オルゴール館から帰って来る頃には、お昼の準備がはじまっていた。折笠さんが昼食の準備を手伝っている。髪をくくって、借り物のエプロンを着けていた。
「岸辺さんは?」
「まだ寝てる」折笠さんは答えた。「収穫はあった?」
「ああ、オルゴールをひとつ」僕は紙袋を掲げた。「あいにくと、『海』じゃないけれど」
 十八弁式の安価な木製のオルゴールだった。店ではオーダーメイドも受け付けていたが、時間的にも金銭的にもそんな余裕はなく、店に並んでいたものから適当に選んで買った。
「どうしてオルゴールにこだわるの?」
「僕も静かな海ってのを感じてみたくてね」
「でも、『海』じゃないんでしょ。それに、あれはあくまで箒木さんのやり方だって上水口さんも言ってたし」
「そうだね。そううまくいくものじゃない。わかってる」僕は言った。「それより、レポートは見つかった?」
「それがあいにくと」
「わたしも探してみるわ」瑤子さんが言った。「見つけたら、彩都に送るわね」
 程なくして、昼食の準備が整った。珊瑚を起こして、一緒に食卓に着くことになった。
「いただきます」
 秩父で味わう最後の食事だった。台風は明日、埼玉に直撃する可能性が濃厚になった。すでに各路線の運休が発表されている。今日中に戻らなければならなかった。
「寂しくなるわね」
「本当にお世話になりました」
「礼を言うのはこちらの方よ」瑤子さんは微笑んだ。「ありがとう。孫と友だちになってくれて。あの子たちの話を聞いてくれて。知ろうとしてくれて。真理亜ちゃんにはよろしく言っておいて」
「ええ」
「……わたし、葉月君たちに着いて行こうかな」珊瑚が不意に呟いた。「あの子のお姉ちゃんに会ってみたいし」
「それはいまじゃなくていいんじゃないかな」僕は言った。「台風なんて煩わしいものが頭上にあるんじゃ、落ち着いて話せるものも話せない」
「……わかった」珊瑚はあっさり引き下がった。
「そうだ、今月末うちの学校で文化祭があるんだ。よければおいでよ」
 それから、文化祭の話になった。うちのクラスではステンドグラスを作っていること。長崎への修学旅行から想を得た内容であること。
「いいね。きれいそう」
 僕たちが話している間、折笠さんは味噌豚とご飯をひたすら掻き込んでいた。

「じゃあね」星哉さんは言った。「ありがとう。君らが来て、お袋も楽しそうだったよ」
 秩父駅のロータリーだった。僕と折笠さんはすでに外に出ている。星哉さんは運転席に座ったまま続ける。
「……家では訊けなかったが……君たちはどう思ってる? 麻耶ちゃんの件について」
 星哉さんも遺書の内容は知っているらしい。しかし、内容が内容だ。麻耶が死ななければならなかった理由を説明できるようなものではない。
「わかりません」僕は言った。「きっと誰にもわからないでしょう。ただ、彼女が何かしらの疎外感を抱いていたのではないかとは思っています」
「疎外感、か」星哉さんは繰り返した。
「ええ。それはきっと、周りに家族や友だちがいても決して払拭できないものだったのではないかと」
「それを改めて実感したのが修学旅行だと?」
「僕はそう考えています」
「……オルゴールの件に関してはどう思う? 話を聞く限り、あれは明確な悪意を伴った事件だ」
「ええ、でも……彼女は或いは犯人に察しがついていたのかもしれません。だから事を荒立てなかった」
 折笠さんが「そうなの?」と言ったように視線を向けて来る。
「知り合いが犯人だとわかったなら、その方がショックなんじゃないかい」
「普通ならそうでしょうね」僕は言った。「それこそ泣きたくなるかもしれません」
「あの子は違ったと?」
「少なくとも同級生の前で彼女は涙を見せませんでした」
「だからって悲しまなかったとは言い切れない」
「ええ。でも、もしも何も感じなかったのだとしたら、彼女はより疎外感を深めたでしょう。泣けない自分にこそ、一番傷ついたのかもしれません」
 星哉さんはしばらく考え込むようにして、ハンドルの上で指をタップし続けた。やがて、大きく息を吐き、告げる。「けっきょく、残された者には何もわからない。どう受け止めるかが選べるだけなんだな」
「そうですね」
 それから改めて別れを告げる。そうして、僕と折笠さんは秩父を後にした。