入学式から間もない頃のことだったという。
 その日、彼女たちのクラスでは最初の席替えが行われた。アプリのルーレットによる、ランダムなものだったらしい。教室のスクリーンに大写しになったルーレットに、生徒たちは大いに盛り上がったそうだ。
 ルーレットの結果、ウルフカットとハーフアップは同じく窓際の席になり、後に親交が生まれ、恋が芽生えるきっかけとなった。
 一方、真理亜は教室の中心からやや廊下寄りの席になった。彼女はそのことに対して喜ぶでも残念がるでもなく、無表情に結果を受け入れたという。
 そうして全員分の席が決まり、移動がはじまった。全員が新たな座席に座し、教壇の担任に注目する。その瞬間だった。
 窓際の席に座っていた生徒――仮にAさんとする、とウルフカットは言った。そのAさんが急に倒れたのだ。
 何せ、まだ学級委員や保健委員も決まっていない。近くにいた生徒と担任を中心に介助が行われたという。
 Aさんは意識を失ったわけではなかった。ただ、精神的にかなり混乱していたという。「いや、いや」とうわ言のようにつぶやきながら教室から退出したそうだ。担任の介助を伴って。
 それからしばらく、Aさんは学校に来なかった。
 最初は、誰も真の事情を知らなかった。席替えの日に起こったことが原因であることはわかっても、それが何なのかはわからなかった。Aさんをパニックに至らしめた要員について推測することすらできなかった。
 しかし、やがてある噂が流れはじめる。Aさんと中学時代からの付き合いがあるという生徒が噂の出どころらしい。曰く、Aさんはあの日、幼い日のトラウマを思い出したらしい。
 引き金となったのは、真理亜だった。Aさんの席から教壇を眺めようとすると、いやでも視界に入る位置に真理亜の横顔があったのだ。
「箒木さんはその子と小学校が同じだった」ウルフカットは言った。「それに、箒木さんの妹も」
 双子が同じクラスになることは少ない。しかし当時、その小学校は統廃合の直前で、彼女たちの学年は一クラスしかなかった。箒木の双子とAさんは同じクラスになる定めだった。
 双子とAさんはすぐ友だちになったという。当時の双子は二人とも長い黒髪だった。二人で入れ替わって、よくAさんをからかっていたという。傍から見れば仲のいい三人組だった。そのはずだった。麻耶が公園の木の上から、Aさんを突き落とすまでは。
「どのくらい高い場所から落ちたのかはわからないけど――でも、幸いにしてAさんは軽傷だった。骨を折ったり、頭を打って脳挫傷になったりもしなかった。そう聞いてる」
 ウルフカットやハーフアップも噂の全容を知っているわけではないらしい。それはおそらく、大多数の同級生がそうだったという。ただ、Aさんが真理亜の横顔から当時の面影を感じ、瓜二つな妹のことを――彼女に突き落とされたことを思い出した。そういうことらしい、と理解した。
 噂の真偽について、真理亜に直接確認する生徒はいなかったという。真理亜は入学以来、誰と親しくするでもなく、「近寄りがたい」空気を放っていた。席替えの日以降も、何事もなかったように登校し、真面目に授業を受けていたようだ。よく手入れされた長い黒髪から、どこか超然とした雰囲気を感じさせたらしい。
 その真理亜に、直談判しに来た生徒がいた。噂の出元となった、Aさんの友人だ。
 あなたが悪いわけじゃない、と思う。やったのはあなたじゃないから。でも、あなたがいる限り、Aは学校に来れない。
 そういう意味のことを言ったらしい。
 わたしにどうしろっていうの。真理亜は答えた。わたしがこういう顔なのは、変えられない。
 わかってる! でも――ごめん。これは八つ当たりかもしれない。だけど、わたしはAの味方だから。
 そう。
 真理亜は簡単に答えた。Aの友人はそのまま帰ったという。本当にただ、思いの丈をぶちまけに来ただけのようだった。彼女が帰った後も、真理亜は無表情を崩さなかった。シャープペンシルやタブレットを操る手も平然として見えた。ウルフカットやハーフアップにはそう見えた。
「だけど――たぶん違ったんだろうね。わたしたちが気づかなかっただけで」
 真理亜が髪を肩口までばっさりと切って登校してきたのは、その翌日だったという。自分で切ったのだろう、長さは不揃いで、日本人形のようなおかっぱに見えたという。
「うちらは何も言えなかった。声をかけられる雰囲気でもなかった」
 それは真理亜なりの誠意だったのだろう。当時の自分たちの姿から少しでも遠ざけるため髪を切ったのだ。Aさんが当時を思い出さなくてすむように。
 やがて、Aさんは学校に登校するようになった。友人から、真理亜のことを聞いたらしい。登校してきてすぐに、彼女に詫びたという。あなたが悪いんじゃないのに、と。
 気にしないで、と真理亜は言った。あの場にはわたしもいたし、責任がないわけじゃない。この髪も、すぐに美容院で整えてもらうから、と。
 そうして二人は和解した。ただ、その後特に二人の間に会話があったわけではないらしい。ただ、互いに距離を置くようになっただけだ。二年に進級すると、Aさんは真理亜とは別のクラスになった。すべてはもう過去の話になった。そういうことなのだろう。