雨は翌朝まで降り続いた。窓の外は薄暗く、灰色の雲が見渡す限りを覆っている。台風は相変わらず埼玉に直撃するともしないとも判断しかねる微妙な軌道を取っているらしい。
「葉月君、起きてる?」間仕切りの向こうから折笠さんが言った。僕は「うん」と答え、間仕切りを開いた。
「って、なんで開けるの!」折笠さんは慌てて間仕切りに手をかけた。
「ああ、ごめん。寝惚けてて。でも何でそんな慌ててるの」
 見たところ、特に恥ずかしい恰好ではない。
「すごい寝癖とかついてたら恥ずかしいでしょ!」
 向こうも起きたばかりらしい。
「見られて恥ずかしいような寝癖はついてないよ」僕はあくびをした。「先に顔洗ってくれば?」
「……そうする」折笠さんはそう言って、部屋を後にした。
 一人きりになったところでふと気づいた。股間がテントを張っている。恥ずかしい恰好をしていたのは僕の方らしい。
「ばれてないといいけど……」
 股間の血が引いていくのを感じながら、考える。さて、今日はどうしたものかと。

「車出そうか?」朝食の席で星哉さんが提案した。「雨だと動きづらいだろう」
「いえ、今日は特に行き先も決まってないので」僕は漬物を箸で掴みながら言った。「でも、もし必要ならお願いできますか」
「そのつもりで予定は空けているよ」星哉さんは言った。
「予定なんて、最初からないでしょうに」瑤子さんが呆れたように言った。「若い子がいるからって、格好つけちゃってまあ」
「あのなあ、お袋。子供部屋おじさんにだって付き合いってものがあるんだよ」
「いい年した男同士つるんで、遊ぶだけでしょう」瑤子さんは言った。「母親同士でどういう会話をしてるか聞かせたいものだわ」
「俺は別に構わないけどな」星哉さんはかっかと笑った。「遊びがなくて何が人生か。な、少年」
「はあ、まあそうですね」
「葉月君を巻き込まないの」瑤子さんは窘めた。僕に向かって続ける。「こんな大人にならないで、とは言わないけど、間違っても模範にはしないでね」
「善処します」
「珊瑚ちゃんから連絡はあった?」
「それがまだで……」
「そう。旅行だものね。向こうは向こうで忙しないのかも」
「珊瑚さんはこの家にもよく来てたんですか?」折笠さんが問う。
「ええ。どちらかというと、麻耶ちゃんの方が遊びに行くことの方が多かったと思うけれど」
「そうそう」星哉さんが頷いた。「元々は不登校だった珊瑚ちゃんちに遊びに行くようになったのがきっかけだったしな。それに――そうだ。いつかの自由研究でお寺のことを調べてたっけ」
「自由研究?」
「そう、珊瑚ちゃんちはお寺だろ? あのお寺は秩父神社とも関係が深くてね……なんでも神仏分離の際に色々あったんだと。それで、麻耶ちゃんは秩父の信仰に興味を持ったらしい。自分の地元――彩都の信仰と比較して分析するような内容のレポートを書いたんだってさ」
「彩都と言ったら、大宮の氷川神社が有名だものね」瑤子さんが言う。「地元のあなたたちの方が詳しいでしょうけど、氷川神社もけっこう特殊な神社らしいわね」
「特殊……ですか」
「ええ。この国には、明治の文明開化まで神仏習合の時代があったでしょう? 神道と仏教、神社と寺院が互いに影響し合い共存していた時代が。でも、氷川神社は仏教の影響をほとんど受けなかったみたいでね」
「そうなんですか?」
「ええ、これは麻耶ちゃんの受け売りだけれど……」瑤子さんはそこで思いついたように、「あなたたちが使ってる部屋のどこかにそのレポートが残ってるかもしれないわね。あの部屋はあの子の部屋だったから」
「たしかに少し興味がありますけど……僕らが家探しみたいなことをするわけには……」
「構わないんじゃないかしら」瑤子さんは言った。「あなたたちは真理亜ちゃんの信用を受けてここにいるんだもの。あの子にとって本当に大事なものは全部向こうに持って行ったでしょうしね」
「じゃあ、折笠さんお願いできる?」
「なんでわたし?」
「いや、男の僕が漁るよりましかなって」
「それはそうだけど……」折笠さんは困ったように瑤子さんの方を伺った。
「好きに探して」瑤子さんは言った。「たしか、レポートはたしかルーズリーフだったはず」
「これでやることができたね」
「葉月君はどうするの?」
「さてね」僕はお茶を口に含んだ。「珊瑚さんからの連絡待ちかな」
 そんなことを話しながら朝食を終え、片づけを手伝っていると、ふと遠くからスマートフォンの着信音が聞こえた気がした。
「葉月君のスマホじゃない?」
 部屋に戻り、自分のスマートフォンを確認すると、見覚えのない番号からの着信があった。よく見ると、朝までに何度か着信があったようだ。
「なんで気づかないの?」
「熟睡してたんだろうね」僕は言った。「それに、普段履歴を確認することなんてないし……」
 何せ、僕に電話をかけてくる人間なんてそういない。
「珊瑚さん……かな」
「まあ、彼女くらいしかいないんじゃないかな」僕は言った。「何にしても、こっちからかけ直せばすぐにわか――」
 僕の言葉を遮るようにして、インターフォンのチャイムが鳴った。瑤子さんが応答する様子が聞こえる。
「珊瑚ちゃん!?」
 僕と折笠さんは顔を見合わせた。