岸辺珊瑚は細身の少女だった。あるいは、麻耶の件で憔悴しているのかもしれない。いずれにせよ、全体的に線が細く、自毛の黒さが目立ちはじめたダークブラウンの重たいボブヘアーがヘルメットのように頭を覆っていた。伸びた前髪を右側に流しており、片目が見えない。顔には化粧っ気がなく、すっぴんに見えた。
雨の中、ビニール傘で訪れてきたらしい。ダボっとしたクリーム色のニットと、黒いスキニーパンツ、それに顔や髪も雨に濡れていた。いまは瑤子さんが出したタオルでそれらを拭っている。
僕らの部屋、かつて麻耶のものだった部屋で。
「急にごめんなさい」珊瑚は詫びた。「何度か電話したんだけど――」
「ああ、ごめん」僕も詫びる。「僕がスマホに不慣れで」
「ううん。夜中だったし」
「えっと、東京に旅行してたって話だけど」
「そう。だから始発で帰ってきた」
「それでこんなに早く着くものなの?」
「ええ、ほとんど東京からここまではほとんど一直線だから」
「さすが、東京からだと早いな……」
県内を東西に移動するのとはわけが違う、というわけだ。
「それで、あなたたちがあの子の同級生?」
「うん。でも、どっちかというとあの子の姉の友だちという方が適切かもしれない。僕らは生前の彼女と話したことがないからね」
簡単に経緯を説明する。真理亜との出会い、そして麻耶の死について調べると約束したこと。
「しかし、君も僕らみたいな得体の知れない連中のためにずいぶんと思い切ったことをしたね」
「友だちには止められたけどね。でも、台風も来るし、いてもたってもいられなくて」珊瑚は自嘲するように言った。「そもそも、旅行なんて乗り気じゃなかったの」
「それは麻耶のことがあったから?」
珊瑚は頷いた。
「麻耶のことを調べてるんでしょ?」
「うん」
「わたしはあなたたちが知らない麻耶を知っている。そして、あなたたちもおそらくわたしが知らない麻耶を知っている。二つを組み合わせれば、あの子があんな選択肢を取った理由がわかるかもしれない。そうでしょ?」
「そうかもしれないね」
僕らはこれまで調べたことをなるべく丁寧に説明した。同級生たちの証言、真理亜の証言、そして秩父に来てから得た証言。
「そう、あの子はうまくやれてたんだ」
「うまく?」
「そう、うまく擬態できてたってこと」珊瑚は言った。「あの子が転校してきたときのことは聞いてるでしょ。あれであの子は一躍注目の的になった。なってしまった。本人としては、穏便かつ隠密に事を進めたつもりだったんだろうけどね」
「彼女は目立つことを望んでいなかった?」
「うん。だから普通を演じてた。だけど……そう。嘘泣きまでできるほど器用ではなかったか」
しみじみと、その事実を噛みしめるように言う。
「今度はこっちから訊いてもいい?」僕は尋ねた。
「もちろん。何から聞きたい?」
「まずは君たちの出会いから」
「たしかに、それが順当か」珊瑚は呟いた。「おおよその経緯は知ってるでしょ。あの子が転校してきて、その挨拶っていう体で、うちにも来たの。でも、わざわざ不登校の子のとこに挨拶しに来るなんて変な話でしょ。だからわたしもお母さんも怪訝に思った」
「まあ、僕ならわざわざそんなことはしないだろうね」
「うん。だから、どんな変わり者かと思った。暑苦しいくらい楽天的で、学校に行こうよって強要してくるような、押しつけがましい子なんじゃないかって。でも違った。あの日も雨で、あの子は学校指定のポンチョを纏ってやってきた。それで、わたしの部屋に通されて、二人で話すことになった。同級生の子とはなすなんて久しぶりのことで、わたしはひどく緊張してた。そもそも、わたしが不登校になったのは、その同級生たちからいじめられてたせいだったし……もちろん、彼女はそんなこととは関係がない、外部の子だったけれど。だから、いちおう話してみるかって通してもらったの。麻耶って名前も、寺の子供としては興味を引かれたしね。想像に反して、彼女はとても静かな子だった。寺の子のわたしから見ても姿勢がきれいで、いいとこの育ちなんだろうなって思った。あるいは、都会の子たちはみんなそうなのかもって。あの子はまず自分のことを紹介して、埼玉からのお土産だって十万石饅頭を渡してきた。ここで一緒に食べようって。おかしいよね、ここも埼玉なのに。それで、お母さんにお茶を出してもらって、わたしたちは黙々と十万石饅頭を口に運んだ。そういう時間がしばらく続いた。正直言って、気まずかった。初対面の子と無言のまま、おやつの時間を共にするなんて。それで、わたしの方から尋ねた。なんで、わざわざ来たのかって」
「彼女はなんて?」
「あくまで挨拶だって言ってた。だけど、同時に、これからクラスの雰囲気はいくらかよくなるとも言っていた。都会からの転校生ってことであの子はクラスの注目を集めてた。なにせ、小学校から中学校までずっと同じ面子の持ち上がりだから。転校生が来るってだけでも、みんな新鮮だったんだと思う。彼女はそうやってクラスの子たちと交流を持ち、そして現状を把握した。いじめっ子がのさばって、のうのうとしている、荒廃したクラスの現状を。そして、大多数の同級生がそれを快く思っていないこと、それでも、いじめっ子に対抗して空気を換えるのはむずかしいと感じていることを」
「それを変えるっていうのは相当のことだね」
「うん。だから最初は信じなかった。なんだかんだで、わたしを引っ張り出しに来たお節介な子なのかもって。だけど、あの子はふっと微笑んで、すぐにわかる、って言った。あなたがここに閉じこもっていても、明らかなくらいにって」
「彼女には自信があったわけだ」
「うん。そして、実際に彼女はそれをやってのけた。引きこもってたわたしには、どうやったのかはわからない。後になって、クラスの子たちから聞いただけ。いじめっ子の取り巻きを一人ずつ切り崩してリーダー格の子を孤立させたって。そうなる過程で、クラスの子たちも家に来るようになった。クラスの雰囲気が良くなりつつあるって。あの子も、程なくして再度尋ねてきた。あと一押しですべてが終わるって。だから、あなたにも見届けてほしいって。わたしはどうしてそこまでするのかって、尋ねた。優しさ、正義感、そのどれもあの子の動機を言い表す言葉としては当てはまらないような気がして。そしたら、あの子は言った。うるさいのは好きじゃない。だから、静かにしてもらうことにしたって。そのとき、海のことについても話してくれた。あの子が心の奥底に持つ、海のことを。波風一つ立たない、完全な凪の世界を。あの子はそこに至ることを求めていた。そのためには、いじめっ子たちが邪魔だった。いや、他に方法が思いつかなかったからとりあえずいじめっ子を一掃してみることにしたって。自分にはそれができるってわかってたから」
「それで、君は学校に?」
「うん。その最後の仕上げっていうのに、わたしは興味がわいてきた。それで、久しぶりに登校するようになった。あの子は待ってたよ、って微笑んで、その最後の仕上げっていうのを見せてくれた。すでに孤立気味だったいじめっ子のリーダーの目の前で、数少ない取り巻きを全員引きはがして、完全に孤立させた。最初から、そういう筋書きだったみたい。取り巻きの子たちは合図を受けたみたいに、たやすくリーダー格の子を裏切って、本音を吐き出すようにしてありったけの罵詈雑言でリーダーの子を罵った。それで、おしまいだった。リーダー格の子は次の日から学校に来なくなった」
「完全に立場が逆転したわけだね」
「そう。あの子が計画したとおりになった。あの子は、最初からリーダーの子一人にクラスみんなの怒りが向くように仕向けてたみたい。寝返った取り巻きたちには悪感情を持たないように。全部、リーダー格の子が悪かったんだって。実際、あの子が思うままに彼らの心を操り、寝返らせたのを見ると、みんな納得せざるを得なかったんだと思う。悪いのはあくまでボス猿であって、その立場が取って代われば、リバーシみたいに趨勢は一気に反転するんだって」
「その新しいボス猿というのが麻耶?」
「あの子自身は表立ってそういうことはしたがらなかったけどね。実際、進級しても学級委員としてクラスを導く立場は他の子に任せてた。あの子はあくまで有事の際に、戦況を一変させる軍師でしかないとでもいうみたいに、平時では大人しくしてた」
「平時、ね」
「そう。その平時は中学を卒業するまでずっと続いた。あの子がこの地を立ち去るまでずっと」
雨の中、ビニール傘で訪れてきたらしい。ダボっとしたクリーム色のニットと、黒いスキニーパンツ、それに顔や髪も雨に濡れていた。いまは瑤子さんが出したタオルでそれらを拭っている。
僕らの部屋、かつて麻耶のものだった部屋で。
「急にごめんなさい」珊瑚は詫びた。「何度か電話したんだけど――」
「ああ、ごめん」僕も詫びる。「僕がスマホに不慣れで」
「ううん。夜中だったし」
「えっと、東京に旅行してたって話だけど」
「そう。だから始発で帰ってきた」
「それでこんなに早く着くものなの?」
「ええ、ほとんど東京からここまではほとんど一直線だから」
「さすが、東京からだと早いな……」
県内を東西に移動するのとはわけが違う、というわけだ。
「それで、あなたたちがあの子の同級生?」
「うん。でも、どっちかというとあの子の姉の友だちという方が適切かもしれない。僕らは生前の彼女と話したことがないからね」
簡単に経緯を説明する。真理亜との出会い、そして麻耶の死について調べると約束したこと。
「しかし、君も僕らみたいな得体の知れない連中のためにずいぶんと思い切ったことをしたね」
「友だちには止められたけどね。でも、台風も来るし、いてもたってもいられなくて」珊瑚は自嘲するように言った。「そもそも、旅行なんて乗り気じゃなかったの」
「それは麻耶のことがあったから?」
珊瑚は頷いた。
「麻耶のことを調べてるんでしょ?」
「うん」
「わたしはあなたたちが知らない麻耶を知っている。そして、あなたたちもおそらくわたしが知らない麻耶を知っている。二つを組み合わせれば、あの子があんな選択肢を取った理由がわかるかもしれない。そうでしょ?」
「そうかもしれないね」
僕らはこれまで調べたことをなるべく丁寧に説明した。同級生たちの証言、真理亜の証言、そして秩父に来てから得た証言。
「そう、あの子はうまくやれてたんだ」
「うまく?」
「そう、うまく擬態できてたってこと」珊瑚は言った。「あの子が転校してきたときのことは聞いてるでしょ。あれであの子は一躍注目の的になった。なってしまった。本人としては、穏便かつ隠密に事を進めたつもりだったんだろうけどね」
「彼女は目立つことを望んでいなかった?」
「うん。だから普通を演じてた。だけど……そう。嘘泣きまでできるほど器用ではなかったか」
しみじみと、その事実を噛みしめるように言う。
「今度はこっちから訊いてもいい?」僕は尋ねた。
「もちろん。何から聞きたい?」
「まずは君たちの出会いから」
「たしかに、それが順当か」珊瑚は呟いた。「おおよその経緯は知ってるでしょ。あの子が転校してきて、その挨拶っていう体で、うちにも来たの。でも、わざわざ不登校の子のとこに挨拶しに来るなんて変な話でしょ。だからわたしもお母さんも怪訝に思った」
「まあ、僕ならわざわざそんなことはしないだろうね」
「うん。だから、どんな変わり者かと思った。暑苦しいくらい楽天的で、学校に行こうよって強要してくるような、押しつけがましい子なんじゃないかって。でも違った。あの日も雨で、あの子は学校指定のポンチョを纏ってやってきた。それで、わたしの部屋に通されて、二人で話すことになった。同級生の子とはなすなんて久しぶりのことで、わたしはひどく緊張してた。そもそも、わたしが不登校になったのは、その同級生たちからいじめられてたせいだったし……もちろん、彼女はそんなこととは関係がない、外部の子だったけれど。だから、いちおう話してみるかって通してもらったの。麻耶って名前も、寺の子供としては興味を引かれたしね。想像に反して、彼女はとても静かな子だった。寺の子のわたしから見ても姿勢がきれいで、いいとこの育ちなんだろうなって思った。あるいは、都会の子たちはみんなそうなのかもって。あの子はまず自分のことを紹介して、埼玉からのお土産だって十万石饅頭を渡してきた。ここで一緒に食べようって。おかしいよね、ここも埼玉なのに。それで、お母さんにお茶を出してもらって、わたしたちは黙々と十万石饅頭を口に運んだ。そういう時間がしばらく続いた。正直言って、気まずかった。初対面の子と無言のまま、おやつの時間を共にするなんて。それで、わたしの方から尋ねた。なんで、わざわざ来たのかって」
「彼女はなんて?」
「あくまで挨拶だって言ってた。だけど、同時に、これからクラスの雰囲気はいくらかよくなるとも言っていた。都会からの転校生ってことであの子はクラスの注目を集めてた。なにせ、小学校から中学校までずっと同じ面子の持ち上がりだから。転校生が来るってだけでも、みんな新鮮だったんだと思う。彼女はそうやってクラスの子たちと交流を持ち、そして現状を把握した。いじめっ子がのさばって、のうのうとしている、荒廃したクラスの現状を。そして、大多数の同級生がそれを快く思っていないこと、それでも、いじめっ子に対抗して空気を換えるのはむずかしいと感じていることを」
「それを変えるっていうのは相当のことだね」
「うん。だから最初は信じなかった。なんだかんだで、わたしを引っ張り出しに来たお節介な子なのかもって。だけど、あの子はふっと微笑んで、すぐにわかる、って言った。あなたがここに閉じこもっていても、明らかなくらいにって」
「彼女には自信があったわけだ」
「うん。そして、実際に彼女はそれをやってのけた。引きこもってたわたしには、どうやったのかはわからない。後になって、クラスの子たちから聞いただけ。いじめっ子の取り巻きを一人ずつ切り崩してリーダー格の子を孤立させたって。そうなる過程で、クラスの子たちも家に来るようになった。クラスの雰囲気が良くなりつつあるって。あの子も、程なくして再度尋ねてきた。あと一押しですべてが終わるって。だから、あなたにも見届けてほしいって。わたしはどうしてそこまでするのかって、尋ねた。優しさ、正義感、そのどれもあの子の動機を言い表す言葉としては当てはまらないような気がして。そしたら、あの子は言った。うるさいのは好きじゃない。だから、静かにしてもらうことにしたって。そのとき、海のことについても話してくれた。あの子が心の奥底に持つ、海のことを。波風一つ立たない、完全な凪の世界を。あの子はそこに至ることを求めていた。そのためには、いじめっ子たちが邪魔だった。いや、他に方法が思いつかなかったからとりあえずいじめっ子を一掃してみることにしたって。自分にはそれができるってわかってたから」
「それで、君は学校に?」
「うん。その最後の仕上げっていうのに、わたしは興味がわいてきた。それで、久しぶりに登校するようになった。あの子は待ってたよ、って微笑んで、その最後の仕上げっていうのを見せてくれた。すでに孤立気味だったいじめっ子のリーダーの目の前で、数少ない取り巻きを全員引きはがして、完全に孤立させた。最初から、そういう筋書きだったみたい。取り巻きの子たちは合図を受けたみたいに、たやすくリーダー格の子を裏切って、本音を吐き出すようにしてありったけの罵詈雑言でリーダーの子を罵った。それで、おしまいだった。リーダー格の子は次の日から学校に来なくなった」
「完全に立場が逆転したわけだね」
「そう。あの子が計画したとおりになった。あの子は、最初からリーダーの子一人にクラスみんなの怒りが向くように仕向けてたみたい。寝返った取り巻きたちには悪感情を持たないように。全部、リーダー格の子が悪かったんだって。実際、あの子が思うままに彼らの心を操り、寝返らせたのを見ると、みんな納得せざるを得なかったんだと思う。悪いのはあくまでボス猿であって、その立場が取って代われば、リバーシみたいに趨勢は一気に反転するんだって」
「その新しいボス猿というのが麻耶?」
「あの子自身は表立ってそういうことはしたがらなかったけどね。実際、進級しても学級委員としてクラスを導く立場は他の子に任せてた。あの子はあくまで有事の際に、戦況を一変させる軍師でしかないとでもいうみたいに、平時では大人しくしてた」
「平時、ね」
「そう。その平時は中学を卒業するまでずっと続いた。あの子がこの地を立ち去るまでずっと」

