──姫城さん、いつも何の本読んでるの?

 今でも覚えている。松隆と初めて話したのは、三年四組の教室の、窓際の、前から三列目。配布物が前から回されてきて、一度本を閉じて後ろに回したとき、松隆にそう言われた。

『……いつもって何が』

 あの時は、動揺して、我ながら酷い返事をしたと思う。毎日同じ本を読んでるわけじゃないのに“いつも”ってなにを指してんの、そういわんばかりの返事だった。でもやっぱり、松隆は気を悪くする素振りはなかった。

『いつも本読んでるから、好きなのかなって』
『……まぁ本は好き』
『今は? 何読んでるの?』
『……ロスト・ホワイト』

 よりによってその時読んでいたのはラノベで、こんなイケメンがオタクっぽい小説なんて読むわけがないと思ったから、心底後悔した。現に松隆はきょとんとした顔をしたから、その場で穴を掘って埋まりたいとまで思った。昨日までだったら『オーヘンリー短編集』を読んでたのに。それならまだ、知らないと言われれば勧められたし、興味がないとしても、オーヘンリーを読んでいて嗤われる心配はなかったのに。

『それって、成葉菖子の?』

 でも、思わぬ反応に、そんな後悔は一瞬で吹き飛んだ。驚きすぎて言葉が出てこなかった。代わりに「まぁ……」なんて掠れた声で頷くしかできなかった。

『意外、姫城さん、そういうの読むんだ』

 真面目そうな見た目だから、ラノベなんて読まないのかと──そう聞こえた気がして、気分が沈んだ。

『成葉菖子、俺もすごく好きなんだ。ロスト・ホワイト、まだ読んでないから、読み終わったら借りてもいい?』

 それなのに、はにかんだ笑顔に、意気消沈していた自分は、一瞬でいなくなった。

 今思い返しても、馬鹿みたいに単純だと思う。以来、背後の松隆が何を話しているのか、いつも気にしていたし、他所のクラスから松隆の幼馴染が松隆の名前を呼ぶだけで、自分のことのように顔を上げた。配布物を回すときも、いつもより丁寧に後ろに回して、机の上に置けば済むものを、わざわざ松隆に手渡しした。社交辞令かと思っていた本の貸し借りを「そういえば、ロスト・ホワイト読み終わった?」なんて聞かれて、舞い上がるくらい喜んだ。

 あの、たった二分の会話で、例外なく松隆を好きになった。挙句、漫画で見るようなもどかしい言動を繰り返してしまっている。そんな自分が、堪らなく恥ずかしかった。

 本屋に、目ぼしい新刊はなかった。しいていうなら、松隆が話していた『コバルト・ブルー』が置いてあるのを見つけて、手に取った。裏表紙のあらすじには「少しだけ青味がかった便箋と、少しだけ右肩上がりの宛名。それが、彼女からの手紙だというサインでした……」とあって、松隆の言う通り、携帯電話もパソコンメールもない時代を題材としているのが分かった。松隆との話題になるから買おうかな、と悩んで──やめた。

 文庫本コーナーを出て、お店の出口まで戻れば、そこには所狭しといわんばかりに大量の雑誌が積んである。バレンタイン特集なんて文字は複数の雑誌から飛び込んできた。でも、その表紙に映っているのは、煌びやかなモデルばかり。

 こんな風に、顔が可愛かったら、人生楽しいんだろうな。

 私が手に取るだけで嗤われてしまう、そんなふうに表紙を飾るモデルを、じっと見た。姫城はあんまり笑わないね、とさえによく言われる。そんなの、笑っても可愛くもなんともない女子が笑ったところで無駄だからだ。こうやって可愛く笑えるなら、私だって、いくらでも笑ってやる。

 折角松隆との話題を探しに来たのに、気が滅入ってしまいそうで、逃げるように本屋を去った。