家事であるお昼ご飯のお支度をしていたところ、お義母さまにそう頼まれました。

 「華蓮さま、そろそろ床上げなさってくださいませ。」

 「いや、イヤだぁ〜!!」

 華蓮さまは目は覚めていらっしゃるのに、布団を被り頭を覆っていらっしゃいます。

 「何をおっしゃいます。もう午の刻でございますよ。未の刻までにお支度を済ませないと。」

 「イヤ! イィ〜ヤァ〜!」

 華蓮さまはもう、学校に行きたくない子どものように、布団の中で蝸牛になりきっていらっしゃいます。
 聞くと華蓮さまは歌会の「歌」におびえておられるようでした。是非選ばれて入内したいけれど、ご自身は文字の読み書きもできず、和歌なんてどう詠んだらいいのか見当もつかない、と。お義母さまはおめかしも手伝ってくださり、華蓮さまが選ばれることを心待ちにしていらっしゃるのに、肝心の歌については教えてもらえず、恥をかくしかない、と。いないな、皇子さまのお心に留まり、選ばれる女性となりたい、と。なんとも欲飽きたることでしょう。

 「それでは、一つ、歌を差し上げましょう。紙はございますか?」

 麗蘭は言いたいことをすべて飲み込み、ただそう言って華蓮さまに紙と筆をとらせました。

  垂乳根の母の背思う初瀬川、白波湧き立つ吾が胸の内

 「これ、どういう意味?」

 「お義母さまを思って川を見ていたら恋心溢れてしまわれた。という歌にございます。」

 すると華蓮さまは重たい布団を脱がれ、ボサボサの頭で起き上がられました。

 「これで私も本当の妃になれるわ。」

 静かにニヤッとお笑いになり、麗蘭が和歌を書いた紙を味噌汁の豆腐くらい、小さく畳まれました。華蓮さまは姿見の前に座り、乱れた髪を手櫛でとかして整えていらっしゃいます。

 「あ。」

 華蓮さまが突然手を止めて、後ろに控えていた麗蘭のほうを見て微笑みます。

 「ねぇ、ぼた餅作ってくれない? 皇子さまぼた餅好きで有名でしょ。持っていったらポイントアップじゃない?」

 「華蓮さま、それはいくらなんでも…。」

 「よくもそんな口がきけたわね!」

 突然、障子が破れそうなくらいの大声で叫ばれました。麗蘭は「頭に血が昇る」というのはこういうことか、と理解するくらい、冷静に自分の怒りを感じていました。

 「華蓮、どうしたの?」

 お義母さまが様子を見に飛んで来ました。

 「皇子さまにぼた餅をお持ちしたいって言ったのに、麗蘭が、麗蘭が。」

 お義母さまが来た時点で、麗蘭の負けは決まっているのです。こんなことなら、最初から作っておけば良かったと思うのでした。少しでも早く華蓮さまのお支度を終えて、自分の支度がしたいと思ったのが、甘かったのです。

 「華蓮はお支度があるから無理っしょ。あ、そうだそうだ!」

 お義母さまは華蓮さまを抱きかかえて慰めていらっしゃったのをほどいて、麗蘭のほうに向き直して正座されました。

 「ぬた餅にしなさい。みちのくの国で食べられているという、夏のぼた餅!」

 麗蘭は頭が冷える、というより冷たくなっていくのを感じています。ただのぼた餅なら、ご近所であんこを買って、もち米を炊けばできるのものを。ぬた餅とは何者か。隣町の餅屋のおばあさまに聞くところから始まるではありませんか。

 「じゃ、華蓮のお支度は私がしておくから、お前はぬた餅、ね?」

 そういうと、お義母さまは華蓮さまとお義母さまが使っている、お母さまの部屋をピシャリとお閉めになられました。

 「お米さま、どういたしましょう? みちのくのぼた餅など、見たことも聞いたこともございません。」

 「なぁーんとなく、知っているにございます!」

 お米さまがおっしゃる「ぬた餅」とは、ずんだ餅とも呼ばれる緑色のぼた餅なのです。なぜ緑色なのかはわからず、食べたこともないそうですが、それはそれは個性的な味のする餅に仕上がるそうなのです。

 「個性的なお味なのですね?」

 麗蘭はお米さまに確認して、早速ぬた餅作りにとりかかりました。