影が長くなってきた。住宅街をあっちこっち行き来していると、ようやく巨漢の少年を見つけた。
住宅と住宅の隙間だった。話通りの巨漢が窮屈そうに身を滑り込ませていた。
「えっと、もしかしてだけど溝呂木君?」
推定溝呂木君はこちらを振り向いた。
「そうだけど、誰?」
「ああ、ごめん。そして、はじめまして。僕は葉月。隣のクラスの」
「ああ、見覚えがある気がする」
溝呂木君はそろそろと、隙間から出てきた。
「何をしてたのか訊いてもいいかな?」
「ああ、えっと……」溝呂木君は気まずそうに眼を泳がせた。「そうだよな、客観的には不審者そのものだよな」
「少なくとも、そう頻繁にやることではないだろうね」
「ならもう手遅れかもな」溝呂木君は苦笑し、「近所で噂になってるかも」
「……どこか、ゆっくり話せる場所はないかな?」
「それなら近所の公園でどうだ」溝呂木君は提案した。「子供もほとんどいないだ。何せ老人向けのストレッチ用具くらいしかないからな」
提案通り、近所の小さな公園を目指すことにした。その間に、軽く事情を説明する。
「なるほど、箒木のことか……」
溝呂木君は公園のベンチに腰を下ろした。少し間隔をあけて、僕も腰を下ろす。
「まあ、それもあるんだけど、まずはさっき何をしてたのか訊きたいかな」
「ああ……あれもけっきょくは同じことだよ」
「というと?」
「聞いてないか? 箒木は猫キチだったって」
「猫キチという表現は初めて聞くけどね」僕は言った。「もしかして、猫を探してた?」
「ああ、尾曲り猫をな」
「箒木さんが修学旅行で追いかけ回してた尾曲り猫?」
「ああ、あいつが修学旅行で追いかけ回してた尾曲り猫だ」
「でも、どうして?」
「さあ、どうしてだろうな……自分でもよくわからない。でも、他に思い浮かばないんだ。箒木のことを受け止める方法が」
悲しみの作業という言葉がある。悲しい出来事をきちんと受け止めて乗り越えるためのプロセスのことだ。
「箒木さんのこと好きだったんだって?」
「ああ」溝呂木君は即答した。「一目惚れだった。ぞっこんだったよ。自分でも戸惑うくらいに。これまで他の女と付き合ったこともあったけど、あんな風に人を好きになるのは初めてだった」
「それでラブレターまで書いた」
「それも聞いてたか」溝呂木君は少しだけ照れるように言った。「それくらい夢中だったんだ。なんとしても振り向いてほしくて……」
「ということはフラれた?」
「ああ、それはもう見事に。数えること五度だ」
「ずいぶんと熱心にアプローチしたんだね」
「おかしいと思うか? 思うよな。箒木は決して目立つタイプじゃなかったし。でも、だからなのかな。俺にはあいつが自分だけの宝物みたいに思えたんだ」
「宝」
さすが師匠だ。詩的な言い回しをする。
「そう、誰にも秘密の宝だ。尤も、いまとなってはこうしてバレバレなわけだが」溝呂木君は言った。「でも、最初はそんなつもりじゃなかった。あいつを甘く見てたのかもしれない。告白すれば、照れくさそうにこくっと頷いてくれるんじゃないかってそんな甘い夢を見てたのかも。言葉を選ばず言えば、簡単にヤレそうに思えたんだ」
「でも、実際にはそうじゃなかった」
「ああ、あいつは俺が思ってたような女じゃなかった。恐ろしいくらいに」
「恐ろしい? ホラー映画が好きって話は聞いてるけど」
「ははっ、それも意外ではあったけどな。でも、そういう話じゃない。あいつはなんというか……俺たちとは根本から違う生き物に思えた。追いかければ追いかけるほどそう感じるようになった」
「でも、追いかけるのをやめられなかった?」
「ああ、そう感じるほど余計に。不思議だよな。でも、そういう一面もまた自分だけの宝みたいに思えて……」
「具体的にどういうことか聞いてもいいかな。それがどういう一面なのか」
「……自分でもうまく説明できない。だけど、そうだな。あいつは本当はがらんどうなんじゃないかってそう感じたんだ。何も感じない。何にも興味がない。ただ、周りを真似して、努めて『普通』であろうとしているように。そういう演技をしているように。レプティリアンってあるだろ? 爬虫類が人間に化けてるような、そんな感じだった」
「冷たかったってこと?」
「それがそういうわけでもなかった。そうやって演技することが彼女なりの温情であり、善意にも思えたんだ」
雲をつかむような話だ。
「我ながら要領を得ないよな。でも、すまん。それくらいしか話せることがないんだ。俺が一方的にあいつに惚れてただけだからな。デートに誘ったこともあるけど、全部丁重に断られて、けっきょく、一度もじっくり腰を据えて話す機会がなかった。だから、全部見当違いなのかもしれない。でも、ひとつだけ確かなのは――」
「猫、か」
「ああ、猫だ。修学旅行で尾曲り猫を追いかけ回すあいつの姿には嘘がないように思えた」
「だから、君も猫を追っている、と」
「ああ、変な話だよな。俺、本当は犬派なのに。でも、猫以外に何もないんだ。あいつと俺の間には何も」
「それで、尾曲り猫は見つかった?」
「いや」溝呂木君はかぶりを振った。「だけど、あいつも尾曲り猫を探してたらしいからな。だったら、俺が代わりに見つけたい」
上水口さんのことを話すか悩んだ。彼女は麻耶から尾曲り猫の写真を送られている。麻耶は尾曲り猫を見つけたのだ。この街のどこかで。
「ところで、修学旅行で何があったか知らない?」
「何かって何だ?」
「箒木さんに関して。尾曲り猫以外に、何か特別なことはなかった?」
「何かあったのか?」
この様子だと知らないみたいだ。
「僕も詳しいことは知らないんだ。何せ、修学旅行に参加していないからね。でも、クラスの子たちが言うには、その何かとやらがあったみたいでね。今はまだ語る時期じゃないとのことだけど……」
「気になるな」
「ああ、まったく」
「何にしても、俺はそのことについては何も語れないみたいだ。きっと、クラス単位で活動してるときに起こったんじゃないか?」
「そうかもね。修学旅行のしおりを引っ張り出して確認してみるとするか」
けっきょく、クラスメイトが話す気になるのを待つしかないらしい。
「今日はありがとう」僕は礼を述べた。「尾曲り猫、見つかるといいね」
「ああ、そうだな」溝呂木君は心ここにあらずといった調子で言った。「でも、なんでだろうな。見つからない方がいい気もするんだ。見つけたら、それで全部終わってしまうような気がして――」
住宅と住宅の隙間だった。話通りの巨漢が窮屈そうに身を滑り込ませていた。
「えっと、もしかしてだけど溝呂木君?」
推定溝呂木君はこちらを振り向いた。
「そうだけど、誰?」
「ああ、ごめん。そして、はじめまして。僕は葉月。隣のクラスの」
「ああ、見覚えがある気がする」
溝呂木君はそろそろと、隙間から出てきた。
「何をしてたのか訊いてもいいかな?」
「ああ、えっと……」溝呂木君は気まずそうに眼を泳がせた。「そうだよな、客観的には不審者そのものだよな」
「少なくとも、そう頻繁にやることではないだろうね」
「ならもう手遅れかもな」溝呂木君は苦笑し、「近所で噂になってるかも」
「……どこか、ゆっくり話せる場所はないかな?」
「それなら近所の公園でどうだ」溝呂木君は提案した。「子供もほとんどいないだ。何せ老人向けのストレッチ用具くらいしかないからな」
提案通り、近所の小さな公園を目指すことにした。その間に、軽く事情を説明する。
「なるほど、箒木のことか……」
溝呂木君は公園のベンチに腰を下ろした。少し間隔をあけて、僕も腰を下ろす。
「まあ、それもあるんだけど、まずはさっき何をしてたのか訊きたいかな」
「ああ……あれもけっきょくは同じことだよ」
「というと?」
「聞いてないか? 箒木は猫キチだったって」
「猫キチという表現は初めて聞くけどね」僕は言った。「もしかして、猫を探してた?」
「ああ、尾曲り猫をな」
「箒木さんが修学旅行で追いかけ回してた尾曲り猫?」
「ああ、あいつが修学旅行で追いかけ回してた尾曲り猫だ」
「でも、どうして?」
「さあ、どうしてだろうな……自分でもよくわからない。でも、他に思い浮かばないんだ。箒木のことを受け止める方法が」
悲しみの作業という言葉がある。悲しい出来事をきちんと受け止めて乗り越えるためのプロセスのことだ。
「箒木さんのこと好きだったんだって?」
「ああ」溝呂木君は即答した。「一目惚れだった。ぞっこんだったよ。自分でも戸惑うくらいに。これまで他の女と付き合ったこともあったけど、あんな風に人を好きになるのは初めてだった」
「それでラブレターまで書いた」
「それも聞いてたか」溝呂木君は少しだけ照れるように言った。「それくらい夢中だったんだ。なんとしても振り向いてほしくて……」
「ということはフラれた?」
「ああ、それはもう見事に。数えること五度だ」
「ずいぶんと熱心にアプローチしたんだね」
「おかしいと思うか? 思うよな。箒木は決して目立つタイプじゃなかったし。でも、だからなのかな。俺にはあいつが自分だけの宝物みたいに思えたんだ」
「宝」
さすが師匠だ。詩的な言い回しをする。
「そう、誰にも秘密の宝だ。尤も、いまとなってはこうしてバレバレなわけだが」溝呂木君は言った。「でも、最初はそんなつもりじゃなかった。あいつを甘く見てたのかもしれない。告白すれば、照れくさそうにこくっと頷いてくれるんじゃないかってそんな甘い夢を見てたのかも。言葉を選ばず言えば、簡単にヤレそうに思えたんだ」
「でも、実際にはそうじゃなかった」
「ああ、あいつは俺が思ってたような女じゃなかった。恐ろしいくらいに」
「恐ろしい? ホラー映画が好きって話は聞いてるけど」
「ははっ、それも意外ではあったけどな。でも、そういう話じゃない。あいつはなんというか……俺たちとは根本から違う生き物に思えた。追いかければ追いかけるほどそう感じるようになった」
「でも、追いかけるのをやめられなかった?」
「ああ、そう感じるほど余計に。不思議だよな。でも、そういう一面もまた自分だけの宝みたいに思えて……」
「具体的にどういうことか聞いてもいいかな。それがどういう一面なのか」
「……自分でもうまく説明できない。だけど、そうだな。あいつは本当はがらんどうなんじゃないかってそう感じたんだ。何も感じない。何にも興味がない。ただ、周りを真似して、努めて『普通』であろうとしているように。そういう演技をしているように。レプティリアンってあるだろ? 爬虫類が人間に化けてるような、そんな感じだった」
「冷たかったってこと?」
「それがそういうわけでもなかった。そうやって演技することが彼女なりの温情であり、善意にも思えたんだ」
雲をつかむような話だ。
「我ながら要領を得ないよな。でも、すまん。それくらいしか話せることがないんだ。俺が一方的にあいつに惚れてただけだからな。デートに誘ったこともあるけど、全部丁重に断られて、けっきょく、一度もじっくり腰を据えて話す機会がなかった。だから、全部見当違いなのかもしれない。でも、ひとつだけ確かなのは――」
「猫、か」
「ああ、猫だ。修学旅行で尾曲り猫を追いかけ回すあいつの姿には嘘がないように思えた」
「だから、君も猫を追っている、と」
「ああ、変な話だよな。俺、本当は犬派なのに。でも、猫以外に何もないんだ。あいつと俺の間には何も」
「それで、尾曲り猫は見つかった?」
「いや」溝呂木君はかぶりを振った。「だけど、あいつも尾曲り猫を探してたらしいからな。だったら、俺が代わりに見つけたい」
上水口さんのことを話すか悩んだ。彼女は麻耶から尾曲り猫の写真を送られている。麻耶は尾曲り猫を見つけたのだ。この街のどこかで。
「ところで、修学旅行で何があったか知らない?」
「何かって何だ?」
「箒木さんに関して。尾曲り猫以外に、何か特別なことはなかった?」
「何かあったのか?」
この様子だと知らないみたいだ。
「僕も詳しいことは知らないんだ。何せ、修学旅行に参加していないからね。でも、クラスの子たちが言うには、その何かとやらがあったみたいでね。今はまだ語る時期じゃないとのことだけど……」
「気になるな」
「ああ、まったく」
「何にしても、俺はそのことについては何も語れないみたいだ。きっと、クラス単位で活動してるときに起こったんじゃないか?」
「そうかもね。修学旅行のしおりを引っ張り出して確認してみるとするか」
けっきょく、クラスメイトが話す気になるのを待つしかないらしい。
「今日はありがとう」僕は礼を述べた。「尾曲り猫、見つかるといいね」
「ああ、そうだな」溝呂木君は心ここにあらずといった調子で言った。「でも、なんでだろうな。見つからない方がいい気もするんだ。見つけたら、それで全部終わってしまうような気がして――」

