「気持ち悪いのよ、その白い髪!」
吐き捨てるような声とともに、バシッと頬をはたかれる。
容赦のない力に、一紗はなすすべもなく土間に倒れ込んだ。
双子の妹である二葉が、冷ややかに一紗を見下ろしてくる。
双子なので顔立ちは似ているものの、二葉は一紗とは正反対の見事な漆黒の髪をしていた。
「ほんと、なんでこんなに白いんだか。気持ち悪い!」
自慢の黒髪をさらりと揺らし、二葉が意地の悪い笑みを浮かべた。
「ほら、黒くしてあげるわ」
頬の痛みを堪えている一紗に、黒いススが振りかけられた。
「ふふっ!」
抑えきれない愉悦に、二葉の顔が楽しげに笑む。
「や、やめて!」
「なんで? 皆と同じ黒い髪にしてあげようとしているのよ!」
たっぶりとススをかけ、ようやく二葉が満足したように手を止めた。
「あーあ。ススだらけ。ちゃんと片付けておきなさいよ!」
二葉が言い捨てるとその場を立ち去る。
「う……っ」
双子の妹の残酷な仕打ちに涙があふれてくる。
「大丈夫か、一紗」
声をかけてきたのは、二歳上の兄の零だ。
眼鏡をかけた少し神経質そうな顔立ちをしているが、一紗には優しい。
零が心配そうに近づいてくると一紗の両肩にそっと手を置き、顔を覗き込んできた。
「は、はい。お兄様」
「二葉も鬱憤がたまっているんだ。許してやってくれ」
「……はい」
最近、貴族である榊家でも徐々に暮らし向きが悪くなってきた。
二葉が新しい着物が買えない、食事の品数が減ったとよく文句を言っているのが聞こえてくる。
元々あまり豊かではない国だが、日照りが続いて農作物に影響が出たせいもあり、日々の生活が厳しくなっていた。
「父様と母様が呼んでいる。着替えたら本家の座敷に来なさい」
零が立ち去ると、一紗はよろよろと立ち上がった。
汚れてしまった着物をはたき、髪についた黒いススを払い落とす。
(双子なのに何で私は……)
惨めな思いが込み上げ、一紗は涙ぐんだ。
髪が白い。
それだけで家族扱いどころか、使用人以下として扱われている。
(ううん、それだけじゃない……)
(私が能なしだから……)
やるせない思いに、一紗はぽたぽたと涙をこぼした。
*
「お呼びですか?」
一紗はびくびくと本家に足を踏み入れた。
本来なら、一紗も有力な貴族の榊家の令嬢だ。
だが、一紗は黒い髪の一族の中で唯一人白い髪で生まれてきた。
不吉だと忌み嫌われ、かくして一紗は貴族の令嬢でありながら、女学校にも行かせてもらえず下働きをする毎日を送っていた。
「そんなみっともない白い髪で出歩かないで!」
母からは罵倒され、父は見るのも嫌そうに目を背ける。
部屋も離れとは名ばかりの小屋で、十八歳の一紗は誰にも省みられることなく一人寂しく暮らしていた。
座敷には両親と兄の零、そして妹の二葉もいた。
家族全員が揃っており、おのずと緊張が高まる。
特に二葉が今にも噛みつきそうな顔でこちらを睨んでいるのが気になった。
(何なの……? 何があったの?)
「一紗、おまえに縁談が来た」
「えっ……」
思いがけない言葉に、一紗は絶句した。
苦い表情の父が続ける。
「芦田家の直之くんだ。面識があったのか……?」
「……家にいらした時に少しお話ししました」
芦田家も名門貴族の一翼を担っている名家だ。
たまに榊家に家族で訪ねてきており、同い年の直之が庭の掃除をしていた一紗に声をかけてくれたりした。
直之は大事に育てられた長男で、おっとりした穏やかな男子だ。
一紗はドキドキしてきた。
直之に恋をしているわけではない。
だが、貴族の結婚は当事者たちの気持ちではなく、政治的な事情がどうしても絡んでしまう。
誰かに嫁ぐのであれば、優しい人がよかった。
(直之様なら……)
結婚をしたら、この家から出られることになる。
虐げられる毎日から逃れられるかもしれない。
一紗の心にほのかな希望の灯火が宿った時だった。
「一紗に貴族の妻が務まるわけがないわ! 女学校すら行っていないのに!」
二葉が苛立ったように声を上げた。
「榊家の娘を妻に、というなら私の方がふさわしいわ!」
二葉の言葉に、両親がぐっと詰まる。
怪しい雲行きに、一紗はおろおろした。
「どう思う。零」
考えあぐねたのか、父が長男の零に声をかけた。
「そうですね……」
零がすっと眼鏡を指で押し上げる。
「いい縁談だと思います。それだけに、きちんと令嬢として教育を受けてきた二葉が受けるべきかと」
「……っ!!」
唯一優しかった兄ならば、味方になってくれるかもしれないと思った一紗は愕然とした。
零が申し訳なさそうな表情になる。
「ごめんよ、一紗。だが、芦田家ともなれば、社交が必須。みっともない真似をすれば、多方に迷惑がかかる」
兄の忌憚のない言葉が突き刺さる。
「心配しないでいいよ、一紗。嫁に行けなくとも、ずっとこの家にいていいから。一生、僕が面倒をみるから」
零がにっこり笑いかけてきた。
一見、思いやりに満ちた言葉だ。
だが一紗にとっては、一生この家に縛り付けられ、自由がないと宣言されたも同然だった。
一紗は膝の上でぎゅっと手を握り、唇をかんだ。
そうしないと、叫び出してしまいそうだった。
「では、二葉を婚約者とする。それでいいな?」
「……はい」
一紗はそう答えるしかなかった。
*
その夜、一紗は薄い布団に横たわり、静かに涙を流した。
(私は一生このままなんだ……)
(たった一人で生きていくんだ……)
(私に力がないから……)
一紗が蔑まれるのは、何も髪が白いだけではない。
榊家の娘として生まれながら、異能がなかったせいもある。
逆に異能さえあれば、大事に育てられていたはずだった。
(力さえあれば……)
いくらそう願っても、空しいだけだった。
何度試してみても、一紗に整気の力はなかったのだ。
無力感に苛まれ、一紗はなかなか寝付けなかった。
吐き捨てるような声とともに、バシッと頬をはたかれる。
容赦のない力に、一紗はなすすべもなく土間に倒れ込んだ。
双子の妹である二葉が、冷ややかに一紗を見下ろしてくる。
双子なので顔立ちは似ているものの、二葉は一紗とは正反対の見事な漆黒の髪をしていた。
「ほんと、なんでこんなに白いんだか。気持ち悪い!」
自慢の黒髪をさらりと揺らし、二葉が意地の悪い笑みを浮かべた。
「ほら、黒くしてあげるわ」
頬の痛みを堪えている一紗に、黒いススが振りかけられた。
「ふふっ!」
抑えきれない愉悦に、二葉の顔が楽しげに笑む。
「や、やめて!」
「なんで? 皆と同じ黒い髪にしてあげようとしているのよ!」
たっぶりとススをかけ、ようやく二葉が満足したように手を止めた。
「あーあ。ススだらけ。ちゃんと片付けておきなさいよ!」
二葉が言い捨てるとその場を立ち去る。
「う……っ」
双子の妹の残酷な仕打ちに涙があふれてくる。
「大丈夫か、一紗」
声をかけてきたのは、二歳上の兄の零だ。
眼鏡をかけた少し神経質そうな顔立ちをしているが、一紗には優しい。
零が心配そうに近づいてくると一紗の両肩にそっと手を置き、顔を覗き込んできた。
「は、はい。お兄様」
「二葉も鬱憤がたまっているんだ。許してやってくれ」
「……はい」
最近、貴族である榊家でも徐々に暮らし向きが悪くなってきた。
二葉が新しい着物が買えない、食事の品数が減ったとよく文句を言っているのが聞こえてくる。
元々あまり豊かではない国だが、日照りが続いて農作物に影響が出たせいもあり、日々の生活が厳しくなっていた。
「父様と母様が呼んでいる。着替えたら本家の座敷に来なさい」
零が立ち去ると、一紗はよろよろと立ち上がった。
汚れてしまった着物をはたき、髪についた黒いススを払い落とす。
(双子なのに何で私は……)
惨めな思いが込み上げ、一紗は涙ぐんだ。
髪が白い。
それだけで家族扱いどころか、使用人以下として扱われている。
(ううん、それだけじゃない……)
(私が能なしだから……)
やるせない思いに、一紗はぽたぽたと涙をこぼした。
*
「お呼びですか?」
一紗はびくびくと本家に足を踏み入れた。
本来なら、一紗も有力な貴族の榊家の令嬢だ。
だが、一紗は黒い髪の一族の中で唯一人白い髪で生まれてきた。
不吉だと忌み嫌われ、かくして一紗は貴族の令嬢でありながら、女学校にも行かせてもらえず下働きをする毎日を送っていた。
「そんなみっともない白い髪で出歩かないで!」
母からは罵倒され、父は見るのも嫌そうに目を背ける。
部屋も離れとは名ばかりの小屋で、十八歳の一紗は誰にも省みられることなく一人寂しく暮らしていた。
座敷には両親と兄の零、そして妹の二葉もいた。
家族全員が揃っており、おのずと緊張が高まる。
特に二葉が今にも噛みつきそうな顔でこちらを睨んでいるのが気になった。
(何なの……? 何があったの?)
「一紗、おまえに縁談が来た」
「えっ……」
思いがけない言葉に、一紗は絶句した。
苦い表情の父が続ける。
「芦田家の直之くんだ。面識があったのか……?」
「……家にいらした時に少しお話ししました」
芦田家も名門貴族の一翼を担っている名家だ。
たまに榊家に家族で訪ねてきており、同い年の直之が庭の掃除をしていた一紗に声をかけてくれたりした。
直之は大事に育てられた長男で、おっとりした穏やかな男子だ。
一紗はドキドキしてきた。
直之に恋をしているわけではない。
だが、貴族の結婚は当事者たちの気持ちではなく、政治的な事情がどうしても絡んでしまう。
誰かに嫁ぐのであれば、優しい人がよかった。
(直之様なら……)
結婚をしたら、この家から出られることになる。
虐げられる毎日から逃れられるかもしれない。
一紗の心にほのかな希望の灯火が宿った時だった。
「一紗に貴族の妻が務まるわけがないわ! 女学校すら行っていないのに!」
二葉が苛立ったように声を上げた。
「榊家の娘を妻に、というなら私の方がふさわしいわ!」
二葉の言葉に、両親がぐっと詰まる。
怪しい雲行きに、一紗はおろおろした。
「どう思う。零」
考えあぐねたのか、父が長男の零に声をかけた。
「そうですね……」
零がすっと眼鏡を指で押し上げる。
「いい縁談だと思います。それだけに、きちんと令嬢として教育を受けてきた二葉が受けるべきかと」
「……っ!!」
唯一優しかった兄ならば、味方になってくれるかもしれないと思った一紗は愕然とした。
零が申し訳なさそうな表情になる。
「ごめんよ、一紗。だが、芦田家ともなれば、社交が必須。みっともない真似をすれば、多方に迷惑がかかる」
兄の忌憚のない言葉が突き刺さる。
「心配しないでいいよ、一紗。嫁に行けなくとも、ずっとこの家にいていいから。一生、僕が面倒をみるから」
零がにっこり笑いかけてきた。
一見、思いやりに満ちた言葉だ。
だが一紗にとっては、一生この家に縛り付けられ、自由がないと宣言されたも同然だった。
一紗は膝の上でぎゅっと手を握り、唇をかんだ。
そうしないと、叫び出してしまいそうだった。
「では、二葉を婚約者とする。それでいいな?」
「……はい」
一紗はそう答えるしかなかった。
*
その夜、一紗は薄い布団に横たわり、静かに涙を流した。
(私は一生このままなんだ……)
(たった一人で生きていくんだ……)
(私に力がないから……)
一紗が蔑まれるのは、何も髪が白いだけではない。
榊家の娘として生まれながら、異能がなかったせいもある。
逆に異能さえあれば、大事に育てられていたはずだった。
(力さえあれば……)
いくらそう願っても、空しいだけだった。
何度試してみても、一紗に整気の力はなかったのだ。
無力感に苛まれ、一紗はなかなか寝付けなかった。



