―冥の誇りを胸に、初の“務め”へ。そして現世の罠が忍び寄る―
冥華殿の奥にある天鏡の間。
夜叉丸が掌をかざすと、鏡が淡く波打ち、現世の気配がにじみ出る。
「雪白。今宵は“冥華の姫”としての初の務めとなる」
「……はい」
雪白は静かに頷く。
黒紫の装束に銀の飾り帯。肩に流れる髪を結い上げ、瞳には迷いがなかった。
「冥花の姫の役目は、冥界に堕ちた魂を慰め、浄め、再び流れに戻すこと。……忘れるな、貴様にしかできぬ誇りある務めだ」
「私……頑張ります」
雪白は両の手を胸に重ねる。
かつて“加護なき娘”として捨てられた自分が、今では冥の務めを担う存在となっていた。
今宵、雪白が向かうのは――迷界の淵(まよいのふち)。
迷い続け、憎しみに沈んだ魂たちが留まる場所。
白い冥の花を捧げ、雪白は囁く。
「……あなたの痛み、わかります。私も、ずっと“いらない子”だったから」
すると魂たちがゆっくりと静まり、やがて花の香に包まれて冥の流れへと還っていく。
(私は……このために、生まれてきたのかもしれない)
そう思えるほど、雪白の舞と祈りは冥の闇に咲いた灯となった。
その様子を、冥の側近たちも遠くから見守っていた。
「……あの方が“冥花の姫”か」
「うむ。まさか加護なき人間の娘が、ここまで気高くなるとは」
「だが、その分――神界と現世の反発は強くなるぞ」
夜叉丸はすべてを承知の上で、雪白を“冥の顔”として立たせていた。
彼女が冥に咲かせる花は、やがて――世界の均衡すら動かすと知りながら。
◆ ◆ ◆
一方、現世――雪宮家。
「……“冥花の姫”? 何を、笑わせるのよ」
霞の目が、鏡の奥で雪白の姿を捉えていた。
「“落ちこぼれの癖に冥で偉くなった”? そんなの、あたしが許さない」
霞は、今や父の後ろ盾を受けて正式な“光の巫女見習い”となっていた。
比左古の口添えで、家中の後継者としての地位も確立しつつある。
だが、雪白が冥で“花嫁”として扱われているという噂が流れ出すと、彼女の内にある怒りと劣等感は爆発した。
(あの子は、わたしの足元にいなきゃいけないの)
(そうじゃなきゃ、あたしの“勝ち”じゃなくなるじゃない)
「比左古、用意なさい。“冥の姫”を断罪する舞台を整えるの」
「はっ。……では“祭典の名目”でおびき出し、冥と現世を交わらせる計画で?」
「ええ。……『姉様のため』って言えば、誰も疑いはしない」
霞は、あくまで“善き妹”を演じる。
――その笑顔は、鋭い刃そのものだった。



