雨が降る前に僕らは調査を切り上げ、箒木家に戻った。
「ああ、うん。だから大丈夫だって」僕は電話越しに言った。「相手は折笠さんだよ? 変な気なんて起きるわけないって。じゃあね、愛してる」
電話を切った。視線を上げると、折笠さんがチベスナ顔でこちらを見つめていた。
「何?」
「別に。なんというか、本当にラブラブなんだなって」
「いつも言ってるでしょ」
「そうだけど、なんというか、実際にそういうやりとりをしてるのを横で聞く身にもなってほしい」
確かに、逆の立場なら少し気まずいかもしれない。
「まあ、そうだね。今度から気をつけるよ」言いながら、窓の外を見やる。すでに外は暗く、雨がしとしとと降っている。明日も雨の予報だ。
箒木家に帰ってきた僕たちは、夕食をいただき、順番にシャワーを浴びて部屋に戻ってきた。珊瑚からの連絡はまだない。せっかくの東京旅行だ。それどころではないのだろう。
「明日はどうする?」折笠さんが尋ねてきた。
「できれば、もうちょっと話を聞いて回りたいけどね」
「また同級生の子たちに会って回るの?」
「そうだね……それ以外選択肢はなさそうだ」
寺を去った後、僕らは麻耶の同級生だった子たちを何人か訪ねた。
――箒木さん? もちろん、覚えてるよ。あの子が来たおかげでうちのクラスは持ち直したんだから。そうそう、不登校だった岸辺さんを学校に連れ戻したのもそうだし、いじめっ子たちを徐々に切り崩して最終的にリーダーを孤立させたのも箒木さんだった。可笑しいよね。いままでいじめる側だった子が逆に不登校になっちゃって。でも、わたしたちからすれば、その方がよっぽどよかった。正直、すっきりしたよね。
――ああ、あの子か。すごかったね。本人は目立たない雰囲気なんだけど、人心掌握っていうの? そういうのがすごくうまくてね。知らないうちにこっちの弱みを握ってたりしてさ。気づいたら主導権を奪われてるんだ。っていうのも、俺もいじめっ子の取り巻きで、直接体験したからこそ言えるんだけど……ああ、決して直接的な脅しはしない。でも、彼女が望むようにしなかったらどうなるかを淡々と冷静に諭してくるんだ。ありゃ怖かったよ。ここらは一学年一クラスで中学まで持ち上がり式だからね。あの子が転校して来てからはずっと、俺らはあの子の支配下にあった。そんな気がする。
――占い? たしかにそういうことをやってるのは見たことがある。そうだね、中学に上がってからかな。水晶玉とかタロットを持ち歩いてるわけじゃなかったんだけどね、そこらにあるものを使って何でも占いにできた。文房具とか、雲の形とか、担任の髭の伸び具合まで。
――ああ、うん。僕は中学からここに引っ越してきたんだ。それで、箒木さん……だっけ。たしかに周囲があの子に一目置いてるのは伝わってきたよ。僕にはいまいちその理由がわからなかったけどね。あの子は目立つ方じゃなかったし、だからって特別暗いって感じでもなかった。周囲には常に友だちがいたし、控えめだけど表情の変化も見て取れた。普通の子だって思ったよ。だけど、みんなからしたらそうじゃないらしくてね。ああ、小学校のときの子とは聞いたよ。だけど、信じられないんだ。僕も何度かあの子と話したことはあるけど、そんなカリスマみたいなものは特に感じなかったしね。みんなで僕を担ごうとしてるようにしか思えなかったよ。
――うんうん、珊瑚はずっとあの子に恩を感じてたと思う。でも、それだけじゃないっていうか、あの二人は波長が合ったんだろうね。お互い一番の親友だったんじゃないかな。珊瑚といるときのあの子は、なんというか、少し雰囲気が違ったんだよね。無理してないっていうか。うん、そりゃうちらだってお世辞とか社交辞令みたいなものは言うじゃん? でも、それが全てでもない。それが普通だと思う。だけど、あの子は違ったんだよ。これは主観なんだけどさ。あの子にとっては言葉の一つ一つ、表情の変化の一つ一つがすべて計算されたものに見えたんだよね。無難っていうか、普通っていうか、そんな感じで相手の印象に残らない、女子中学生として違和感のない言動を絶えず選択して演じてるような、そんな感じ。わかる? そう、珊瑚といるときはそういう無理をしてないように思えた。会話を傍から聞いてるだけだったんだけどね、ぞっとするような冷たいことも珊瑚の前ではさらっと言ってたし、珊瑚もそれを特に気にしてる風もなかった。きっとあれが、あの子の素なんだろうね。
「まさか、麻耶がクラスを牛耳ってたとはね」
「牛耳ってたっていうのとはちょっと違う気もするけど……」
「じゃあ、何? 裏番とか? あるいはフィクサー?」
「そんな単純な言葉でくくれるものじゃないんじゃない?」
「そうらしいね」僕はベッドに背を預けた。「転校してきてすぐに、麻耶はクラスの悪玉を善玉化して秩序を取り戻した。小学校から中学校まで面子が変わらないこの地域では、その功績がずっと尾を引いていた。一部の例外を除いて、みんな麻耶に一目置いていた。そんな感じだね」
「うん。聞いたところ、その転校当初以降は特に目立ったことはしてないみたいだし……」
「むしろ、極力目立たないようにしてたようにも思える」僕は言った。「彼女なりに目立ちすぎて面倒なことになったと反省したのかもしれないね。あるいは単に力を振るう必要がなかったのか」
「力って、その……人心掌握みたいなこと?」
「そう。占いもきっとその延長線上のものなんだろうね。例の聖徳太子顔負けの特技もあるし、相当頭が回る子だったみたいだ」
「そうだね」
「とはいえ、やっぱり珊瑚って子の話を聞かないことにははじまらない気もするんだよね」
「でも、直接は会って話せない」
「ああ、それが痛いところだね。彼女が麻耶の一番の理解者だったことは間違いないみたいだし」
「でも連絡先を渡したなら、彩都に帰ってからでも話せるんじゃない?」
「そうなんだけどね、だけどやっぱりじかに話を聞いてみたいでしょ。表情や仕草が物語るものの大きさは侮れない」
「……珊瑚さんも月曜には帰ってくるんでしょ? わたしたちがぎりぎりまで出発を待てば会って話せないかな」
「問題はそんな余裕があるかどうかなんだよね」僕はスマートフォンを見せた。「台風の進路次第では予定よりも早く帰らないといけないかもしれない」
台風の予想ルートには、埼玉を直撃するものもあった。
「……月曜日に直撃する可能性があるんだね。そしたら多分電車も止まる」
「うん」僕は頷いた。「もちろん珊瑚たちも予報は気にしてるだろうし、場合によっては早く帰ってくるかもしれない。だけど、僕らにそれを待ってる余裕はないかもしれない」
「向こうが滞在を伸ばす可能性もあるね」
「台風が直撃するならどのみち学校も休みになる可能性はあるからね」僕は言った。「僕らは明日、判断を下さないといけない。秩父に留まるのか、その日のうちに帰路に着くのか」
「ああ、うん。だから大丈夫だって」僕は電話越しに言った。「相手は折笠さんだよ? 変な気なんて起きるわけないって。じゃあね、愛してる」
電話を切った。視線を上げると、折笠さんがチベスナ顔でこちらを見つめていた。
「何?」
「別に。なんというか、本当にラブラブなんだなって」
「いつも言ってるでしょ」
「そうだけど、なんというか、実際にそういうやりとりをしてるのを横で聞く身にもなってほしい」
確かに、逆の立場なら少し気まずいかもしれない。
「まあ、そうだね。今度から気をつけるよ」言いながら、窓の外を見やる。すでに外は暗く、雨がしとしとと降っている。明日も雨の予報だ。
箒木家に帰ってきた僕たちは、夕食をいただき、順番にシャワーを浴びて部屋に戻ってきた。珊瑚からの連絡はまだない。せっかくの東京旅行だ。それどころではないのだろう。
「明日はどうする?」折笠さんが尋ねてきた。
「できれば、もうちょっと話を聞いて回りたいけどね」
「また同級生の子たちに会って回るの?」
「そうだね……それ以外選択肢はなさそうだ」
寺を去った後、僕らは麻耶の同級生だった子たちを何人か訪ねた。
――箒木さん? もちろん、覚えてるよ。あの子が来たおかげでうちのクラスは持ち直したんだから。そうそう、不登校だった岸辺さんを学校に連れ戻したのもそうだし、いじめっ子たちを徐々に切り崩して最終的にリーダーを孤立させたのも箒木さんだった。可笑しいよね。いままでいじめる側だった子が逆に不登校になっちゃって。でも、わたしたちからすれば、その方がよっぽどよかった。正直、すっきりしたよね。
――ああ、あの子か。すごかったね。本人は目立たない雰囲気なんだけど、人心掌握っていうの? そういうのがすごくうまくてね。知らないうちにこっちの弱みを握ってたりしてさ。気づいたら主導権を奪われてるんだ。っていうのも、俺もいじめっ子の取り巻きで、直接体験したからこそ言えるんだけど……ああ、決して直接的な脅しはしない。でも、彼女が望むようにしなかったらどうなるかを淡々と冷静に諭してくるんだ。ありゃ怖かったよ。ここらは一学年一クラスで中学まで持ち上がり式だからね。あの子が転校して来てからはずっと、俺らはあの子の支配下にあった。そんな気がする。
――占い? たしかにそういうことをやってるのは見たことがある。そうだね、中学に上がってからかな。水晶玉とかタロットを持ち歩いてるわけじゃなかったんだけどね、そこらにあるものを使って何でも占いにできた。文房具とか、雲の形とか、担任の髭の伸び具合まで。
――ああ、うん。僕は中学からここに引っ越してきたんだ。それで、箒木さん……だっけ。たしかに周囲があの子に一目置いてるのは伝わってきたよ。僕にはいまいちその理由がわからなかったけどね。あの子は目立つ方じゃなかったし、だからって特別暗いって感じでもなかった。周囲には常に友だちがいたし、控えめだけど表情の変化も見て取れた。普通の子だって思ったよ。だけど、みんなからしたらそうじゃないらしくてね。ああ、小学校のときの子とは聞いたよ。だけど、信じられないんだ。僕も何度かあの子と話したことはあるけど、そんなカリスマみたいなものは特に感じなかったしね。みんなで僕を担ごうとしてるようにしか思えなかったよ。
――うんうん、珊瑚はずっとあの子に恩を感じてたと思う。でも、それだけじゃないっていうか、あの二人は波長が合ったんだろうね。お互い一番の親友だったんじゃないかな。珊瑚といるときのあの子は、なんというか、少し雰囲気が違ったんだよね。無理してないっていうか。うん、そりゃうちらだってお世辞とか社交辞令みたいなものは言うじゃん? でも、それが全てでもない。それが普通だと思う。だけど、あの子は違ったんだよ。これは主観なんだけどさ。あの子にとっては言葉の一つ一つ、表情の変化の一つ一つがすべて計算されたものに見えたんだよね。無難っていうか、普通っていうか、そんな感じで相手の印象に残らない、女子中学生として違和感のない言動を絶えず選択して演じてるような、そんな感じ。わかる? そう、珊瑚といるときはそういう無理をしてないように思えた。会話を傍から聞いてるだけだったんだけどね、ぞっとするような冷たいことも珊瑚の前ではさらっと言ってたし、珊瑚もそれを特に気にしてる風もなかった。きっとあれが、あの子の素なんだろうね。
「まさか、麻耶がクラスを牛耳ってたとはね」
「牛耳ってたっていうのとはちょっと違う気もするけど……」
「じゃあ、何? 裏番とか? あるいはフィクサー?」
「そんな単純な言葉でくくれるものじゃないんじゃない?」
「そうらしいね」僕はベッドに背を預けた。「転校してきてすぐに、麻耶はクラスの悪玉を善玉化して秩序を取り戻した。小学校から中学校まで面子が変わらないこの地域では、その功績がずっと尾を引いていた。一部の例外を除いて、みんな麻耶に一目置いていた。そんな感じだね」
「うん。聞いたところ、その転校当初以降は特に目立ったことはしてないみたいだし……」
「むしろ、極力目立たないようにしてたようにも思える」僕は言った。「彼女なりに目立ちすぎて面倒なことになったと反省したのかもしれないね。あるいは単に力を振るう必要がなかったのか」
「力って、その……人心掌握みたいなこと?」
「そう。占いもきっとその延長線上のものなんだろうね。例の聖徳太子顔負けの特技もあるし、相当頭が回る子だったみたいだ」
「そうだね」
「とはいえ、やっぱり珊瑚って子の話を聞かないことにははじまらない気もするんだよね」
「でも、直接は会って話せない」
「ああ、それが痛いところだね。彼女が麻耶の一番の理解者だったことは間違いないみたいだし」
「でも連絡先を渡したなら、彩都に帰ってからでも話せるんじゃない?」
「そうなんだけどね、だけどやっぱりじかに話を聞いてみたいでしょ。表情や仕草が物語るものの大きさは侮れない」
「……珊瑚さんも月曜には帰ってくるんでしょ? わたしたちがぎりぎりまで出発を待てば会って話せないかな」
「問題はそんな余裕があるかどうかなんだよね」僕はスマートフォンを見せた。「台風の進路次第では予定よりも早く帰らないといけないかもしれない」
台風の予想ルートには、埼玉を直撃するものもあった。
「……月曜日に直撃する可能性があるんだね。そしたら多分電車も止まる」
「うん」僕は頷いた。「もちろん珊瑚たちも予報は気にしてるだろうし、場合によっては早く帰ってくるかもしれない。だけど、僕らにそれを待ってる余裕はないかもしれない」
「向こうが滞在を伸ばす可能性もあるね」
「台風が直撃するならどのみち学校も休みになる可能性はあるからね」僕は言った。「僕らは明日、判断を下さないといけない。秩父に留まるのか、その日のうちに帰路に着くのか」

