◇姉、帰還す
その日、大奥の空気が変わった。
――桂木蓮華、御殿へ戻る。
失踪していた姉が、何事もなかったかのように、江戸城に戻ってきたのだ。
ふたたび十二単を纏い、堂々たる姿で。
わたしと瓜二つの顔。だが、そこにあるのは気高き“本物”の気配。
「志乃」
姉は、誰もいない庭でわたしに囁いた。
「よくここまで、わたしの顔で演じ切ったものね。……あんたって、思ったよりしぶといのね」
その声音には、かつての姉妹の面影など微塵もなかった。
けれど、わたしももう、昔の志乃ではない。
「姉上こそ、ずいぶん遅かったのですね」
そう言うと、姉の目が一瞬、細く笑った。
「本当の舞台は、これからよ」
それからというもの、大奥は一層張り詰めた空気に包まれている。
蓮華様と志乃様――二人の「蓮華」が、同時に存在しているのだ。
将軍は、どちらも明確に退けようとはせず、ただ“見て”いるようだった。
「上様は、私たちを試しておいでなのです」
梅がそう囁くたび、心がきゅっと引き締まった。
この場所では、美貌も教養も、血筋さえも武器になる。
わたしは、武器を持たぬまま、猛獣の檻に足を踏み入れたのだ。
だが、それでも。
「志乃様、今日は上様よりのお召しです」
と、ある夜。
わたしは再び、あの御簾の向こうに呼ばれた。



