◆ ◆ ◆
夜は、まだ深かった。
中庭はしんと静まり返り、白い雪が庭石に積もっている。
誰にも見られないように、雪白は屋敷の裏口から抜け出した。
履き慣れぬ下駄をつっかけ、薄い羽織だけを羽織ったその身に、夜風が容赦なく吹きつける。
寒い。けれど、それが逆に心地よかった。
(このまま、どこか遠くにいけたら……)
雪白は、白い町並みを歩いた。
雪の降る音だけが、足元をさわさわと撫でる。
(わたしなんて、いない方がよかった)
誰にも必要とされず、愛されず、認められない。
生まれてきた意味なんて、なかったのかもしれない。
(いっそ、消えてしまえたら……)
そう思ったときだった。
――呼ぶな
耳の奥に、誰かの声が響いた。
「……え?」
静寂の中に、確かに響いた、低く深い声。
誰の声でもない。聞いたこともないのに、胸の奥がざわめく。
――呼ぶな。己を否定するその声で。その名は、俺の花嫁の名だ
胸が、どくりと鳴った。



