春霞村の朝は、朝霧とともに静かに始まる。藤井家の屋敷では、しかし、葵にとって安らぎなどない。
 夜明け前、納屋の硬い藁の上で目を覚ました葵は、冷たい水で顔を洗い、すぐに仕事に取りかかった。彼女の仕事は尽きない。屋敷の掃除、食事の支度、畑の世話、そして姉妹のわがままな要求に応えること。

 継母の貴代は、葵が一瞬でも手を休めると、容赦なく罵声を浴びせた。


「葵! まだ米を研いでないの? 美桜と華桜の朝食が遅れるじゃない!」


 貴代の声が台所に響く。葵は慌てて木桶に手を突っ込み、冷たい水で米を研ぎ始めた。彼女の手は冬の寒さでひび割れ、赤く腫れていたが、文句を言うことなど許されない。


「本当に使えない子ね。こんな簡単なことも遅いなんて、神子選定の儀式に間に合うように、娘たちを完璧に仕上げなきゃいけないのに!」  


 貴代はそう吐き捨て、絹の扇子をパタパタと振って出て行った。葵は黙って米を研ぎ続け、心の中で呟いた。

「神子選定…私には関係ないのに…」


 台所に美桜と華桜が現れた。二人は朝食用に新調された桜色の着物をまとい、髪には真珠の飾りが輝いている。美桜は葵を一瞥し、鼻で笑った。