ユリウスは、伯爵家の長男だった。家族は両親のほかに姉が一人。伯爵とはいえその領地は貧しく家は貧乏で、味のしない透明な汁を啜って食事としていた。
そんなある日、姉が妙な夢を見た。白い長い髪の女性が、姉の両手を握ると、その両手が青い光に包まれたのだという。そして女性は「40年ある。大事に使いなさい」と告げた。
そこまで聞いて、リサは目を見開いた。
「……まさかそれは、“聖告”ですか」
「……そのとおりだ。知っているということは、君が“聖女”なのは事実なんだろう」
ある日、ユリウスが転んで怪我をした。心配した姉がその膝を撫でると、瞬く間に傷が癒えた。
ユリウスの姉は、それを仕事にしようとした。領民の子が足を切った、手首を痛めた、ひどい熱をだした、そう聞くとユリウスの姉は飛んでいき、これを治療しては麦や野菜を分けてもらった。子爵令嬢が足を捻ってしまったのを治療して、銅貨を数枚もらった。伯爵令息が落馬して体を強く打ったのを治療して、金貨を十数枚もらった……。そんなことを繰り返し、ユリウスの姉は「“聖女”の力を持つ」と称えられるようになっていった。
“聖女”の力によって、ユリウスの家は段々と豊かになっていった。ユリウスも、両親も、ユリウスの姉自身も喜んでいた。
ただ、ユリウスの姉は、たまに不思議そうに「同じ夢を繰り返し見る」とぼやくようになった。白い長い髪の女性が、両手を握って「この1ヶ月で8年分だった」「今日だけで1年だ」と、数字は覚えていないが、とにかく年数を告げるのだという。ユリウスの家は、不思議な夢だねと姉と一緒に不思議がっていた。
ある日、夜会で火事が起きた。高貴な伯爵令嬢が瀕死の大火傷を負い、生死の間を彷徨うことになった。ユリウスの姉の評判を聞いていた伯爵は、ありったけの財宝を手に娘と共に訪ねてきて、治癒を頼んだ。ユリウスの姉は、もちろん躊躇うことはなかった。
ユリウスの姉が手をかざすと、伯爵令嬢は大きく息を吸い込み、健康な体のように呼吸した。ただれた皮膚はもとの玉のような白い肌へと戻っていき、火傷の痕など一ミリも残さず消えた。伯爵も令嬢も感涙し、ユリウスの姉は辞退したが、有り余る謝礼を置いて帰っていった。
その日の夜、ユリウスの姉は夢を見た。白い長い髪の女性が、姉の両手を握った。両手は、やはり青い光に包まれていた。
『大きなものを引き受けたね。実に20年分だよ』
「それが、姉が最後にまともに話した言葉だった」
リサは黙り込んでいた。女性の言葉の意味も、ユリウスの姉が、以後発狂した理由も理解できたからだ。
「以来、姉はいつも泣いていた。外からは、いつも“聖女”の力を求める人々の声が聞こえていた。……それは、いつしか怒号に変わった。金払いのいい貴族ばかり治療して、領民を無視することにしたのだろうと」
同じだった。クラリッサが治療をしないと決めたときの周囲の反応と、そしてエーヴァルトがでっちあげた理由とまったく同じ。
そしてそれは、ユリウスが、不機嫌にさえ見えるほどの態度でクラリッサに教えたことの裏返しだった――過剰に与えれば、その過剰さを裕福さと勘違いして筋違いの恨みや妬みさえ抱く。
「それからしばらくして、俺がひどい熱を出した。当時、俺と同じ年の頃の子の間で流行っていた病だった」
「……それでは」
「……熱が下がり、俺が意識を取り戻したとき、姉は隣で死んでいた」
そうしてきっと、また別の少女が“聖告”を受け、その少女が斃れ、そしてまた別の少女が……。それを繰り返し、やがてクラリッサが“聖告”を受けた。
そうだったんだ。クラリッサはようやく理解した。ユリウスは“聖女”を憎んでなどいない。
“聖女”として食い潰された姉の命を悼んでいて、だから“聖女”という存在に世間とは異なる疑義を抱いている。
なにより、ユリウス自身が罪悪感に食い潰されそうなのだ。姉の命を最後に食い潰した自分は、“聖女”を食い潰す人々と何も違わないと。
「……君は“聖女”のクラリッサ。そうなんだろう?」
クラリッサは、静かに息を吐き出した。ゆっくり立ち上がり、ユリウスがしているように壁に背を預ける。もう足の震えは収まっていた。
「……ええ。そうです。私もまた“聖告”を受けました。……5年ほど前のことです」
「……俺の姉と同じか?」
「はい。……なんの前触れなく、血筋にも関係なく、ある日突然、女神から自らの肉体寿命と共に力を授けられること。あらゆる傷病を治療できること。その対価として、その傷病に値する寿命を支払うこと、支払った寿命を女神に告げられること……すべて同じです」
ユリウスを見上げると、いつもクラリッサを見るときとは異なる感情が浮かんで見えた。
まるで、呪いを受けた者を見て、その受難を悼むかのような目だ。



