◇姉、狂気の決意


 「子を、身ごもった……ですって?」

 蓮華は、鏡台を打ち砕いた。
 紅が飛び散り、硝子の破片が床に舞う。

 「わたしの席を奪っただけでは飽き足らず……この期に及んで“世継ぎ”まで……!」

 その目は、もうかつての優雅な姉のものではなかった。

 「ふふ……面白い。なら、奪い返すだけ」

 誰かが止めようとしたとき、彼女ははっきりと言った。

 「――その子を、わたしが産むことにすればいい」



 志乃の身辺に、ふたたび不穏な空気が漂いはじめた。

 ある夜、突然襲った眩暈。
 目覚めたとき、部屋の障子がすべて閉ざされ、あやめがいなかった。

 梅が血相を変えて駆け込んできた。

 「志乃様、御典医の名で使われた侍女が、蓮華様付きの者と入れ替わっていました!」

 仕組まれていたのは――
 懐妊を「姉・蓮華の子」として公表しようとする陰謀。

 産み月が来れば、志乃の腹を奪い、蓮華が「世継ぎの母」となる計画。

 「まさか……わたしの、子を……!」



  ***

 将軍様の御前で、わたしは静かに頭を下げた。

 「この子を、どうか“志乃の子”として……正式にお認めいただけませんか」

 涙が頬を伝う。

 「……わたしは、この子の命を、何があっても守り抜きたいのです」

 将軍様は立ち上がり、ゆっくりと歩み寄った。
 その手が、わたしの腹にそっと触れる。

 「――わたしの子であり、志乃の子である。
  誰の手にも渡させない。命を懸けて、守ろう」

 
 そう将軍様は言い、そっと抱きしめた。



 その夜、蓮華は最後の一手に出た。

 将軍の寝所に忍び込み、「志乃に成りすまして懐妊している」と叫んだのだ。

 「わたしこそが、お腹にお子を宿している桂木志乃です!」

 取り押さえられたその姿に、もはや気品も誇りもなかった。

 将軍様は、冷たい声で言い放った。


 「ならば、見せてみよ。その腹を」


 蓮華は怯え、崩れ落ちる。

 そのとき、女たちの中でさえ、もう誰も“彼女”を擁護しなかった。そんな恐れ知らずな女はいなかった。