流れるように私の呼び方が変わり、そして牧落さんの呼び方も変えられた。牧落さんはまるでアイドルのように窓辺に腰かけたまま私に手を振っている。振り返すべきなのか悩んだ挙句「どうも……」聞こえるか聞こえないか分からないくらいの微妙な音量で返事をすることしかできなかった。

 九十三先輩はコソッと能勢さんに耳打ちして「……普通いまの流れって『なんで他の女の子のこと名前で呼んでるの? 昴夜とどんな関係なのっ』てなるところだよね」
「まあ、そういうサバけたタイプなんじゃないですか。さっき桜井くんが天然の真逆って言ってましたし」
「それならいいけどなあ、可愛い女子がいると揉めそうでイヤなんだよなあ」

 蛍さんは変わらずぼやく。確かに傾城(けいせい)の美女なんて言葉があるくらいだし、牧落さんはそのレベルの美少女だ。

「可愛い女子でいったら既に三国ちゃんいるじゃないですか」

 ねえ、と能勢さんに振り向かれてたじろいでしまった。私の顔面の客観的評価はさておき、あの牧落さんと比べられても困る。

「いや三国はモテないから問題ない」

 が、蛍さんにバッサリと切り落とされてしまった。しかもなぜか雲雀くんは鼻で笑った。不可解だ。いやモテるかモテないかはどうでもいいからこの際|措()くとして、なぜか当然のように言いきられると不可解だ。

「……いや、その、反論するつもりはないんですけど……ちなみになぜ……」
「男は単純だけど三国ちゃんは複雑だからねー」

 つまり九十三先輩も蛍さんと同じように考えている、と。

「まあ雲雀くんの言葉を借りるなら、三国ちゃんは数学ができなくなればいいんじゃない?」

 そして能勢さんも同じく、と。

 目を白黒させている私を無視し、蛍さんはすくっと立ち上がり、パンパンッとハリセンで机を叩いた。

「おい、そろそろ休憩は終わりだぞ。牧落サンがいるならご褒美になんだろ、課題の1つか2つくらいやって帰れ」

 先輩達は打って変わって従順になり「はーい」と揃って返事をして「芳喜ィ、物理やろうぜ」と勉強を再開し始めた。九十三先輩も「じゃ、三国ちゃん英語ね」とさっきまで取り出してすらいなかった問題集を開く。

「……可愛い後輩がいるってだけでこんな覿面(てきめん)態度変わるんですね」
「みんながみんなってわけじゃないけど」九十三先輩の示すほうを見れば早速勉強ではなく牧落さんの周りに群がる先輩とそれを叩く蛍さんがいて「勉強して胡桃ちゃんと話せないのと、勉強しないで胡桃ちゃんの傍にいて、でも血液型すらろくに聞けないで永人に殴られるのとどっちがイヤかって話だよ」

 なるほど確かに、それは分かりやすい選択だ。

「九十三先輩は永人さんに殴られたくなく、かつその情けない様子を牧落さんに見られたくないというわけですね」
「そそ。それに、胡桃ちゃんにデレデレして永人に殴られるより、三国ちゃんの隣で手取り足取りマンツーマンで教えてもらったほうがお得でしょ」

 さっきの雲雀くんの顔面偏差値と脳偏差値の話が頭に浮かんだ。牧落さんにささやかな質問をすることが100点、蛍さんに殴られることが-30点、更にそんな姿を牧落さんの前で(さら)すことの-20点の計50点だとしたら、私と勉強をするほうが生産性の観点から50点以上の評価と考えて差し(つか)えないという話だろう。

「じゃあ先輩のご期待に沿えるように頑張ります。とりあえず先輩は整序問題に手をつけられる段階にないので文法から始めましょう」