校舎に入ると、かすかな音色が耳に届いた。
階段をのぼり、音楽室へ向かう。フルートの音色が、夜の校舎をやさしく包んでいる。
開けっ放しのドアの向こうに、フルートを奏でる冬吏がいた。リッププレートに口を当て、体を左右に揺らせている。
目が合うと、冬吏はいたずらがバレた子どものように笑った。
「見つかっちゃったか。こいつの無事をたしかめにきたんだけど、つい演奏したくなってさ」
相棒のフルートを軽く持ちあげた冬吏が、私の表情に気づき目を丸くした。
「え、なにかあったのか? 誰かケガでもした?」
「……違うよ」
自分でも声が震えていることがわかる。
心配そうな顔の冬吏。私もきっと同じ表情をしている。
「さっきね、夏海に学会の資料を見せてもらったの。写真に撮ってスマホに保存してるんだって」
「へえ……」
「学会のメンバーが写真つきで載ってた。私のお父さんがクビになる直前くらいに撮った写真みたい」
言われることがわかったのだろう、冬吏は口を閉じ、視線をゆっくり床へと落とした。
「そこに冬吏のお父さん――大地さんの名前と写真があった。でも、『九条大地』という名前じゃなかった」
「言ってなかったっけ? うちの親、俺が子どものときに離婚してるんだ」
軽い口調とは裏腹に、あきらめたような表情を浮かべている。
やっぱりそうだったんだ……。
「離婚したこと、さっき聞いたばかりだから気づけなかった。冬吏は離婚で名字が変わったんだね。〝樹大地〟……大地さんの苗字は〝樹〟なんだね」
「俺も小学生までは〝樹冬吏〟だった。離婚して母親の苗字である〝九条〟になったんだ」
「ロビーで会ってた樹くんは……冬吏だったんだね」
てっきり〝樹〟という名前だと思いこんでいた。
でも、まだ理解できないことがいくつかある。
「でも、樹くんは同学年じゃなくて、ひとつ上だったはず。どうしてうそをついたの?」
最初は冬吏に兄がいたのかと疑った。けれど、すぐに違うと思った。
鼻のあたまをかく冬吏が、過去の映像と重なる。
「バカみたいだけど、少しでも大人に見せたくて、うそをついてしまったんだ。何度も本当のことを言おうとしたけど、訂正できないままある日、突然会えなくなってしまった。ずっと後悔してたし、今もしてる」
「楽器だって、なにも弾けないって言ってたよね?」
冬吏がフルートをそっと机に置いた。
「それは本当のこと。俺が楽器を弾くようになったのは、雪音の影響だから」
「私の?」
「雪音の弾くピアノ、いつもすごいって思ってた。俺もなにか楽器を弾けるようになりたくて、親に頼みこんで習わせてもらったんだ。いつか雪音に聞いてもらいたい、って……ごめん」
フルートを指先でなぞりながら、冬吏は過去を思い出すように目を細めた。
「転入してきたときに、なんで言ってくれなかったの? 話してくれたら、すぐに思い出せたのにどうして?」
冬吏はいつも不機嫌だった。話しかけても愛想がなく、心を許してくれなかった。
ひと呼吸置いて、冬吏はまっすぐに私を見た。
「思い出したくなかったんだろ?」
「え……?」
「まさかこの町に雪音がいると思ってなかったら、会えたときは本当にうれしかった。また昔みたいにいっぱい話せるって」
そう言ったあと、「でも」と冬吏は目を伏せた。
「久しぶりに会った雪音は、誰に対しても同じ笑顔で接していた。ムッとすることも、言い返すこともなく、クラスメイトのなかに紛れようとしていた。千秋たちが昔のことを聞いてもごまかしていたし、ピアノも弾けないって言ってた。だから、言い出すことができなかった」
「ああ……うん」
私はうなずくことしかできなかった。
「うちと同じで父親との仲もよくない。でも……ひとつだけ違ってのは、俺は親父が主張する説――地球がこわれるって話を、心のどこかで信じてた。本当に来る気がしてたんだ。終わりの日が」
私は信じてあげられなかった。冬吏に出会って、やっと過去に信じた自分を取り戻せた。
「私の……せいだったんだ」
私が、お父さんを信じなくなったから。あのとき、疑って、切り離してしまったから――冬吏の心も、どこかで凍らせてしまったんだ。
なんで……なんで私は信じられなかったの?
視界がゆがんだと思ったら、あっけなく涙がひとつこぼれ落ちた。
「違うんだ」
苦しげに息を吐いた冬吏が、「違う」とくり返した。
「雪音のせいじゃない。俺が悪いんだ」
「でも、でも、私――」
一歩、私の前に進んだ冬吏が、やわらかな光を宿した目で、まっすぐに見つめてくる。
「俺はヒーローになりたかった。ヒーローってのは孤独なもんだろ? みんなを救うために、誰にも頼らずに立ち向かう。俺、そういうのに憧れてた。ぶっきらぼうな態度取って、クラスとも距離置いて、ひとりでなんとかしようって――思い込んでた」
そう言ったあと、冬吏は過去の影を探すように目を伏せた。
「でも、あの日、聞いてしまったんだ。雪音がピアノを――」
「あ……君沢湖の帰り道のこと?」
うなずく冬吏の頬に、かすかな笑みが戻った。
「すぐに雪音の音だってわかった。ずっと忘れないと誓った、あの旋律だって」
――私の音。
誰にも聞かせたくなくて閉じこめていたのに、冬吏は見つけてくれたんだ……。
「じゃあ、私に忘れ物を取りに行かせたときのノートって……」
「雪音にあのころの気持ちを思い出してほしくて、俺は信じてるよって伝えたくて……わざと見せたんだ」
あのことがきっかけで、私たちは普通に話をするようになった。偶然だと思ってたけれど、冬吏が仕掛けてくれてたんだ……。
「ごめん」冬吏が困ったように拳を口に当てた。
「最低だよな。地球がこわれる日まで時間がなくて焦っててさ……本当にごめん」
思ったことを口にするのが怖かったあの日の私は、もういない。
「違う。冬吏のおかげで、私はまた信じられるようになったの。お父さんのことも、自分のことも。もしあのとき、冬吏が手を伸ばしてくれなかったら、私は、きっとまだ心を閉ざしたままだった。全部、冬吏が教えてくれたこと。冬吏が私に勇気をくれたんだよ」
――私は今、自分の気持ちを言葉にする。
「冬吏、あのね――」
「雪音のことが好きなんだ」
彼の声が、遮るようにまっすぐ心に響いた。
ヘリコプターの音が空を裂き、サーチライトが音楽室を駆け回る。壁に映る私たちの影が、静かに寄り添った。
そして、光が去る。
静けさが戻った音楽室のなかで、冬吏が続けた。
「高校で再会したときから、いや、小学生のころから好きだった。雪音は昔のことを封印してたから、あきらめようと思った。でも、距離が近くなるたびに、一緒に行動しているうちに、もっと好きになってた」
「冬吏……」
「本当は日付が変わったら告白するつもりだったけど、救助されたあと、俺は北極に連れ戻されると思う。その前に、どうしても伝えたかった」
その手を取るのに、迷いなんてなかった。
私の心が、体が、想いを伝えたいと叫んでいる。
「私も冬吏のことが好き。ずっと、好きだった」
「雪音……」
涙混じりの笑みがこぼれた瞬間、どちらからともなく抱きしめ合っていた。
私たちは長い間、お互いのことを想い合っていたんだ。
気づいてあげられなくてごめんね。冬吏だけじゃなく、自分の心にも謝った。
体を離すと、冬吏は私の肩に手を置いた。
「もしも離れても、お互いのことを信じていれば大丈夫。必ず雪音のもとに帰ってくるって約束する」
「うん。ずっと待ってる」
必ず約束を守るヒーロー。それが、冬吏だ。
冬吏がおでこを私のおでこにくっつけた。彼のぬくもりが体に浸透してくるのがわかる。
「そろそろ校庭に戻ろう。みんな心配してるだろうから」
いちばん近い距離で聞くあたたかな声に、
「うん」
私はそっとうなずいた。
顔を離すと、冬吏は照れたように右手を出してくれた。
手を握り、音楽室のドアへ向かおうとした、そのときだった。
音楽室の床が、ぐにゃりと波打ったように揺らめいた。
――ゴゴゴゴゴ!
遅れて激しい揺れが襲った。すぐに突きあげるような激しさに変わり、フルートが床に転がり落ちる。
目の前の柱に、音を立ててヒビが刻まれた。
「雪音!」
腕を引っ張られ床に転がる。鈍い音を立て、さっきいた場所に割れた柱の一部が突き刺さっていた。
覆いかぶさるように冬吏が私を抱きしめている。
天井から照明器具がガラス片と一緒に降り注ぐ。
ギュッと目を閉じ耐えているうちに、揺れは収まっていた。
起きあがった冬吏が私の手を引いてくれた。
「大丈夫?」
「冬吏はケガしてない?」
イヤな音を耳が捉えた。
音楽室全体が、ミシミシときしんでいる。ワイヤーの切れる音、岩を砕くような音が四方八方から聞こえる。
「急いで校舎から出よう」
冬吏に手を引かれ、ドアに向かって走り出す。
―――ガガガガ!
爆発するような音に、音楽室が激しく揺れた。
「危ない!」
冬吏の叫び声を耳にした次の瞬間、私の体は突き飛ばされていた。
教室のドアの向こうに倒れてすぐに、
――ドゴン!
重い音が響き渡り、視界は白い煙に遮られた。
倒れたままふり向くと、そこには天井から落ちたコンクリートの塊。
冬吏の姿が……見えない。
「え……うそ」
照明の落ちた音楽室の窓から、月の光が差しこんでいる。
這いながら冬吏がいた場所に近づくと、グランドピアノの横に冬吏が倒れていた。
「冬吏!」
肩を揺すっても、冬吏はギュッと目を閉じている。ふと、指先が濡れていることに気づいた。
血が出ている……。床に水たまりができるほどの出血。
足音が聞こえ顔をあげると、黒い人影が音楽室の前を駆けていく。
「冬吏! 雪音! いるのか!? 」
「桜輔……桜輔!」
必死で叫ぶと、桜輔が驚いた顔で飛びこんできた。床に倒れている冬吏に気づくと、「ああ」と声を漏らした。
「マジかよ……。おい、冬吏! しっかりしろよ!! 」
「ケガをしてるの。お願いだから、誰か呼んできて」
「わかった」と言って、桜輔が私の手をつかんだ。
「お前も来い。ここにいたら危ない」
これは……夢なの?
片方の手で桜輔の腕を解いた。
「ここにいる」
「バカ! いつ崩れるかわかんないだぞ!! 雪音までケガしたら冬吏が――」
「早く行って! 私はここにいる!」
泣きながら叫ぶと、桜輔は迷うように押し黙ったあと、音楽室を飛び出していった。
冬吏は苦しそうに荒い息を吐いている。
どうしてこんなことになったの……。
やっと想いを伝え合えたのに、あんまりだよ……。
「……雪音?」
冬吏が目を閉じたまま、私の名前を呼んだ。
「冬吏っ!」
「ケガはない?」
「うん……大丈夫。私は大丈夫だよ」
ホッとしたようにほほ笑む顔が、薄い月明りに照らされている。
上を見ると、ぽっかりと天井に穴が開いていた。
「俺、ヒーローになれたのかな」
「そんなこといいから。今、助けが来るから、しっかりして!」
冬吏は、かすかに目を開けた。
「大事なことなんだ。俺、ヒーローになれたんだよな?」
ボロボロと涙がこぼれて、冬吏の顔がうまく見えない。
「……なれたよ。冬吏はヒーローになったんだよ」
その言葉を聞いて、冬吏はホッとしたような笑みを浮かべた。
「ああ、よかった」
私を助けたばかりに、冬吏がケガをしてしまった。
どうしよう。どうすれば冬吏を助けられるの!?
「危ないから雪音は逃げて」
「イヤだよ。そんなこと言わないで……」
泣きじゃくる私の頬に、冬吏が手を当てた。
「俺は満足してる。雪音のヒーローになれたんだから」
「冬吏のそばにいたい。冬吏と一緒にいたいよ!」
なにか言い返そうと口を開いた冬吏が、苦しそうに顔を横に向けた。
呼吸がさっきよりも浅く、短くなっている。
足音に顔をあげると、大地さんが飛びこんできた。遅れて、桜輔と千秋の姿も。
大地さんが冬吏の横に両膝をつき、冬吏の手を握った。
「今、救助隊が戻ってくる。頭を打ってるかもしれないから、動かさないほうがいいそうだ」
「ああ。悪い」
「冬吏……悪かった。お前を守りたかったのに、こんなことになるなんて……」
大地さんは顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
「なに言ってんだよ。守ってきたのは俺のほうだろ」
「約束する。お前を絶対に死なせたりしない。だから、だから……!」
「泣くなよ。親父らしくない」
はあはあ、と呼吸をしたまま冬吏は私を指さした。
「雪音を連れていって。ここにいたら……危ないから」
「……わかった」
大地さんと目が合った。
「私はここにいたい。いさせてください」
「雪音!」千秋が私の腕を引っ張った。
「気持ちはわかるけどダメ。冬吏にはおじさんがついてるから、今は言うことを聞いて」
「冬吏、ぜってえ大丈夫だからな! 雪音のことは任せろ!」
桜輔まで私を音楽室から連れ出そうとしてくる。
だけど……だけど……!
ふたりの手をかわし、冬吏に一歩近づく。目が合うと、冬吏は弱々しく首を横にふり「逃げて」とくり返した。
足音にふり向くと、お父さんとお母さんが音楽室に入ってきた。誰かに聞いたのだろう、お母さんが救急ボックスを手に駆け寄る。
「出血を止めないと。出血個所は?」
「いや……頭を動かさないようにって救急隊員に――」
「出血を止めるほうが先です。ほら、ここを押さえて」
てきぱきと処置を進めるなか、冬吏は苦しそうにあえいでいる。
「冬吏、私にたくさん約束してくれたよね? ここにいることも、北極に行っても戻ってくることも、町のみんなを助けることも」
約束を果たしてくれるたびに、私は自分を取り戻せた。そして、冬吏のことを好きになっていった。
このまま逃げるなんて、とてもできない。
「冬吏、私はここにいる。救急隊員が来るまででいいから、ここにいさせて」
青ざめた顔で冬吏は目を細めてくれた。
「じゃあ、『私との約束』を聴かせて。雪音の音を聴きたい」
絞り出すような声に、大地さんがすがるように私を見た。
「頼む。こいつの言うことを聞いてやってくれ」
大粒の涙がボロボロと頬にこぼれている。
「お父さんも賛成だ」
お父さんがうしろで言った。お母さんはなにも言わずに、冬吏の傷口をガーゼで押さえている。
「うん。冬吏、『私との約束』を果たすよ。だから冬吏も約束して。必ず生きて、これからもずっと私のそばにいるって」
薄く目を開けた冬吏の口が動いた。『約束する』と動くのを確認してから立ちあがった。
グランドピアノの椅子に腰をおろし、フタを開ける。
これを弾き切ることができれば、絶対に冬吏は助かる。またあの笑顔を見せてくれる。
深呼吸すると、指先の震えが魔法のように止まった。
両手を鍵盤にそっと置き、私は奏でる。私たちの思い出に刻まれたこの曲を、今、冬吏に贈りたい。
音楽室を震わすほどの音で、曲がはじまった。
シャープのレ音が小さな鐘を表現し、セクションが進むごとに高音の跳躍が激しくなる。
オーナメントと呼ばれる装飾音が加わると、鍵盤を高速で連打するセクションがある。鍵盤から指が落ちがちな譜面を越えると、曲はクライマックスに向けてさらに技巧が必要になる。
――不思議。
まるでここには、私と冬吏だけがいるみたい。
横たわる冬吏の姿が、あの日の樹くんに重なる。
天井の空いた音楽室。月の光がさらさらと降り注ぐなか、樹くんが隣にいる錯覚を覚える。
彼は、ニッコリ笑うと私に手をふり離れていく。
さよならだね、樹くん。だけど、今の冬吏だけは連れていかないで。
涙で視界がぼやけそうになるのをこらえ、セクションを越えていく。
冬吏が必要なの。冬吏がいないと、こわれてしまった世界を生きていけないから。だから、お願い――。
最後の音を鳴らし、曲が終わった。
思わず拍手した桜輔を、千秋が突っつくのが見えた。
完璧な演奏とは言えなかったけれど、きっと冬吏に届いたはず。
冬吏に近づくと、唇をあげてほほ笑んだ。
「ありがとう。やっと『ラ・カンパニー』を聴けたよ」
「『ラ・カンパネラ』だよ。わざと間違えてるよね?」
「ふふ」と小さく笑ったあと、冬吏の目がやさしくカーブした。
「雪音のピアノが好きだよ。だからこれからも……」
口から長い息を吐き、冬吏は静かに目を閉じた。
その体から、手から、力が抜けていく。
「え……冬吏?」
床に落ちた手は、もう動かない。
大地さんが「ああ!」と叫び、その場で泣き崩れた。
「泣いてる場合じゃないでしょ! 人工呼吸を!! 」
お母さんが叫ぶが、大地さんは床に顔をうずめて動かない。
「救急隊員に伝えないと! 桜輔っ!! 」
千秋たちが飛び出していった。
――冬吏は唇に笑みを浮かべ、目を閉じている。
冬吏のそばに膝をつくと、やけに床が冷たく感じた。
「大丈夫、だよね……。さっき……約束、したよね……?」
お母さんが人工呼吸をはじめるのをぼんやり眺める。大地さんの嗚咽が響き渡る。
「冬吏と出会うまで、ね……私、ひとりぼっちのような気がしてた。誰にも心を許せず、許したフリで笑顔の仮面をつけてたの」
お願い目を覚まして。私を置いていかないで。
「でも、冬吏が約束を守ってくれた。誰かを信じることは、自分を信じることだって教えてくれた」
ボロボロとこぼれ落ちる涙で、冬吏の顔が、大好きな冬吏の顔がうまく見えない。
「私は『私との約束』をちゃんと果たせたんだよ。今度は……冬吏の番なんだよ」
冬吏は絶対に約束を守ってくれる。私を置いてどこかに行ったりしない。遠くへ連れ去られたとしても、必ず戻ってきてくれる。
――だって、冬吏はヒーローだから。
横たわる冬吏の手を包むように握った。
「冬吏、お願いだから目を覚まして。お願い……」
月の光が、冬吏の青白い顔を照らしている。
くぐもった泣き声が場を浸しても、私は疑ったりしない。
絶対に冬吏は約束を守ってくれる。ねえ、そうだよね?
「私も約束する。冬吏は……冬吏は絶対に元気になる。だから、だから……っ!」
涙でぼやける冬吏の顔に、なにかが舞い落ちた。
見あげると、ぽっかり空いた天井に丸い月が浮かんでいる。
雪が降る。
はらはらと、ひらひらと。
雪のような灰が、私たちに降り注いでいる。
階段をのぼり、音楽室へ向かう。フルートの音色が、夜の校舎をやさしく包んでいる。
開けっ放しのドアの向こうに、フルートを奏でる冬吏がいた。リッププレートに口を当て、体を左右に揺らせている。
目が合うと、冬吏はいたずらがバレた子どものように笑った。
「見つかっちゃったか。こいつの無事をたしかめにきたんだけど、つい演奏したくなってさ」
相棒のフルートを軽く持ちあげた冬吏が、私の表情に気づき目を丸くした。
「え、なにかあったのか? 誰かケガでもした?」
「……違うよ」
自分でも声が震えていることがわかる。
心配そうな顔の冬吏。私もきっと同じ表情をしている。
「さっきね、夏海に学会の資料を見せてもらったの。写真に撮ってスマホに保存してるんだって」
「へえ……」
「学会のメンバーが写真つきで載ってた。私のお父さんがクビになる直前くらいに撮った写真みたい」
言われることがわかったのだろう、冬吏は口を閉じ、視線をゆっくり床へと落とした。
「そこに冬吏のお父さん――大地さんの名前と写真があった。でも、『九条大地』という名前じゃなかった」
「言ってなかったっけ? うちの親、俺が子どものときに離婚してるんだ」
軽い口調とは裏腹に、あきらめたような表情を浮かべている。
やっぱりそうだったんだ……。
「離婚したこと、さっき聞いたばかりだから気づけなかった。冬吏は離婚で名字が変わったんだね。〝樹大地〟……大地さんの苗字は〝樹〟なんだね」
「俺も小学生までは〝樹冬吏〟だった。離婚して母親の苗字である〝九条〟になったんだ」
「ロビーで会ってた樹くんは……冬吏だったんだね」
てっきり〝樹〟という名前だと思いこんでいた。
でも、まだ理解できないことがいくつかある。
「でも、樹くんは同学年じゃなくて、ひとつ上だったはず。どうしてうそをついたの?」
最初は冬吏に兄がいたのかと疑った。けれど、すぐに違うと思った。
鼻のあたまをかく冬吏が、過去の映像と重なる。
「バカみたいだけど、少しでも大人に見せたくて、うそをついてしまったんだ。何度も本当のことを言おうとしたけど、訂正できないままある日、突然会えなくなってしまった。ずっと後悔してたし、今もしてる」
「楽器だって、なにも弾けないって言ってたよね?」
冬吏がフルートをそっと机に置いた。
「それは本当のこと。俺が楽器を弾くようになったのは、雪音の影響だから」
「私の?」
「雪音の弾くピアノ、いつもすごいって思ってた。俺もなにか楽器を弾けるようになりたくて、親に頼みこんで習わせてもらったんだ。いつか雪音に聞いてもらいたい、って……ごめん」
フルートを指先でなぞりながら、冬吏は過去を思い出すように目を細めた。
「転入してきたときに、なんで言ってくれなかったの? 話してくれたら、すぐに思い出せたのにどうして?」
冬吏はいつも不機嫌だった。話しかけても愛想がなく、心を許してくれなかった。
ひと呼吸置いて、冬吏はまっすぐに私を見た。
「思い出したくなかったんだろ?」
「え……?」
「まさかこの町に雪音がいると思ってなかったら、会えたときは本当にうれしかった。また昔みたいにいっぱい話せるって」
そう言ったあと、「でも」と冬吏は目を伏せた。
「久しぶりに会った雪音は、誰に対しても同じ笑顔で接していた。ムッとすることも、言い返すこともなく、クラスメイトのなかに紛れようとしていた。千秋たちが昔のことを聞いてもごまかしていたし、ピアノも弾けないって言ってた。だから、言い出すことができなかった」
「ああ……うん」
私はうなずくことしかできなかった。
「うちと同じで父親との仲もよくない。でも……ひとつだけ違ってのは、俺は親父が主張する説――地球がこわれるって話を、心のどこかで信じてた。本当に来る気がしてたんだ。終わりの日が」
私は信じてあげられなかった。冬吏に出会って、やっと過去に信じた自分を取り戻せた。
「私の……せいだったんだ」
私が、お父さんを信じなくなったから。あのとき、疑って、切り離してしまったから――冬吏の心も、どこかで凍らせてしまったんだ。
なんで……なんで私は信じられなかったの?
視界がゆがんだと思ったら、あっけなく涙がひとつこぼれ落ちた。
「違うんだ」
苦しげに息を吐いた冬吏が、「違う」とくり返した。
「雪音のせいじゃない。俺が悪いんだ」
「でも、でも、私――」
一歩、私の前に進んだ冬吏が、やわらかな光を宿した目で、まっすぐに見つめてくる。
「俺はヒーローになりたかった。ヒーローってのは孤独なもんだろ? みんなを救うために、誰にも頼らずに立ち向かう。俺、そういうのに憧れてた。ぶっきらぼうな態度取って、クラスとも距離置いて、ひとりでなんとかしようって――思い込んでた」
そう言ったあと、冬吏は過去の影を探すように目を伏せた。
「でも、あの日、聞いてしまったんだ。雪音がピアノを――」
「あ……君沢湖の帰り道のこと?」
うなずく冬吏の頬に、かすかな笑みが戻った。
「すぐに雪音の音だってわかった。ずっと忘れないと誓った、あの旋律だって」
――私の音。
誰にも聞かせたくなくて閉じこめていたのに、冬吏は見つけてくれたんだ……。
「じゃあ、私に忘れ物を取りに行かせたときのノートって……」
「雪音にあのころの気持ちを思い出してほしくて、俺は信じてるよって伝えたくて……わざと見せたんだ」
あのことがきっかけで、私たちは普通に話をするようになった。偶然だと思ってたけれど、冬吏が仕掛けてくれてたんだ……。
「ごめん」冬吏が困ったように拳を口に当てた。
「最低だよな。地球がこわれる日まで時間がなくて焦っててさ……本当にごめん」
思ったことを口にするのが怖かったあの日の私は、もういない。
「違う。冬吏のおかげで、私はまた信じられるようになったの。お父さんのことも、自分のことも。もしあのとき、冬吏が手を伸ばしてくれなかったら、私は、きっとまだ心を閉ざしたままだった。全部、冬吏が教えてくれたこと。冬吏が私に勇気をくれたんだよ」
――私は今、自分の気持ちを言葉にする。
「冬吏、あのね――」
「雪音のことが好きなんだ」
彼の声が、遮るようにまっすぐ心に響いた。
ヘリコプターの音が空を裂き、サーチライトが音楽室を駆け回る。壁に映る私たちの影が、静かに寄り添った。
そして、光が去る。
静けさが戻った音楽室のなかで、冬吏が続けた。
「高校で再会したときから、いや、小学生のころから好きだった。雪音は昔のことを封印してたから、あきらめようと思った。でも、距離が近くなるたびに、一緒に行動しているうちに、もっと好きになってた」
「冬吏……」
「本当は日付が変わったら告白するつもりだったけど、救助されたあと、俺は北極に連れ戻されると思う。その前に、どうしても伝えたかった」
その手を取るのに、迷いなんてなかった。
私の心が、体が、想いを伝えたいと叫んでいる。
「私も冬吏のことが好き。ずっと、好きだった」
「雪音……」
涙混じりの笑みがこぼれた瞬間、どちらからともなく抱きしめ合っていた。
私たちは長い間、お互いのことを想い合っていたんだ。
気づいてあげられなくてごめんね。冬吏だけじゃなく、自分の心にも謝った。
体を離すと、冬吏は私の肩に手を置いた。
「もしも離れても、お互いのことを信じていれば大丈夫。必ず雪音のもとに帰ってくるって約束する」
「うん。ずっと待ってる」
必ず約束を守るヒーロー。それが、冬吏だ。
冬吏がおでこを私のおでこにくっつけた。彼のぬくもりが体に浸透してくるのがわかる。
「そろそろ校庭に戻ろう。みんな心配してるだろうから」
いちばん近い距離で聞くあたたかな声に、
「うん」
私はそっとうなずいた。
顔を離すと、冬吏は照れたように右手を出してくれた。
手を握り、音楽室のドアへ向かおうとした、そのときだった。
音楽室の床が、ぐにゃりと波打ったように揺らめいた。
――ゴゴゴゴゴ!
遅れて激しい揺れが襲った。すぐに突きあげるような激しさに変わり、フルートが床に転がり落ちる。
目の前の柱に、音を立ててヒビが刻まれた。
「雪音!」
腕を引っ張られ床に転がる。鈍い音を立て、さっきいた場所に割れた柱の一部が突き刺さっていた。
覆いかぶさるように冬吏が私を抱きしめている。
天井から照明器具がガラス片と一緒に降り注ぐ。
ギュッと目を閉じ耐えているうちに、揺れは収まっていた。
起きあがった冬吏が私の手を引いてくれた。
「大丈夫?」
「冬吏はケガしてない?」
イヤな音を耳が捉えた。
音楽室全体が、ミシミシときしんでいる。ワイヤーの切れる音、岩を砕くような音が四方八方から聞こえる。
「急いで校舎から出よう」
冬吏に手を引かれ、ドアに向かって走り出す。
―――ガガガガ!
爆発するような音に、音楽室が激しく揺れた。
「危ない!」
冬吏の叫び声を耳にした次の瞬間、私の体は突き飛ばされていた。
教室のドアの向こうに倒れてすぐに、
――ドゴン!
重い音が響き渡り、視界は白い煙に遮られた。
倒れたままふり向くと、そこには天井から落ちたコンクリートの塊。
冬吏の姿が……見えない。
「え……うそ」
照明の落ちた音楽室の窓から、月の光が差しこんでいる。
這いながら冬吏がいた場所に近づくと、グランドピアノの横に冬吏が倒れていた。
「冬吏!」
肩を揺すっても、冬吏はギュッと目を閉じている。ふと、指先が濡れていることに気づいた。
血が出ている……。床に水たまりができるほどの出血。
足音が聞こえ顔をあげると、黒い人影が音楽室の前を駆けていく。
「冬吏! 雪音! いるのか!? 」
「桜輔……桜輔!」
必死で叫ぶと、桜輔が驚いた顔で飛びこんできた。床に倒れている冬吏に気づくと、「ああ」と声を漏らした。
「マジかよ……。おい、冬吏! しっかりしろよ!! 」
「ケガをしてるの。お願いだから、誰か呼んできて」
「わかった」と言って、桜輔が私の手をつかんだ。
「お前も来い。ここにいたら危ない」
これは……夢なの?
片方の手で桜輔の腕を解いた。
「ここにいる」
「バカ! いつ崩れるかわかんないだぞ!! 雪音までケガしたら冬吏が――」
「早く行って! 私はここにいる!」
泣きながら叫ぶと、桜輔は迷うように押し黙ったあと、音楽室を飛び出していった。
冬吏は苦しそうに荒い息を吐いている。
どうしてこんなことになったの……。
やっと想いを伝え合えたのに、あんまりだよ……。
「……雪音?」
冬吏が目を閉じたまま、私の名前を呼んだ。
「冬吏っ!」
「ケガはない?」
「うん……大丈夫。私は大丈夫だよ」
ホッとしたようにほほ笑む顔が、薄い月明りに照らされている。
上を見ると、ぽっかりと天井に穴が開いていた。
「俺、ヒーローになれたのかな」
「そんなこといいから。今、助けが来るから、しっかりして!」
冬吏は、かすかに目を開けた。
「大事なことなんだ。俺、ヒーローになれたんだよな?」
ボロボロと涙がこぼれて、冬吏の顔がうまく見えない。
「……なれたよ。冬吏はヒーローになったんだよ」
その言葉を聞いて、冬吏はホッとしたような笑みを浮かべた。
「ああ、よかった」
私を助けたばかりに、冬吏がケガをしてしまった。
どうしよう。どうすれば冬吏を助けられるの!?
「危ないから雪音は逃げて」
「イヤだよ。そんなこと言わないで……」
泣きじゃくる私の頬に、冬吏が手を当てた。
「俺は満足してる。雪音のヒーローになれたんだから」
「冬吏のそばにいたい。冬吏と一緒にいたいよ!」
なにか言い返そうと口を開いた冬吏が、苦しそうに顔を横に向けた。
呼吸がさっきよりも浅く、短くなっている。
足音に顔をあげると、大地さんが飛びこんできた。遅れて、桜輔と千秋の姿も。
大地さんが冬吏の横に両膝をつき、冬吏の手を握った。
「今、救助隊が戻ってくる。頭を打ってるかもしれないから、動かさないほうがいいそうだ」
「ああ。悪い」
「冬吏……悪かった。お前を守りたかったのに、こんなことになるなんて……」
大地さんは顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
「なに言ってんだよ。守ってきたのは俺のほうだろ」
「約束する。お前を絶対に死なせたりしない。だから、だから……!」
「泣くなよ。親父らしくない」
はあはあ、と呼吸をしたまま冬吏は私を指さした。
「雪音を連れていって。ここにいたら……危ないから」
「……わかった」
大地さんと目が合った。
「私はここにいたい。いさせてください」
「雪音!」千秋が私の腕を引っ張った。
「気持ちはわかるけどダメ。冬吏にはおじさんがついてるから、今は言うことを聞いて」
「冬吏、ぜってえ大丈夫だからな! 雪音のことは任せろ!」
桜輔まで私を音楽室から連れ出そうとしてくる。
だけど……だけど……!
ふたりの手をかわし、冬吏に一歩近づく。目が合うと、冬吏は弱々しく首を横にふり「逃げて」とくり返した。
足音にふり向くと、お父さんとお母さんが音楽室に入ってきた。誰かに聞いたのだろう、お母さんが救急ボックスを手に駆け寄る。
「出血を止めないと。出血個所は?」
「いや……頭を動かさないようにって救急隊員に――」
「出血を止めるほうが先です。ほら、ここを押さえて」
てきぱきと処置を進めるなか、冬吏は苦しそうにあえいでいる。
「冬吏、私にたくさん約束してくれたよね? ここにいることも、北極に行っても戻ってくることも、町のみんなを助けることも」
約束を果たしてくれるたびに、私は自分を取り戻せた。そして、冬吏のことを好きになっていった。
このまま逃げるなんて、とてもできない。
「冬吏、私はここにいる。救急隊員が来るまででいいから、ここにいさせて」
青ざめた顔で冬吏は目を細めてくれた。
「じゃあ、『私との約束』を聴かせて。雪音の音を聴きたい」
絞り出すような声に、大地さんがすがるように私を見た。
「頼む。こいつの言うことを聞いてやってくれ」
大粒の涙がボロボロと頬にこぼれている。
「お父さんも賛成だ」
お父さんがうしろで言った。お母さんはなにも言わずに、冬吏の傷口をガーゼで押さえている。
「うん。冬吏、『私との約束』を果たすよ。だから冬吏も約束して。必ず生きて、これからもずっと私のそばにいるって」
薄く目を開けた冬吏の口が動いた。『約束する』と動くのを確認してから立ちあがった。
グランドピアノの椅子に腰をおろし、フタを開ける。
これを弾き切ることができれば、絶対に冬吏は助かる。またあの笑顔を見せてくれる。
深呼吸すると、指先の震えが魔法のように止まった。
両手を鍵盤にそっと置き、私は奏でる。私たちの思い出に刻まれたこの曲を、今、冬吏に贈りたい。
音楽室を震わすほどの音で、曲がはじまった。
シャープのレ音が小さな鐘を表現し、セクションが進むごとに高音の跳躍が激しくなる。
オーナメントと呼ばれる装飾音が加わると、鍵盤を高速で連打するセクションがある。鍵盤から指が落ちがちな譜面を越えると、曲はクライマックスに向けてさらに技巧が必要になる。
――不思議。
まるでここには、私と冬吏だけがいるみたい。
横たわる冬吏の姿が、あの日の樹くんに重なる。
天井の空いた音楽室。月の光がさらさらと降り注ぐなか、樹くんが隣にいる錯覚を覚える。
彼は、ニッコリ笑うと私に手をふり離れていく。
さよならだね、樹くん。だけど、今の冬吏だけは連れていかないで。
涙で視界がぼやけそうになるのをこらえ、セクションを越えていく。
冬吏が必要なの。冬吏がいないと、こわれてしまった世界を生きていけないから。だから、お願い――。
最後の音を鳴らし、曲が終わった。
思わず拍手した桜輔を、千秋が突っつくのが見えた。
完璧な演奏とは言えなかったけれど、きっと冬吏に届いたはず。
冬吏に近づくと、唇をあげてほほ笑んだ。
「ありがとう。やっと『ラ・カンパニー』を聴けたよ」
「『ラ・カンパネラ』だよ。わざと間違えてるよね?」
「ふふ」と小さく笑ったあと、冬吏の目がやさしくカーブした。
「雪音のピアノが好きだよ。だからこれからも……」
口から長い息を吐き、冬吏は静かに目を閉じた。
その体から、手から、力が抜けていく。
「え……冬吏?」
床に落ちた手は、もう動かない。
大地さんが「ああ!」と叫び、その場で泣き崩れた。
「泣いてる場合じゃないでしょ! 人工呼吸を!! 」
お母さんが叫ぶが、大地さんは床に顔をうずめて動かない。
「救急隊員に伝えないと! 桜輔っ!! 」
千秋たちが飛び出していった。
――冬吏は唇に笑みを浮かべ、目を閉じている。
冬吏のそばに膝をつくと、やけに床が冷たく感じた。
「大丈夫、だよね……。さっき……約束、したよね……?」
お母さんが人工呼吸をはじめるのをぼんやり眺める。大地さんの嗚咽が響き渡る。
「冬吏と出会うまで、ね……私、ひとりぼっちのような気がしてた。誰にも心を許せず、許したフリで笑顔の仮面をつけてたの」
お願い目を覚まして。私を置いていかないで。
「でも、冬吏が約束を守ってくれた。誰かを信じることは、自分を信じることだって教えてくれた」
ボロボロとこぼれ落ちる涙で、冬吏の顔が、大好きな冬吏の顔がうまく見えない。
「私は『私との約束』をちゃんと果たせたんだよ。今度は……冬吏の番なんだよ」
冬吏は絶対に約束を守ってくれる。私を置いてどこかに行ったりしない。遠くへ連れ去られたとしても、必ず戻ってきてくれる。
――だって、冬吏はヒーローだから。
横たわる冬吏の手を包むように握った。
「冬吏、お願いだから目を覚まして。お願い……」
月の光が、冬吏の青白い顔を照らしている。
くぐもった泣き声が場を浸しても、私は疑ったりしない。
絶対に冬吏は約束を守ってくれる。ねえ、そうだよね?
「私も約束する。冬吏は……冬吏は絶対に元気になる。だから、だから……っ!」
涙でぼやける冬吏の顔に、なにかが舞い落ちた。
見あげると、ぽっかり空いた天井に丸い月が浮かんでいる。
雪が降る。
はらはらと、ひらひらと。
雪のような灰が、私たちに降り注いでいる。



