果たして真理亜は、紙の展示教室にいた。ベランダの手すりにもたれかかるようにしている。他には誰もいない。画鋲で止められたパルプ紙に和紙、パピルス、羊皮紙がひらひらと風に揺れるだけだ。
「真理亜!」教室に踏み入ったところで叫んだ。
真理亜が振り向いた。
「来ないで! 来たら飛び降りるから!」
僕は足を止めた。
「馬鹿なことはよすんだ」
「何それ」真理亜は涙ながらに言った。どこか壊れたように笑う。「葉月君にしてはずいぶんと月並みなことを言うのね」
「ふざける状況くらい選ぶさ」僕は言った。「いまはそうじゃない」
テラスからは変わらずロックナンバーが流れてくる。
「嘘を、吐いたわね」真理亜が沈黙を破った。「ステンドグラスを見たわ。あなたが言ったようなものでは、全然なかった。あなたのクラスメイトたちはずいぶんといい子揃いなのね」
「それについては謝るよ。だけど――」
「わかってる。わたしを守るためだったんでしょう」真理亜は言った。「最初から、ずっとそうだったんでしょう。わたしを生かすために、希望を見せようとした。何もかも失って空っぽのわたしに生きる意味を取り戻させようとした」
「否定はしない。ずいぶんと無責任なことをしたものだと反省しているよ」僕は自嘲した。「だからこそ最後まで責任を取らせてほしいんだ」
「だから、またわたしを助ける? 最初に会ったときみたいに」
「そう、あのとき――ティッシュを渡したときみたいにね」
「そう、思い出してたんだ」真理亜は言った。「忘れん坊さん。それじゃあ、きっとあの日起ったことについても気づいてるんでしょうね」
「ああ、あの日、君は麻耶のオルゴールを壊した。そうだね?」
「わたしも、とんだ名探偵に依頼してしまったものね。ええ。そうよ。わたしが壊した」
「どうして」
「どうして? そんなのわたしが聞きたいわよ。わたしはあの日、ただあの子がどんな学校生活を送っているか知りたかった。それだけだった。そして、知ったわ。わたしよりもよっぽどマシで充実した学校生活を送ってるってことに。わかってるわよ、あの子は変わり者だったから、何をもって充実しているとするかなんてわからない。けれど、重要なのは、わたしがそう感じたこと。あの子と比べたとき、自分の学校生活がなんてみじめなものなんだろうって感じたこと」
「そんな、どうして――」
「クラスの子から話を聞いたんでしょう。わたしが学校で孤立してること。望んでそうなったわけじゃない。だけど、最初の席替えであんなことが起こって、わたしはあのクラスの腫れ物になった。誰も気安く触れられなくなった。そして、わたしは自分から誰かと仲良くなれるほど器用でもなかった。わかってる。自業自得だって。だけどね、それで割り切れるほどわたしは人間ができてない。麻耶に理不尽な怒りを覚えてしまったの。あの子が唆さなければって」
「でも、友だちがいないだけでそんな――」
「そうね、それだけならよかったかもしれない。でもね、知ってる? わたし、落ちこぼれなんだ」真理亜はぎこちない笑みを作った。「あの学校では、下から数えた方が早いの。授業にもついていけてない。どんどん取り残されているのがわかる。だから、わたしには何もない。誇れるものも、慰めになるものも、何も」
「でも、麻耶は違った?」
「ええ、わたしにはそう見えた。それで、何とも言えない気持ちになった。あの子が教室を出ていくのを見たとき、気づいたら教室に忍び込んでいて、そして目の前にはオルゴールがあった。あの子が大事にしてたものが。だから――いいえ、意味なんて、理由なんてわからない。わたしはただやり場のない感情をぶつける場所がほしかった。それだけ」
「でも後悔してる。そうでしょ。取り返しのつかないことをしてしまったって」
「ええ、そうよ。だから――」
「だから、もう二度と間違っちゃいけない」僕は言った。「取り返しがつかないことをしちゃいけないんだ」
「あなた、天国でも信じてるの?」真理亜は言った。「死んだらそれきりよ。二度と後悔することなんてないわ」
「僕だって天国なんて信じちゃいない。でも、地獄があったらどうする? 永劫の苦しみがあるのだとしたら」
「詭弁よ、そんなの」
「そうかもね。だけど、あの世で麻耶と出会ったとき、本当のことを知らされたら、君はきっと後悔する」
「本当のこと?」
「ああ、そうさ。君はまだすべてを知ったわけじゃない」僕は続けた。「まだ謎が残ってるでしょ。麻耶はなぜ日記に僕の名前を書いたのかって」
「真理亜!」教室に踏み入ったところで叫んだ。
真理亜が振り向いた。
「来ないで! 来たら飛び降りるから!」
僕は足を止めた。
「馬鹿なことはよすんだ」
「何それ」真理亜は涙ながらに言った。どこか壊れたように笑う。「葉月君にしてはずいぶんと月並みなことを言うのね」
「ふざける状況くらい選ぶさ」僕は言った。「いまはそうじゃない」
テラスからは変わらずロックナンバーが流れてくる。
「嘘を、吐いたわね」真理亜が沈黙を破った。「ステンドグラスを見たわ。あなたが言ったようなものでは、全然なかった。あなたのクラスメイトたちはずいぶんといい子揃いなのね」
「それについては謝るよ。だけど――」
「わかってる。わたしを守るためだったんでしょう」真理亜は言った。「最初から、ずっとそうだったんでしょう。わたしを生かすために、希望を見せようとした。何もかも失って空っぽのわたしに生きる意味を取り戻させようとした」
「否定はしない。ずいぶんと無責任なことをしたものだと反省しているよ」僕は自嘲した。「だからこそ最後まで責任を取らせてほしいんだ」
「だから、またわたしを助ける? 最初に会ったときみたいに」
「そう、あのとき――ティッシュを渡したときみたいにね」
「そう、思い出してたんだ」真理亜は言った。「忘れん坊さん。それじゃあ、きっとあの日起ったことについても気づいてるんでしょうね」
「ああ、あの日、君は麻耶のオルゴールを壊した。そうだね?」
「わたしも、とんだ名探偵に依頼してしまったものね。ええ。そうよ。わたしが壊した」
「どうして」
「どうして? そんなのわたしが聞きたいわよ。わたしはあの日、ただあの子がどんな学校生活を送っているか知りたかった。それだけだった。そして、知ったわ。わたしよりもよっぽどマシで充実した学校生活を送ってるってことに。わかってるわよ、あの子は変わり者だったから、何をもって充実しているとするかなんてわからない。けれど、重要なのは、わたしがそう感じたこと。あの子と比べたとき、自分の学校生活がなんてみじめなものなんだろうって感じたこと」
「そんな、どうして――」
「クラスの子から話を聞いたんでしょう。わたしが学校で孤立してること。望んでそうなったわけじゃない。だけど、最初の席替えであんなことが起こって、わたしはあのクラスの腫れ物になった。誰も気安く触れられなくなった。そして、わたしは自分から誰かと仲良くなれるほど器用でもなかった。わかってる。自業自得だって。だけどね、それで割り切れるほどわたしは人間ができてない。麻耶に理不尽な怒りを覚えてしまったの。あの子が唆さなければって」
「でも、友だちがいないだけでそんな――」
「そうね、それだけならよかったかもしれない。でもね、知ってる? わたし、落ちこぼれなんだ」真理亜はぎこちない笑みを作った。「あの学校では、下から数えた方が早いの。授業にもついていけてない。どんどん取り残されているのがわかる。だから、わたしには何もない。誇れるものも、慰めになるものも、何も」
「でも、麻耶は違った?」
「ええ、わたしにはそう見えた。それで、何とも言えない気持ちになった。あの子が教室を出ていくのを見たとき、気づいたら教室に忍び込んでいて、そして目の前にはオルゴールがあった。あの子が大事にしてたものが。だから――いいえ、意味なんて、理由なんてわからない。わたしはただやり場のない感情をぶつける場所がほしかった。それだけ」
「でも後悔してる。そうでしょ。取り返しのつかないことをしてしまったって」
「ええ、そうよ。だから――」
「だから、もう二度と間違っちゃいけない」僕は言った。「取り返しがつかないことをしちゃいけないんだ」
「あなた、天国でも信じてるの?」真理亜は言った。「死んだらそれきりよ。二度と後悔することなんてないわ」
「僕だって天国なんて信じちゃいない。でも、地獄があったらどうする? 永劫の苦しみがあるのだとしたら」
「詭弁よ、そんなの」
「そうかもね。だけど、あの世で麻耶と出会ったとき、本当のことを知らされたら、君はきっと後悔する」
「本当のこと?」
「ああ、そうさ。君はまだすべてを知ったわけじゃない」僕は続けた。「まだ謎が残ってるでしょ。麻耶はなぜ日記に僕の名前を書いたのかって」

