牧落さんがこの顔に化粧を施すとき、(しき)りに「えーもうヤバイ、めっちゃ綺麗」とぼやいていたことを思い出した。私にはよく分からないけれど、雲雀くんの顔には女子が羨ましがって仕方がないパーツがそろい踏みなのだろう。

「……終わった。唇だけ、これ」
「…………」

 雲雀くんはやっぱり乱暴にグロスを拭った。そのコットンを握り締めたままダンダンと足を踏み鳴らして部室棟の外階段を降り、待っていた中津くんの胸座をひっつかんだ。

「ヒッ」
「おい中津」

 背後からドロドロとした魔の手でも出てきそうなほど冷ややかかつ荒々しい声だった。

「お前こんなクソみたいにくだらねぇヤツらに二度と捕まるんじゃねーぞ。つか俺に迷惑かけたらまずテメェから潰してやる」
「はい! 本ッ当に反省してます! すみませんでした!」
「あと今日のことバラしたら殺す。つか美人局の件は丸ごと全部黙って三国に解決してもらったことにしろ。俺が何かしたって言うんじゃねえ」
「はい!!」
「女装くらいいいじゃん、そんなイライラしなくても」
「桜井くん、いまそういうこと言っちゃだめ」
「まあまあ雲雀くん、そんなにカッカしないの」

 ぽんぽん、と能勢さんが雲雀くんの肩を背後から叩いた。

「大丈夫、雲雀くんの女装なら全然抱けたよ」

 泥をまとった雲雀くんのスニーカーが空中を横切るけれど、能勢さんは悠々と腕で防いだ。なんなら「止めてもぐらつかないなんてすごいねえ」ともう一方の手で雲雀くんの足を降ろさせるくらいには余裕がある。雲雀くんの機嫌は当然更に悪くなった。

「おいこんなとこで喧嘩すんな。さっさと帰るぞ」
「はいはい、すみません」
「で、聞いてなかったけど、結局颯人の10万はちゃんとポシャったんだよな?」
「あ、はい、それはもちろん」

 歩き出した蛍さんに続きながらこくりと頷くと、隣の桜井くんが「マジで昨日話してたことやったの?」と私を覗き込んだ。

「……うん」
「昨日話してたことって? つか一昨日は美人局に会えなかったんだろ」
「あー、えっと、一昨日は(スノウ)(・ホワイト)の美人局には会えなかったんですが、桜井くんが、代わりに(スノウ)(・ホワイト)に勧められて美人局を始めた別の黒檀高生を捕まえまして」

 桜井くんと雲雀くんが、一昨日の美人局3人組に吐かせた情報は意外と有用だった。昨晩の作戦会議中、例によって桜井くんの家で、私達は情報を共有した。



(スノウ)(・ホワイト)の幹部に今津(いまづ)ってヤツがいるって蛍さんが教えてくれたろ。ソイツが入れ知恵したんだってさ』
『美人局やれば小遣い稼げるって? なんでわざわざ教えたんだろ』

 桜井くんは首を傾げた。確かに、ご丁寧に自分達の犯罪の手口を教えてあげるなんて、普通に考えれば百害あって一利なしだ。下手をすれば林くん達に脅迫のネタにされる可能性がある。

 ただ、その点は(スノウ)(・ホワイト)の幹部である今津くんとそうでない林くん達との力関係により解決するのだろう。そうだとすれば、考えられる理由は1つ。

『……()(くら)ましに使いたかったんじゃないかな』
『目晦まし?』
『自分達はもう充分なお小遣い稼ぎを終えたから、さっきの林くん達に美人局を始めさせて、今まで自分達がやった美人局も全部林くん達がやったことにしたかったんだと思う』