明くる日、麗蘭は煮炊きの音で夢を終わらせてしまいました。お母さまと歌を詠む、幸せな夢でありました。
「いつまで寝ているのだ!」
お義母さまは鬼の如く赤い顔で麗蘭を呼びつけます。
「申し訳ありませぬ。いつもはまだ床についている時分でありました。」
時は寅の刻。まだ空も白んでいるような、いないような。卯の刻の終わりがけに目覚めるお父さまとは大違いです。
「我は妻ではない、妃だ。家のことはすべてお前がおやりなさい。さあ、返事は?」
「はい。」
お父さまが選んだお義母さまです。逆らうわけにはいきません。朝はお米を1合炊き、味噌汁はお鍋に半分くらい。魚は3つ焼きました。お義母さまがそうしなさいとおっしゃるのです。
「今日は最初だから」とお義母さまが食器の用意をしてくださいます。お父さまの茶碗とお椀とお皿。私とお母さんの茶碗とお椀とお皿。合わせて3つ用意してくださいます。そう、3つしか無いのです。
「お義母さま、器が1つ足りませぬ。」
「お前の分は要らないよ。その辺の草でもお食べ。」
すべて盛り付けると、麗蘭は首根っこをつかまれ、土間から外に出されてしまいました。
「おはようございます、お義母さま。朝ごはんまで、ありがとう。」
「いえいえ妻のつとめでございますわ。おほほほほ。」
「麗蘭は…?」
「あの子、お腹が空いてないようです。私たちだけでいただきましょう。華蓮、華蓮!」
「ふぁーい。」
(お父さま、私はおもてにおります! どうか、ご飯を食べさせてくださいませ!)
お父さまにその声が聞こえることはありません。お義母さまが戸をしっかりとお閉めになっておられ、華蓮さまのお連れの犬がずっと吠えていらっしゃるのでありますから。
(お母さま、私はもう、ヘトヘトです。)
間違えてもお父さまやお義母さまに聞こえぬよう、心の中で言いました。麗蘭は庭の花壇の前にかがみました。お母さまのお花を摘むついでに、よもぎを摘んで朝ごはんにしました。
「えっ、どういうことでありますか?」
やっと家に入れたのは寝坊の華蓮さまがお食事を終えた辰の刻であります。今日は桃色の小さなお花を摘んできたのに、それを飾る文机が見当たりません。
「あの机かい? 邪魔だから捨てたよ。」
「何なの、あの本たち。文字ばかりでつまらないわ。」
文机があったところには、お義母さまと華蓮さまの着物が脱ぎ捨てられてあります。お母さまと私とを繋ぐ、唯一の場でありましたのに。外を見回しても、もうどこにもありません。
「お母さま。私、もう、どうしたらいいのでしょうか。」
麗蘭は外に出て、今日摘んだ桃色の小さなお花に話しかけました。花は何も言わずとも、優しく麗蘭に寄り添ってくれます。お母さまが肩に手をかけてくださったときのように。
「あ!」
麗蘭は取り憑かれたように辺りを見回します。紙などありませぬ。あるのは細い雑草と、お味噌汁に入れる野菜と、午後の掃除で使うボロ布だけ。その中で麗蘭はボロ布を選びました。物置の箱から引っ張り出し、少し白っぽく見える部分を歯に引っかけてちぎりました。
「桃の花白きその肌母のよう、優しく包む心温か」
思いついた和歌をボロ布に書きます。筆は流しに干していたので無事でした。いつかお母さまと物語を書いたその筆で、今度はひとり和歌を書き留めていくのです。
「よし。」
麗蘭は筆を止めると、ボロ布を細く小さく折りたたみました。そして、草履を脱ぎ、ワラの隙間を広げ、そこにボロ布を隠したのです。
「これで大丈夫。」
せっかくの和歌を踏みつける罪悪感はありましたが、もうどこに置いても捨てられてしまうかもわかりません。こうして肌身離さず持っておくことが、麗蘭にとっての安心そのものとなりました。
「いつまで寝ているのだ!」
お義母さまは鬼の如く赤い顔で麗蘭を呼びつけます。
「申し訳ありませぬ。いつもはまだ床についている時分でありました。」
時は寅の刻。まだ空も白んでいるような、いないような。卯の刻の終わりがけに目覚めるお父さまとは大違いです。
「我は妻ではない、妃だ。家のことはすべてお前がおやりなさい。さあ、返事は?」
「はい。」
お父さまが選んだお義母さまです。逆らうわけにはいきません。朝はお米を1合炊き、味噌汁はお鍋に半分くらい。魚は3つ焼きました。お義母さまがそうしなさいとおっしゃるのです。
「今日は最初だから」とお義母さまが食器の用意をしてくださいます。お父さまの茶碗とお椀とお皿。私とお母さんの茶碗とお椀とお皿。合わせて3つ用意してくださいます。そう、3つしか無いのです。
「お義母さま、器が1つ足りませぬ。」
「お前の分は要らないよ。その辺の草でもお食べ。」
すべて盛り付けると、麗蘭は首根っこをつかまれ、土間から外に出されてしまいました。
「おはようございます、お義母さま。朝ごはんまで、ありがとう。」
「いえいえ妻のつとめでございますわ。おほほほほ。」
「麗蘭は…?」
「あの子、お腹が空いてないようです。私たちだけでいただきましょう。華蓮、華蓮!」
「ふぁーい。」
(お父さま、私はおもてにおります! どうか、ご飯を食べさせてくださいませ!)
お父さまにその声が聞こえることはありません。お義母さまが戸をしっかりとお閉めになっておられ、華蓮さまのお連れの犬がずっと吠えていらっしゃるのでありますから。
(お母さま、私はもう、ヘトヘトです。)
間違えてもお父さまやお義母さまに聞こえぬよう、心の中で言いました。麗蘭は庭の花壇の前にかがみました。お母さまのお花を摘むついでに、よもぎを摘んで朝ごはんにしました。
「えっ、どういうことでありますか?」
やっと家に入れたのは寝坊の華蓮さまがお食事を終えた辰の刻であります。今日は桃色の小さなお花を摘んできたのに、それを飾る文机が見当たりません。
「あの机かい? 邪魔だから捨てたよ。」
「何なの、あの本たち。文字ばかりでつまらないわ。」
文机があったところには、お義母さまと華蓮さまの着物が脱ぎ捨てられてあります。お母さまと私とを繋ぐ、唯一の場でありましたのに。外を見回しても、もうどこにもありません。
「お母さま。私、もう、どうしたらいいのでしょうか。」
麗蘭は外に出て、今日摘んだ桃色の小さなお花に話しかけました。花は何も言わずとも、優しく麗蘭に寄り添ってくれます。お母さまが肩に手をかけてくださったときのように。
「あ!」
麗蘭は取り憑かれたように辺りを見回します。紙などありませぬ。あるのは細い雑草と、お味噌汁に入れる野菜と、午後の掃除で使うボロ布だけ。その中で麗蘭はボロ布を選びました。物置の箱から引っ張り出し、少し白っぽく見える部分を歯に引っかけてちぎりました。
「桃の花白きその肌母のよう、優しく包む心温か」
思いついた和歌をボロ布に書きます。筆は流しに干していたので無事でした。いつかお母さまと物語を書いたその筆で、今度はひとり和歌を書き留めていくのです。
「よし。」
麗蘭は筆を止めると、ボロ布を細く小さく折りたたみました。そして、草履を脱ぎ、ワラの隙間を広げ、そこにボロ布を隠したのです。
「これで大丈夫。」
せっかくの和歌を踏みつける罪悪感はありましたが、もうどこに置いても捨てられてしまうかもわかりません。こうして肌身離さず持っておくことが、麗蘭にとっての安心そのものとなりました。



