桜ノ国の辺境、春霞村。春の終わりの柔らかな風が、村を見下ろす丘の桜の古木を揺らしていた。淡い桃色の花びらが舞い散る中、粗末な麻の着物をまとった少女、葵が、ひざまずいて手を合わせていた。


「桜ノ神様、どうか…私の心を清めてください。どんなに辛くても、憎しみに飲まれないように…」


 葵の声は小さく、風に溶けるようだった。彼女の黒髪は乱れ、頬には土の汚れが付いている。それでも、長い睫毛に縁取られた瞳は、まるで夜空の星のように澄んでいた。

 彼女は村の商家、藤井家の庶子だった。母は葵を産んですぐに亡くなり、父は後妻の貴代とその連れ子である美桜、華桜を溺愛していた。葵は家で奴隷のように扱われ、朝から晩まで家事や畑仕事を強いられていた。美しい着物を着る姉妹とは対照的に、葵の着物は継ぎ接ぎだらけで、食事も残飯がせいぜいだった。

それでも、葵はこの桜の古木に祈ることで心を保っていた。村人たちはこの木を「神の依り代」と呼び、桜ノ神が宿ると信じていた。葵にとって、ここは唯一の安らぎの場だった。


「葵! いつまでサボってるの!」