――文化祭には来るなってこと? どうして?
最後に会ったとき、真理亜は僕に問うた。
――きっと君は怒るだろうから。
僕は答えた。
――怒る?
――ステンドグラスを作ってるって言ったでしょ。問題はその図案なんだ。
――それがわたしと何の関係があるの?
――感動の消費。
――え?
――彼らがやろうとしているのは、それだよ。麻耶に押し付けた涙活と同じ。きれいにコーティングされた、悲劇、悲惨。それ以上でも以下でもない。彼らは言葉の上では悔いて見せても、本質は変わるところがない。人は同じ愚行を繰り返すんだ。
真理亜は拳を握り締めた。
――だから、見るべきではない?
――ああ、いまはまだ怒るべきときじゃない。はっきりとした証拠が見つかったとき、はじめて怒るんだ。
――そう……ね。葉月君のときはそれで迷惑をかけてしまったし。
――でしょ?
――ええ、わかった。招待券はいらないわ。
そう言質を取った。招待券も渡さなかった。
「じゃあ、なんで」折笠さんは横を走りながら尋ねた。
「生徒手帳だよ」僕は言った。「卒業生は生徒手帳さえ見せれば入場できる。たぶん、顔写真や名前まではいちいち確認してないんだろう。真理亜はきっと麻耶の生徒手帳を使って入ったんだ。クソっ。土曜は向こうも学校だっていうから油断してた。まさかサボってまで来るとは」
「でも、どういうこと。展示を見たらどうして真理亜さんが絶望するの?」
「あのステンドグラスが全てを物語っているからさ。真理亜がそう感じてもおかしくないくらい、完成度が高いものになってしまった」
ヴィア・ドロローサ。ステンドグラスのテーマだ。人類史の過ち、愚行、悲劇をモチーフにした図案の数々。どれだけ色鮮やかでも取り繕い切れない、人類の業。それをステンドグラスは表現していた。火炙りにされる隠れキリシタンの殉教者たち。原爆によって肌が爛れ、更地を彷徨う被爆者たち。そこには口当たりのいい感傷などどこにもありはしない。あるのはただ、静かな悲しみと、歴史に向き合う真摯さだけだ。
「あんなものを作れる人たちが、妹を追いやるようなことをするはずがない。少なくとも、はっきりとわかるような形のいじめや嫌がらせなんてあったはずがない。そう確信させてしまった」
「どうして、そう言い切れるの?」
「もちろん、そうならない可能性もあったさ。だけど、現に彼女らしき人物はステンドグラスを見るや衝撃を受けて教室を飛び出して行った。それが答えだ」僕は続ける。「真理亜には負い目がある。自分がオルゴールを壊してしまったという負い目が。彼女はずっと、自分が麻耶を死なせてしまったと責めていたんだよ。だからこそ、それ以外の理由を求めた。妹が死んだのは自分のせいじゃないと確信できる何かを」
「でも、どうして真理亜さんがやったってわかったの?」
「あの日、麻耶が教室を出て行ったのを見ていた子がいたでしょ。麻耶がなんて尋ねたか覚えてる?」
「『オルゴールの音は聞こえたか』だよね。それが――」
「麻耶はきっとオルゴールをつけたまま教室を出たんだ。だから尋ねる必要があった。目撃者の子が見たのが本当に自分だったのか確認するために」
「目撃者の子が見たのは、真理亜さんだったってこと?」
「ああ。だから、オルゴールの音は聞こえなかった。もう壊れていたから。麻耶は質問によって、その答えに行き着いたんだ。オルゴールを壊したのは姉だと」
「でも、どうして真理亜さんが東高に?」
「そこまではわからない。でも――あの日、真理亜が学校にいたのは事実だ」
「どうしてそんなことがわかるの」
「思い出したからだよ」僕は言った。「僕は一学期に彼女と会ってるんだ。ほんの一瞬のことだった。泣いてる女の子とすれ違って、それでティッシュを渡したんだ。僕はそのことを最近までずっと忘れていた。思い出したとき、あれは麻耶だと思った。だって、真理亜が東高にいるわけなんてないから。だけど、そもそも僕がそれを思い出したのは、真理亜の泣き顔を見たときだったし、麻耶のことを知れば知るほど、彼女がそう簡単に泣く子じゃないってこともわかった。だから、いつからかあれは真理亜だったんじゃないかって思うようになった。そして、同じころにオルゴールの事件があったことを知ってほとんど確信に変わった。あれは真理亜だったんだって。妹のオルゴールを壊して、それを泣きながら後悔していた彼女だったんだって」
きっと、麻耶の予備の制服を着て東高に忍び込んだのだろう。目的はわからない。けれど、きっと麻耶を観察していたのだろう。そして、麻耶が教室を出たときに入れ替わるようにして教室に入り、オルゴールを破壊した。
「でも、どうして――」
「わからない。でもいつか話したでしょ。真理亜は麻耶にきっと複雑な思いを抱いてるはずだって。好きとか嫌いとかそんな簡単な感情じゃない何かを」
「それがオルゴールを壊させた」
「後は本人に訊くしかないけどね」僕は言った。「見つけられたらの話だけど」
説明を終え、僕は折笠さんと手分けして、真理亜を探すことにした。さっきから何度か電話をかけているが、出てくれない。
どこだ。
「状況は常に最悪を想定すべき――だよね」
いまの真理亜はどんな自暴自棄な行動に出てもおかしくない。
そう考えるべきだろう。手遅れになったときに悔やまないために。
がむしゃらに走り回ってもしょうがない。最悪を想定するならば、真理亜は校内で最も高い場所にいる。屋上は鍵がかかっているはずだし、そうなると出入りできる場所で一番高いのは四階だ。
階段を駆け上がっていると、野外から音が聞こえてきた。聞き覚えのあるロックチューンだ。そうだ、たしか二階のテラスで午後からバンドのライブがあった。去年の文化祭も同じように、テラスでバンドのライブがあった。テラス席はすぐに座席が埋まり、そこから溢れた観客たちは各教室のベランダからライブを鑑賞していた。
「! それか!」
脳内に文化祭パンフレットの地図を広げる。空いてそうな教室は何だ。
紙の展示――そうだ、一年にそんなやる気のない展示教室があった。市販の紙を並べて簡単な解説を横に書いただけのものだ。横切ったとき、説明役らしい係もおらず無人だった。
あそこならきっと――飛び降りるにはうってつけだろう。
最後に会ったとき、真理亜は僕に問うた。
――きっと君は怒るだろうから。
僕は答えた。
――怒る?
――ステンドグラスを作ってるって言ったでしょ。問題はその図案なんだ。
――それがわたしと何の関係があるの?
――感動の消費。
――え?
――彼らがやろうとしているのは、それだよ。麻耶に押し付けた涙活と同じ。きれいにコーティングされた、悲劇、悲惨。それ以上でも以下でもない。彼らは言葉の上では悔いて見せても、本質は変わるところがない。人は同じ愚行を繰り返すんだ。
真理亜は拳を握り締めた。
――だから、見るべきではない?
――ああ、いまはまだ怒るべきときじゃない。はっきりとした証拠が見つかったとき、はじめて怒るんだ。
――そう……ね。葉月君のときはそれで迷惑をかけてしまったし。
――でしょ?
――ええ、わかった。招待券はいらないわ。
そう言質を取った。招待券も渡さなかった。
「じゃあ、なんで」折笠さんは横を走りながら尋ねた。
「生徒手帳だよ」僕は言った。「卒業生は生徒手帳さえ見せれば入場できる。たぶん、顔写真や名前まではいちいち確認してないんだろう。真理亜はきっと麻耶の生徒手帳を使って入ったんだ。クソっ。土曜は向こうも学校だっていうから油断してた。まさかサボってまで来るとは」
「でも、どういうこと。展示を見たらどうして真理亜さんが絶望するの?」
「あのステンドグラスが全てを物語っているからさ。真理亜がそう感じてもおかしくないくらい、完成度が高いものになってしまった」
ヴィア・ドロローサ。ステンドグラスのテーマだ。人類史の過ち、愚行、悲劇をモチーフにした図案の数々。どれだけ色鮮やかでも取り繕い切れない、人類の業。それをステンドグラスは表現していた。火炙りにされる隠れキリシタンの殉教者たち。原爆によって肌が爛れ、更地を彷徨う被爆者たち。そこには口当たりのいい感傷などどこにもありはしない。あるのはただ、静かな悲しみと、歴史に向き合う真摯さだけだ。
「あんなものを作れる人たちが、妹を追いやるようなことをするはずがない。少なくとも、はっきりとわかるような形のいじめや嫌がらせなんてあったはずがない。そう確信させてしまった」
「どうして、そう言い切れるの?」
「もちろん、そうならない可能性もあったさ。だけど、現に彼女らしき人物はステンドグラスを見るや衝撃を受けて教室を飛び出して行った。それが答えだ」僕は続ける。「真理亜には負い目がある。自分がオルゴールを壊してしまったという負い目が。彼女はずっと、自分が麻耶を死なせてしまったと責めていたんだよ。だからこそ、それ以外の理由を求めた。妹が死んだのは自分のせいじゃないと確信できる何かを」
「でも、どうして真理亜さんがやったってわかったの?」
「あの日、麻耶が教室を出て行ったのを見ていた子がいたでしょ。麻耶がなんて尋ねたか覚えてる?」
「『オルゴールの音は聞こえたか』だよね。それが――」
「麻耶はきっとオルゴールをつけたまま教室を出たんだ。だから尋ねる必要があった。目撃者の子が見たのが本当に自分だったのか確認するために」
「目撃者の子が見たのは、真理亜さんだったってこと?」
「ああ。だから、オルゴールの音は聞こえなかった。もう壊れていたから。麻耶は質問によって、その答えに行き着いたんだ。オルゴールを壊したのは姉だと」
「でも、どうして真理亜さんが東高に?」
「そこまではわからない。でも――あの日、真理亜が学校にいたのは事実だ」
「どうしてそんなことがわかるの」
「思い出したからだよ」僕は言った。「僕は一学期に彼女と会ってるんだ。ほんの一瞬のことだった。泣いてる女の子とすれ違って、それでティッシュを渡したんだ。僕はそのことを最近までずっと忘れていた。思い出したとき、あれは麻耶だと思った。だって、真理亜が東高にいるわけなんてないから。だけど、そもそも僕がそれを思い出したのは、真理亜の泣き顔を見たときだったし、麻耶のことを知れば知るほど、彼女がそう簡単に泣く子じゃないってこともわかった。だから、いつからかあれは真理亜だったんじゃないかって思うようになった。そして、同じころにオルゴールの事件があったことを知ってほとんど確信に変わった。あれは真理亜だったんだって。妹のオルゴールを壊して、それを泣きながら後悔していた彼女だったんだって」
きっと、麻耶の予備の制服を着て東高に忍び込んだのだろう。目的はわからない。けれど、きっと麻耶を観察していたのだろう。そして、麻耶が教室を出たときに入れ替わるようにして教室に入り、オルゴールを破壊した。
「でも、どうして――」
「わからない。でもいつか話したでしょ。真理亜は麻耶にきっと複雑な思いを抱いてるはずだって。好きとか嫌いとかそんな簡単な感情じゃない何かを」
「それがオルゴールを壊させた」
「後は本人に訊くしかないけどね」僕は言った。「見つけられたらの話だけど」
説明を終え、僕は折笠さんと手分けして、真理亜を探すことにした。さっきから何度か電話をかけているが、出てくれない。
どこだ。
「状況は常に最悪を想定すべき――だよね」
いまの真理亜はどんな自暴自棄な行動に出てもおかしくない。
そう考えるべきだろう。手遅れになったときに悔やまないために。
がむしゃらに走り回ってもしょうがない。最悪を想定するならば、真理亜は校内で最も高い場所にいる。屋上は鍵がかかっているはずだし、そうなると出入りできる場所で一番高いのは四階だ。
階段を駆け上がっていると、野外から音が聞こえてきた。聞き覚えのあるロックチューンだ。そうだ、たしか二階のテラスで午後からバンドのライブがあった。去年の文化祭も同じように、テラスでバンドのライブがあった。テラス席はすぐに座席が埋まり、そこから溢れた観客たちは各教室のベランダからライブを鑑賞していた。
「! それか!」
脳内に文化祭パンフレットの地図を広げる。空いてそうな教室は何だ。
紙の展示――そうだ、一年にそんなやる気のない展示教室があった。市販の紙を並べて簡単な解説を横に書いただけのものだ。横切ったとき、説明役らしい係もおらず無人だった。
あそこならきっと――飛び降りるにはうってつけだろう。

