「それで、君は麻耶と仲良くなった?」
「うん。恩もあったし、いじめから助けてくれなかった子たちよりは実際に助けてくれたあの子の方がよっぽど立派に思えて。それで尊敬したんだと思う。わたしの方から一方的に懐いて、それで、あの子も少しずつ心を開くようになってくれた、と思う。あの子は別に自分の力を誇示したいとか、尊敬されたいとは思ってなかった。ただ、凪に至りたかっただけ。わたしはその邪魔にはならないって、言ってくれて、ただ一緒にいて、お話ししたり、しなかったりしながら、同じ時間を共に過ごした。言葉なんてなくても、あの子との間に流れる時間はとても心地よくて、次第に尊敬というよりは親愛みたいなものを感じるようになった。あの子が自分で言ってた通りの子だって、心から理解できたから。あの子はよく気づいたら居眠りしていて、わたしの肩や背中に持たれるようにしてすやすやと眠っていた。その顔は本当に安らかで、幸せそうで……その顔を見る権利を得られたことが、わたしにはとても特別なことのように思えた。あの子がそんな風に心を許す相手は他にいなかっただろうから」
 話が一区切りしたらしい。そこで、珊瑚はしばらくの間黙り込んだ。
「これが、わたしが知るあの子のこと。何か訊きたいことはある?」
「オルゴール」僕はしばらく考えた後言った。「麻耶が大事にしてたオルゴール。あれは君が贈ったもの?」
 珊瑚は頷いた。「そう。いつかの、あの子の誕生日に。そんなに特別なものじゃないよ。子供でも手が届く値段の、木製の箱のオルゴール。だけど、あの子は大事にしてくれた。あの音色に耳を傾けてると、海を感じるんだって。波一つ立たない海、凪を。手前味噌だけど、実際、あのオルゴールを渡してから、あの子はいっそううまくやれるようになったと思う」
「うまく擬態できるように?」
「そう」
「でも、オルゴールは壊されてしまった」僕は言った。「それが彼女の精神にどの程度影響があったと思う?」
「わからない。別にオルゴールがなくたって、あの子ならどうとでも周りをいなせたとは思う。ただ、その負担がいくらか増すだけで。心の海に少し波風が立つだけで」珊瑚は言った。「少なくとも、オルゴールが壊されたくらいで、死の引き金にはならないと思う」
 だが、その引き金に少し力を込めるきっかけにはなったかもしれない。
「いつかの自由研究で麻耶が君の家に入り浸ってたって聞いたけど」
「ああ、あったな。そんなこと」珊瑚は言った。「秩父と彩都――大宮の信仰を比較分析したレポートを書いてたの」
「うん。そう聞いてる。君は詳しい内容を知ってる?」
「執筆中のレポートには目を通したけど……それも五年近く前のことだから、あまりよく覚えてないの」珊瑚は言った。「それが何か鍵になると思う?」
「麻耶は自分をアラハバキになぞらえていた。中氷川神社に祀られる土着の神に。荒ぶる龍神に。きっと、そうなるきっかけがその自由研究なんじゃないかな」
「たしかに、あの子はそんなことを言ってたけど……」
「君の実家は秩父神社と関係があると聞いたけど」
「うん。神仏分離の際、秩父神社から仏教的な要素が徹底的に排除されたの。その際に、受け入れたのがうちの実家」
「それで麻耶は君の家の人たちに話を聞いてた?」
「うん」
「ずいぶんと入れ込んでたみたいだね」
「たしかに、あの子らしくないとは思った。あんな風に何かに熱中するなんて。例外があるとしたら、猫くらいだったから。よくうちの猫と遊んでくれて――」
「占いは? 麻耶が進んではじめたことなんだよね?」
「そうだけど、あれはなんというか、成り行きだと思う。試しにやってみたら思った以上に好評で、あの子としては不本意なくらい注目を集めるきっかけになってしまった。そういう風に自嘲してた」
「でも、麻耶は高校でも同じように占いをしてたよ」
「うん。占いには消極的だったし、それは最後まで変わらなかったと思う。だけど、あの子にとってはある種のコミュニケーションの手段だったんじゃないかな。それに、周りで余計な波風を立てないための。あの子の凪を守るための手段」
「だから、消極的でも続けざるを得なかったと?」
「わからない。でも向こうでも続けてたならそういうことなんじゃないかな。それに、占いの前にはいつも凪に入ってたから。それは何かしらの必要に迫られないと容易にはできないことだってあの子は言ってた。占いがそれにはちょうどいいんだって」
「じゃあ、彼女にとってはプラマイゼロか、あるいはある程度の収益が見込めたってことになるのかな」
「たぶん」
 それからお互いに、細かい質疑応答を繰り返した。珊瑚にとっては、麻耶について話すこと自体が。
「ありがとう。麻耶のこと話してくれて」
「ううん、こちらこそ。なんだか少し、楽になった気がする。旅行なんかよりずっと」それから、珊瑚はつーっと涙を流した。涙を拭いながら続ける。「ごめんなさい。でも楽になるのと同時に、もうあの子はいないんだって実感が強くなって」
 折笠さんがおずおずと珊瑚の手を握った。そのことに自身も戸惑っているように見える。珊瑚が折笠さんを見つめる。折笠さんは何か言おうとするかのように口を開いては閉じ、しかし、手は離さなかった。
「最後に一つ訊いてもいいかな?」僕は尋ねた。
「何?」
「オルゴールを買った店を教えてほしいんだ」
「オルゴールを?」珊瑚は怪訝そうに言った。「えっとね、近くにオルゴール館があるの。通販もやってるんだけど……」
 その住所を教えてもらった。ついでに連絡先も交換する。
「秩父にはいつまでいるの?」
「そうだね……台風が直撃しそうだし今日中に帰ることになるかもしれない。こうして、一番、話したかった人とは話せたしね。あとは、例のレポートさえ見つかればいいんだけど」
 雨は徐々に勢いを増しつつあった。早朝からの強行軍が堪えたらしい、珊瑚はうつらうつらとしはじめ、折笠さんのベッドで仮眠を取ることとなった。
「あまり騒がしくするわけにもいかないね」
「そうだね。まずは葉月君の部屋を探してみる」
「うん、お願い。僕はちょっと出かけて来るよ」
「この大雨の中? どこに行くの?」
「星哉さんに車を出してもらうよ」僕は頷いた。「話を聞いてたら、僕もオルゴールがほしくなってね」