それから、メインストリートをもう一往復して、彼方兄さんはさっさと別れの挨拶を切り出した。

「もう戻るの?」
「お兄さんは受験生なんですよ、総くん」
「だから彼方兄さんの弟になった覚えはないんだよね」
「細かいこというなよ。じゃ、楽しんでけよ」
「ん。まぁ俺らももうすぐ帰ると思う」
「もうメインストリートは見たしね」
「そっか。じゃ、気を付けて、またおいで」

 彼方兄さんが立ち去った後、俺達もすぐにキャンパスを後にすることにした。来た道を戻ろうとすれば、夕日のような太陽が見えた。まだ一番日が高い時間帯であるはずなのに、柔らかくて温かみのある日差しは、この季節特有だ。

「お前、この後どうすんの?」
「別に今日一日はやることないし、夕方くらいまでは付き合ってよ」
「夕飯は?」
「お前がいいならいいけど、彼方兄さんは? 一緒に食べないの?」
「さー、食べるんだったらさっき言ったと思うんだよな。だからいんじゃね」
「あぁ、そういう。確かにね」

 じゃあ一緒に食べようか、そう結論付けたせいで、夕方までだらだらとコーヒーを飲み、夕飯には遼のお気に入りだというインドカレーに連れていかれた。遊びに来たときは昼でも夜でも必ず寄るというそこは、ひたすらにインド映画の流れる小ぢんまりした場所だった。

「京都までどんくらい?」
「一時間くらいかなぁ。っていうか、京都はいいんだけどさ、家までっていうと面倒くさいんだよ」
「あぁ、なるほど」
「ま、遼ほどじゃないけどね。だって東京駅から……四十分くらい?」
「あぁ。特快が止まんねぇ……」
「ていうか、なんでそこまでしてこっち来てんの? 今更だけど。学祭なんてわざわざ来るほど?」
「お前感じ悪いな! 一応お前に会いにも来てんだからんなこと言うなよ!」
「はいはい、どーも。三カ月前に会ったし、来月末にも会うでしょ」
「だから感じ悪いな」

 それなりに頻繁に会っているというのに、くだらない中身のない話題は尽きることなく、それでもそうゆっくりと食事をする場所ではなかったから、適当なタイミングで話は切り上げる羽目になってしまった。

 外に出ると、居酒屋やドラッグストアの明かりが道を照らしていた。昼間も見た景色だけれど、空から太陽が消えるとまた違って見えた。

 ついでに気温もぐっと下がったのを感じる。トレンチコートを羽織りながら震えた。

「今年寒くなるの早くない? 毎年こんなんだっけ」
「いやー、早いほうじゃね? 去年の今頃はオレンジジュース飲んでたし」
「知らないよ、そんなお前の匙加減なんか」

 もっと客観的な情報をくれよ、気温とかさ、とぼやいた後で、それこそ体感温度と一致するとも限らないと気付いて口を噤んだ。でも親友はそんなツッコミどころに気付くこともなく、気象庁のホームページでも見ればわかるんじゃね、とすっとぼけた回答をする。

 別に、厳密に去年との違いを知りたがったわけじゃない。ただの他愛ない世間話にすら満たない呟きだ。ただ、思いがけず、季節を忘れてしまったのが自分だけではないと知った。

『あの時見た銀杏ってすごく綺麗だったなって思うし、すごく感動したんだよなって思うんだけど、結局、今感動するのは今見てる銀杏で、あの時の銀杏じゃないんだよ』

 そうだ、どうせみんな、忘れてしまう。その日、その瞬間、どれだけ鮮烈に感じていたかなんて関係なく、過ぎ去った瞬間に、鮮やかだとか美しいとか、暑いだとか寒いだとか、そんな感覚頼りのものは忘れ去られる。今年こそは忘れないとどれだけ思っても、例外なく、忘れる。

 ──忘れないと、思っていた。全部。あの頃の鮮烈な記憶を、想いを、喜びを、全て。

 覚えていないわけじゃない。確かにあったことは覚えている。それでも、その感じたもの全てがあの時とは違う。似たように思えても、それは結局感覚まで含めた記憶をなぞっているだけで、感覚まではなぞることができていないのだと知る。

 その、記憶をなぞるときに覚える感情は、きっと──。