「今日、一組に、ゲーム持ってきてるヤツがいた。不要物は没収、何回も言ったよな。荷物検査するから、全員、カバン、机の上に置け」

 難癖もいいところの発言に、一瞬でブーイングの嵐が巻き起こった。それもそうだ、他のクラスでゲーム機が見つかったからって、わざわざバレンタインの日を選んで荷物検査することなんてない。かこつけてチョコレートを没収してやろうという魂胆しか見えないし、それらしい理由をつけたつもりになっているところが余計に嫌らしい。だから武田先生は嫌われるんだ。主に女子から「外に出したら没収でいいじゃんー!」「カバンの中身見るとか、プライバシーの侵害だと思いまーす」「一組だけやればいいじゃないですか、そーゆーの」と口々に文句が出たけれど、武田先生は無視。教室の角から「ほら、中身出せ」と宣言通りの検査を始めた。

 ──なんて、悠長に分析して観察してる場合ではない。ドッと、私の心臓がうるさくなる。

 カバンの中には、トリュフが四個入ってるだけの、小さなチョコレートの箱が入っていた。

 金曜日の自分を呪った。本屋に寄った後、大人しく帰ればよかった。それを、バレンタインフェアなんて(のぼり)に惹かれて、いじらしく無難な小さな箱を一つ、こっそり買って帰るなんて、そんな女の子みたいなことをするから、こんなことになるんだ。

 せめて、私が、さえみたいに可愛ければよかった。武田先生は、露骨に松隆を嫌いな代わりに、露骨に贔屓する生徒もいた。武田先生が顧問をしている野球部の生徒と、可愛い女子。何が露骨かって、プールの授業を生理で三回休んだ女子に五段階評定「3」をつけたのに、同じ理由で全部休んだ別の女子に「5」をつけたことがある。運動神経抜群の松隆と桐椰には意地でも五段階評定「4」までしか与えないけれど、野球部部男子は全員「5」だ。そういう、嫌な先生だった。

 そういう、嫌な先生に、贔屓されるだけの可愛さを、私は持っていなかった。

「なんだ、これは」
「……バレンタインのチョコです」
「お菓子は持ってくるの禁止って、分かってるよな?」
「いいじゃないですか! バレンタインくらい!」

 早速の餌食食って掛かる。カバンを抱えて守るようにするけれど、武田先生の前では無駄だ。贔屓されてないと、そんなもの、意味がない。

「だめだ、出せ。バレンタインでもなんでも同じだ」

 半泣きになりながらチョコレートを差し出されご満悦、そんな武田先生にクラスは誰もがドン引き状態だ。そんな生徒虐めなんてして、楽しいか。合理性なんてほとんどないような校則をこれみよがしに振りかざして、先生と生徒の肩書に名を借りて偉そうに振る舞って。

 昼休みに配るんだ、と話していたさえは、武田先生にスルーされた。教室の後ろのロッカーに今朝隠していたからだ。今更ながら、英断だった。そして、可愛いさえが、それ以上に追及されることはなかった。

 そして、私は。

「姫城、なんだこれは」

 不要物が見つかるなんて、どうでもいい。内申点がどれだけ下げられようが、どうでもいい。なんなら、チョコレートが没収されたって、どうでもいい。

 私のカバンの中から、バレンタインイベントのものが見つかるのが、問題なんだ。

 クラスの騒めきの原因は、超のつく真面目な私が不要物を持ってきていたからではない。超のつくほど可愛げと無縁な私がバレンタインの日にチョコレートらしきものを持っていたからだ。

 こんなもの、人前で、見つけられたくなかった。

「お前までバレンタインなんかに浮かれて、こんなものを持ってきて」

 武田先生は容赦なく私のカバンの中から手のひらサイズの箱を取り上げた。ピンク色とか、黄色とか、黄緑色とか、花弁が舞うみたいにたくさんの色が散りばめられた箱。どこからどう見てもバレンタインのチョコレートで、言い訳のしようがない。

「いいか、お前みたいに普段真面目でもな、こうやってこっそり陰に隠れて校則を破るようなことしてると、一回で信用を失うんだからな。わかってるのか」

 なんで私だけ説教されるんだ──そんな気持ち、ないといえば嘘だけれど、そんなことよりも羞恥心(しゅうちしん)のほうが勝った。武田先生がチョコレートの箱を、私のカバンから取り出した箱を、その日に焼けて黒くなった手で掴んでる間、ずっと私は恥ずかしい。武田先生がそうしてる間、私は晒し者なんだ。

 もういい、中学最後の思い出だかなんだか知らないけれど、松隆にチョコレートを渡したいなんて分不相応なことを思った私が悪かったんだ。所詮そんな淡い想い、私には似合わないのに。あわよくば、なんて期待をしたから。

 もう、こんなことしないから、とっとと捨ててくれ、そんなもの。

 みんなの視線を浴びているのが死ぬほど恥ずかしくて、その場に穴を掘って埋まりたいと、そう願い続けて、ぎゅっと拳を膝の上で握りしめていた、そのとき。

 ブーッ、と。不意に、教室には似合わない音が響いた。