「えっ、なに……?」
まるで何かに応えるかのように、風が葵を包み込んだ。彼女が驚いて顔を上げると、そこには見知らぬ青年が立っていた。
黒い髪に、炎のような赤い瞳。白い神官装束に身を包んだ彼は、まるでこの世のものとは思えない美しさだった。
葵は息を呑み、思わず後ずさった。
「誰…?」
青年は無表情で葵を見つめ、静かに言った。
「汝、何故ここに祈る? 誰も報わぬ願いを、なぜ捧げるのだ?」
葵は戸惑いながらも、誠実に答えた。
「私には、ここしかないから。桜ノ神様だけが、私の心を聞いてくれる気がするから……」
青年の瞳がわずかに揺れた。まるで、葵の言葉が彼の心の奥に触れたかのように。
「面白い娘だ。名は?」
「葵、……藤井葵です」
「葵、か」
青年は一歩近づき、葵の頬に落ちた花びらをそっと取り除いた。その指先は冷たく、だがどこか優しかった。
「覚えておこう。葵、汝は選ばれし者かもしれない」
彼はそう言うと、桜の花びらとともに姿を消した。葵は呆然と立ち尽くし、なぜか胸が不思議な熱で満たされるのを感じた。
あの青年は誰だったのか。なぜ、みすぼらしい自分に話しかけたのか。
その夜、葵は粗末な納屋の寝床で、青年の赤い瞳を思い出しながら眠りについた。
彼女は知らなかった。自分が、桜ノ神――焔夜と運命的な出会いを果たしたことを。
そして、その出会いが、彼女の人生を、桜ノ国そのものを変えることを。



