「そういえば先輩がそんな話してたなぁ……」
「あぁ、法学部の先輩いんの?」
「うん、ちらほら。ま、お前といい、法学部の知り合いが増えるといいよね。将来助けてもらえそうで」
「どーだか。弁護士になるヤツばっかとは限らねーぞ。あ、フランクフルト」

 犬が尻尾を振る様子でも見えるようだ。ひょいひょいと目当ての屋台に近寄っていく背中をのんびり追いかけて、ぜんざいを食べながら当たりを見回す。

 ステージでは有志らしき学生が躍っていた。歓声と人混みで様子も何も分からないけど、盛り上がっているのだけは分かる。ステージ客の手前に三日分の演目もあって、バンドの演奏やらミスコンやらダンスやら、とにかくお祭り騒ぎにお(あつら)えむきの発表が目白押しだ。

「普通、学祭って十一月だよなぁ」

 フランクフルトを買った遼が戻って来て隣に並んだ。

「普通って、別にお前のとこも十一月じゃん」
「いや、高校の文化祭は六月だったじゃん、俺達」
「あぁ、そういえばそうだったね」

 付き合いのある友達といえば高校の友達ばかり、文化祭のイメージは六月で固まっていたのに、まだ一度もやってない大学の学祭のせいでイメージが塗り替えられている。

「でも、六月に文化祭やるって無理あるんだよね。いや、一日だけならいいけど」
「うち三日もあったもんな」
「それ。連休がないからね、三日もするのはしんどいんだよね。あとは若干暑い」
「十一月でも暑い日はあるんじゃね」
「デフォが涼しいじゃん。まぁ、あとはやっぱり、芸術と文化といえば」
「お前絵下手じゃん」
「うるさいんだよ」

 そういう話をしてるんじゃないんだよ、と言いたかったけど、黙った。確かに絵は下手だし、絵画を見たって理屈と知識以上のものは湧かない。音楽はまだいいけど……。

「そういえば、オケは? 発表ないの?」
「知らねーよ、俺の大学じゃねーっての、ここは。でも確かに、オケは見かけねぇなぁ」
「高校だと文化祭こそ発表の場ってイメージだったけどなぁ」
「連休だから合宿とかしてんじゃね? 練習がてら発表するくらいなら本番に向けて練習するほうが時間の有効活用できるとか」
「あぁ、そういう。大変だね、白鳥みたい──……あ、焼き鳥ってこれか」

 ふと視線を向けたところに、目当ての焼き鳥を見つけた。分かった理由は、看板にサークルの名前が書いてあったから。

「どうする? 先に買う?」
「んー、多分兄貴も顔出すつもりだったんだろうし、兄貴と合流してからでいんじゃね」
「そうだねぇ」

 ぜんざいもフランクフルトも食べ終えて、ごみ箱を探しながら歩いていると、メインストリートから逸れる脇道があって、そこでごみを収集していた。学祭委員らしきネームプレートを付けた人に指示されるがままに紙のボウルと竹串を捨てる。都合のいいことにそこが図書館前、人混みで歩きにくいと想定したわりには早く着いた。

「兄貴呼び出すかぁ」
「嫌そうだね」
「だってアイツ、絶対道行く女子に声かけまくるぜ」

 遼の兄は自他ともに認める女好き。その反動のようにコイツは女子に奥手で真面目だというのは余談だけど。

「まー、だろうね。でも学祭なら需要と供給が一致することも多いんじゃない」

 図書館に着くまで、コスプレをした女子が何人か声をかけてきた。もちろん、その片手には手作りポスター、もう一方の手にはチケットだ。女の子大好きなあの人なら喜んで買うだろうし、女の子側も売り上げが増えて嬉しいだろうし。

「生憎、俺は自分の要るもの以外買う気にならないけど──」
「まーつたか!」

 不意に背中を叩かれて、驚いて振り返る。その瞬間に肩を組まれた。

「なーにやってんの」

 飛び込むように現れた顔はご機嫌ににっこりと笑っている。とはいえ、思わぬ人の出現にこっちは酢を飲まされたような顔になってしまったことが自分でも分かった。

「びっくりした……急に出てこないでくださいよ、雪斗(ゆきと)先輩」

 そして、遼は真っ黒い目をぱちくりさせている。それも当然、雪斗先輩は大学の先輩なので遼とは面識がない。それに気付いた先輩は、俺の肩から腕を外さないまま向き直った。

「友達?」
「ですね。幼馴染です」
「そっか。どーも、君の幼馴染くんの先輩の鴉真(からすま)です」
「どうも、桐椰(きりや)遼です……」

 答えた遼の顔からは見知らぬ人の出没に対する驚きは消え、代わりに「お前にこんな先輩がいたのか……」と別の驚きが書いてある。先輩の見た目がおかしいわけじゃない、寧ろ髪も目も真っ黒で服も派手というよりは地味の部類に入るし、優等生の肩書を(ほしいまま)にしているといっても過言ではない。ただ、中学高校と帰宅部を決め込んでいた俺にとって仲の良い年上は先輩というよりは友達だったから、“先輩”と線引きしつつこんなに距離が近い人がいるのははたから見ると意外かもしれない。

 一方で、先輩は目を丸くした。

「桐椰?」
「桐椰遼です。……どうかしました?」
「……いや」

 間違いなくどうかしたはずなのに、先輩は軽くかぶりを振ると、にっこり笑って俺に向き直った。答える気はないらしい。

「何しに来てんの? わざわざ京都から。デートってわけでもなさそうだし」
「余計なお世話です。幼馴染の兄貴が浪速大なんですよ、普通に仲良いし、会いに来るついでに遊びに」
「なるほどね。幼馴染くんは大阪じゃないの?」
「や、僕は普段は東京で。兄のとこに遊びに来たんです」
「あぁ、そういう。仲良いな」
「で、先輩こそ何しにわざわざ?」

 先輩も出身は関東圏で、高校までの友達も関西に来てる人はほとんどいないと聞いたことがあった。

「俺も先輩に会いにきた。高校のときの先輩がいるからさ」
「一人で?」
「残念、俺は彼女と一緒です」

 したり顔を見て、聞かなければよかったと思った。先輩と彼女の仲の良さは折り紙付き。彼女さんは大学が違うのになぜそんなことを知ってるかといえば、モテる先輩に他大の女子が言い寄らないのはそのせいだという噂までセットで聞いたから。

「じゃ、その彼女は? ラブラブと噂の相手を見てみたいんですけど」
「トイレ行ってる」
「なんでこんな離れたとこで待ってるんですか」

 図書館内には他大生以外入れないだろうし、きっとトイレはメインストリートを挟んで反対側にあった建物にあるものを使用することになっているはずだ。

「共通棟の入口で待ってたんだけど、お前が見えたから。わざわざ追いかけてきたんだよ」
「よく分かりましたね、この人混みで」
「お前ら背高いから目立つんだよ」
「別に先輩と変わらないでしょ」

 平均よりは少し大きいかもしれないけど、と付け加えて、図書館内から出てくる人に視線を遣る。学祭期間であまり人の出入りがない上に、よく知った顔だ、遠目でもすぐに目当ての人だと分かった。遼もすぐ視線を向ける。

「じゃ、来たみたいなんで」
「あぁ、幼馴染くんのお兄さん?」
「そうですけど……」

 先輩が悪戯っぽく笑うので「何か変なとこでも?」と顔で訊ねた。別に、幼馴染の兄の見た目は変から程遠い。そうニヤニヤ笑う理由などないはずだ、が。

「悪いなー、待たせちゃって」
「ん。てか、兄貴のサークルの屋台見つけたよ。まだ買ってないけど……」

 遼の台詞の語尾がしぼんでいく。理由は明白だ、目の前で初対面のはずの二人が顔を見合わせているのだから。

「……彼方(かなた)兄さん?」
「……お前何してんの?」

 そして、幼馴染(おとうと)でもなく俺でもなく、幼馴染の兄が、雪斗先輩を見て唖然とした声を出す。