◇御前の誓い
その夜、わたしは将軍様に呼ばれた。
いつもより静かな座敷、香がたなびく中。
「おまえを見ていた」
将軍様の瞳は、ただ真っ直ぐに、わたしだけを映していた。
「なぜ、そこまで己を証明しようとする。名も、地位も、失うことを恐れずに」
わたしは膝をつき、静かに答えた。
「誰かの影として生きるのは、もう……たくさんです。
けれど、それでも“志乃”という一人の女が、ここにいたことを……この世に残したかったのです」
将軍様は目を伏せ、そして――手を伸ばし、わたしの顎をそっと持ち上げた。
「忘れるな。おまえは、わたしが見つけた“唯一の志乃”だ」
次の瞬間、その唇がわたしの額に触れた。
やさしく、熱く、すべてを赦すように。
***
翌朝、大奥の帳はざわめいていた。
「志乃様が……御覧で“褒められた”って……!」
「いや、もう“蓮華様”ではないって……?」
女たちのざわめきは、嫉妬と驚愕をはらみながらも、確かなものだった。
――桂木志乃。
かつて、名もなく影に埋もれていた妹の名が、はじめて光に照らされた瞬間だった。
だがその影で、姉・蓮華は静かにほほ笑んでいた。
「そう……なら、わたしは本気で取り戻すわ。あの座を、あの人を」



