校舎に入ると、かすかな音色が耳に届いた。

階段をのぼり、音楽室へ向かう。フルートの音色が、夜の校舎をやさしく包んでいる。
 
開けっ放しのドアの向こうに、フルートを奏でる冬吏がいた。リッププレートに口を当て、体を左右に揺らせている。
 
目が合うと、冬吏はいたずらがバレた子どものように笑った。

「見つかっちゃったか。こいつの無事をたしかめにきたんだけど、つい演奏したくなってさ」
 
相棒のフルートを軽く持ちあげた冬吏が、私の表情に気づき目を丸くした。

「え、なにかあったのか? 誰かケガでもした?」

「……違うよ」
 
自分でも声が震えていることがわかる。
 
心配そうな顔の冬吏。私もきっと同じ表情をしている。

「さっきね、夏海に学会の資料を見せてもらったの。写真に撮ってスマホに保存してるんだって」

「へえ……」

「学会のメンバーが写真つきで載ってた。私のお父さんがクビになる直前くらいに撮った写真みたい」
 
言われることがわかったのだろう、冬吏は口を閉じ、視線をゆっくり床へと落とした。

「そこに冬吏のお父さん――大地さんの名前と写真があった。でも、『九条大地』という名前じゃなかった」

「言ってなかったっけ? うちの親、俺が子どものときに離婚してるんだ」
 
軽い口調とは裏腹に、あきらめたような表情を浮かべている。
 
やっぱりそうだったんだ……。

「離婚したこと、さっき聞いたばかりだから気づけなかった。冬吏は離婚で名字が変わったんだね。〝樹大地〟……大地さんの苗字は〝樹〟なんだね」

「俺も小学生までは〝樹冬吏〟だった。離婚して母親の苗字である〝九条〟になったんだ」

「ロビーで会ってた樹くんは……冬吏だったんだね」
 
てっきり〝樹〟という名前だと思いこんでいた。
 
でも、まだ理解できないことがいくつかある。

「でも、樹くんは同学年じゃなくて、ひとつ上だったはず。どうしてうそをついたの?」
 
最初は冬吏に兄がいたのかと疑った。けれど、すぐに違うと思った。
 
鼻のあたまをかく冬吏が、過去の映像と重なる。

「バカみたいだけど、少しでも大人に見せたくて、うそをついてしまったんだ。何度も本当のことを言おうとしたけど、訂正できないままある日、突然会えなくなってしまった。ずっと後悔してたし、今もしてる」

「楽器だって、なにも弾けないって言ってたよね?」
 
冬吏がフルートをそっと机に置いた。

「それは本当のこと。俺が楽器を弾くようになったのは、雪音の影響だから」

「私の?」

「雪音の弾くピアノ、いつもすごいって思ってた。俺もなにか楽器を弾けるようになりたくて、親に頼みこんで習わせてもらったんだ。いつか雪音に聞いてもらいたい、って……ごめん」
 
フルートを指先でなぞりながら、冬吏は過去を思い出すように目を細めた。

「転入してきたときに、なんで言ってくれなかったの? 話してくれたら、すぐに思い出せたのにどうして?」
 
冬吏はいつも不機嫌だった。話しかけても愛想がなく、心を許してくれなかった。
 
ひと呼吸置いて、冬吏はまっすぐに私を見た。

「思い出したくなかったんだろ?」

「え……?」

「まさかこの町に雪音がいると思ってなかったら、会えたときは本当にうれしかった。また昔みたいにいっぱい話せるって」
 
そう言ったあと、「でも」と冬吏は目を伏せた。

「久しぶりに会った雪音は、誰に対しても同じ笑顔で接していた。ムッとすることも、言い返すこともなく、クラスメイトのなかに紛れようとしていた。千秋たちが昔のことを聞いてもごまかしていたし、ピアノも弾けないって言ってた。だから、言い出すことができなかった」

「ああ……うん」
 
私はうなずくことしかできなかった。

「うちと同じで父親との仲もよくない。でも……ひとつだけ違ってのは、俺は親父が主張する説――地球がこわれるって話を、心のどこかで信じてた。本当に来る気がしてたんだ。終わりの日が」
 
私は信じてあげられなかった。冬吏に出会って、やっと過去に信じた自分を取り戻せた。

「私の……せいだったんだ」
 
私が、お父さんを信じなくなったから。あのとき、疑って、切り離してしまったから――冬吏の心も、どこかで凍らせてしまったんだ。
 
なんで……なんで私は信じられなかったの?
 
視界がゆがんだと思ったら、あっけなく涙がひとつこぼれ落ちた。

「違うんだ」
 
苦しげに息を吐いた冬吏が、「違う」とくり返した。

「雪音のせいじゃない。俺が悪いんだ」

「でも、でも、私――」
 
一歩、私の前に進んだ冬吏が、やわらかな光を宿した目で、まっすぐに見つめてくる。

「俺はヒーローになりたかった。ヒーローってのは孤独なもんだろ? みんなを救うために、誰にも頼らずに立ち向かう。俺、そういうのに憧れてた。ぶっきらぼうな態度取って、クラスとも距離置いて、ひとりでなんとかしようって――思い込んでた」
 
そう言ったあと、冬吏は過去の影を探すように目を伏せた。

「でも、あの日、聞いてしまったんだ。雪音がピアノを――」

「あ……君沢湖の帰り道のこと?」
 
うなずく冬吏の頬に、かすかな笑みが戻った。

「すぐに雪音の音だってわかった。ずっと忘れないと誓った、あの旋律だって」
 
――私の音。
 
誰にも聞かせたくなくて閉じこめていたのに、冬吏は見つけてくれたんだ……。

「じゃあ、私に忘れ物を取りに行かせたときのノートって……」

「雪音にあのころの気持ちを思い出してほしくて、俺は信じてるよって伝えたくて……わざと見せたんだ」
 
あのことがきっかけで、私たちは普通に話をするようになった。偶然だと思ってたけれど、冬吏が仕掛けてくれてたんだ……。

「ごめん」冬吏が困ったように(こぶし)を口に当てた。

「最低だよな。地球がこわれる日まで時間がなくて焦っててさ……本当にごめん」
 
思ったことを口にするのが怖かったあの日の私は、もういない。

「違う。冬吏のおかげで、私はまた信じられるようになったの。お父さんのことも、自分のことも。もしあのとき、冬吏が手を伸ばしてくれなかったら、私は、きっとまだ心を閉ざしたままだった。全部、冬吏が教えてくれたこと。冬吏が私に勇気をくれたんだよ」
 
――私は今、自分の気持ちを言葉にする。

「冬吏、あのね――」

「雪音のことが好きなんだ」
 
彼の声が、遮るようにまっすぐ心に響いた。
 
ヘリコプターの音が空を裂き、サーチライトが音楽室を駆け回る。壁に映る私たちの影が、静かに寄り添った。
 
そして、光が去る。
 
静けさが戻った音楽室のなかで、冬吏が続けた。

「高校で再会したときから、いや、小学生のころから好きだった。雪音は昔のことを封印してたから、あきらめようと思った。でも、距離が近くなるたびに、一緒に行動しているうちに、もっと好きになってた」

「冬吏……」

「本当は日付が変わったら告白するつもりだったけど、救助されたあと、俺は北極に連れ戻されると思う。その前に、どうしても伝えたかった」
 
その手を取るのに、迷いなんてなかった。
 
私の心が、体が、想いを伝えたいと叫んでいる。

「私も冬吏のことが好き。ずっと、好きだった」

「雪音……」
 
涙混じりの笑みがこぼれた瞬間、どちらからともなく抱きしめ合っていた。
 
私たちは長い間、お互いのことを想い合っていたんだ。
 
気づいてあげられなくてごめんね。冬吏だけじゃなく、自分の心にも謝った。
 
体を離すと、冬吏は私の肩に手を置いた。

「もしも離れても、お互いのことを信じていれば大丈夫。必ず雪音のもとに帰ってくるって約束する」

「うん。ずっと待ってる」
 
必ず約束を守るヒーロー。それが、冬吏だ。
 
冬吏がおでこを私のおでこにくっつけた。彼のぬくもりが体に浸透してくるのがわかる。

「そろそろ校庭に戻ろう。みんな心配してるだろうから」
 
いちばん近い距離で聞くあたたかな声に、

「うん」
 
私はそっとうなずいた。
 
顔を離すと、冬吏は照れたように右手を出してくれた。
 
手を握り、音楽室のドアへ向かおうとした、そのときだった。
 
音楽室の床が、ぐにゃりと波打ったように揺らめいた。

――ゴゴゴゴゴ!
 
遅れて激しい揺れが襲った。すぐに突きあげるような激しさに変わり、フルートが床に転がり落ちる。
 
目の前の柱に、音を立ててヒビが刻まれた。

「雪音!」
 
腕を引っ張られ床に転がる。鈍い音を立て、さっきいた場所に割れた柱の一部が突き刺さっていた。
 
覆いかぶさるように冬吏が私を抱きしめている。
 
天井から照明器具がガラス片と一緒に降り注ぐ。
 
ギュッと目を閉じ耐えているうちに、揺れは収まっていた。
 
起きあがった冬吏が私の手を引いてくれた。

「大丈夫?」

「冬吏はケガしてない?」
 
イヤな音を耳が捉えた。
 
音楽室全体が、ミシミシときしんでいる。ワイヤーの切れる音、岩を砕くような音が四方八方から聞こえる。

「急いで校舎から出よう」
 
冬吏に手を引かれ、ドアに向かって走り出す。
 
―――ガガガガ!
 
爆発するような音に、音楽室が激しく揺れた。

「危ない!」
 
冬吏の叫び声を耳にした次の瞬間、私の体は突き飛ばされていた。
 
教室のドアの向こうに倒れてすぐに、
 
――ドゴン!
 
重い音が響き渡り、視界は白い煙に遮られた。
 
倒れたままふり向くと、そこには天井から落ちたコンクリートの塊。
 
冬吏の姿が……見えない。

「え……うそ」
 
照明の落ちた音楽室の窓から、月の光が差しこんでいる。
 
這いながら冬吏がいた場所に近づくと、グランドピアノの横に冬吏が倒れていた。

「冬吏!」
 
肩を揺すっても、冬吏はギュッと目を閉じている。ふと、指先が濡れていることに気づいた。
 
血が出ている……。床に水たまりができるほどの出血。
 
足音が聞こえ顔をあげると、黒い人影が音楽室の前を駆けていく。

「冬吏! 雪音! いるのか!? 」

「桜輔……桜輔!」
 
必死で叫ぶと、桜輔が驚いた顔で飛びこんできた。床に倒れている冬吏に気づくと、「ああ」と声を漏らした。

「マジかよ……。おい、冬吏! しっかりしろよ!! 」

「ケガをしてるの。お願いだから、誰か呼んできて」

「わかった」と言って、桜輔が私の手をつかんだ。

「お前も来い。ここにいたら危ない」
 
これは……夢なの?
 
片方の手で桜輔の腕を解いた。

「ここにいる」

「バカ! いつ崩れるかわかんないだぞ!!  雪音までケガしたら冬吏が――」

「早く行って! 私はここにいる!」
 
泣きながら叫ぶと、桜輔は迷うように押し黙ったあと、音楽室を飛び出していった。
 
冬吏は苦しそうに荒い息を吐いている。
 
どうしてこんなことになったの……。
 
やっと想いを伝え合えたのに、あんまりだよ……。

「……雪音?」
 
冬吏が目を閉じたまま、私の名前を呼んだ。

「冬吏っ!」

「ケガはない?」

「うん……大丈夫。私は大丈夫だよ」

ホッとしたようにほほ笑む顔が、薄い月明りに照らされている。
 
上を見ると、ぽっかりと天井に穴が開いていた。

「俺、ヒーローになれたのかな」

「そんなこといいから。今、助けが来るから、しっかりして!」

冬吏は、かすかに目を開けた。

「大事なことなんだ。俺、ヒーローになれたんだよな?」
 
ボロボロと涙がこぼれて、冬吏の顔がうまく見えない。

「……なれたよ。冬吏はヒーローになったんだよ」
 
その言葉を聞いて、冬吏はホッとしたような笑みを浮かべた。

「ああ、よかった」
 
私を助けたばかりに、冬吏がケガをしてしまった。
 
どうしよう。どうすれば冬吏を助けられるの!?

「危ないから雪音は逃げて」

「イヤだよ。そんなこと言わないで……」
 
泣きじゃくる私の頬に、冬吏が手を当てた。

「俺は満足してる。雪音のヒーローになれたんだから」

「冬吏のそばにいたい。冬吏と一緒にいたいよ!」
 
なにか言い返そうと口を開いた冬吏が、苦しそうに顔を横に向けた。
 
呼吸がさっきよりも浅く、短くなっている。
 
足音に顔をあげると、大地さんが飛びこんできた。遅れて、桜輔と千秋の姿も。
 
大地さんが冬吏の横に両膝をつき、冬吏の手を握った。

「今、救助隊が戻ってくる。頭を打ってるかもしれないから、動かさないほうがいいそうだ」

「ああ。悪い」

「冬吏……悪かった。お前を守りたかったのに、こんなことになるなんて……」
 
大地さんは顔をくしゃくしゃにして泣いていた。

「なに言ってんだよ。守ってきたのは俺のほうだろ」

「約束する。お前を絶対に死なせたりしない。だから、だから……!」

「泣くなよ。親父らしくない」
 
はあはあ、と呼吸をしたまま冬吏は私を指さした。

「雪音を連れていって。ここにいたら……危ないから」

「……わかった」
 
大地さんと目が合った。

「私はここにいたい。いさせてください」

「雪音!」千秋が私の腕を引っ張った。

「気持ちはわかるけどダメ。冬吏にはおじさんがついてるから、今は言うことを聞いて」

「冬吏、ぜってえ大丈夫だからな! 雪音のことは任せろ!」
 
桜輔まで私を音楽室から連れ出そうとしてくる。
 
だけど……だけど……!
 
ふたりの手をかわし、冬吏に一歩近づく。目が合うと、冬吏は弱々しく首を横にふり「逃げて」とくり返した。

足音にふり向くと、お父さんとお母さんが音楽室に入ってきた。誰かに聞いたのだろう、お母さんが救急ボックスを手に駆け寄る。

「出血を止めないと。出血個所は?」

「いや……頭を動かさないようにって救急隊員に――」

「出血を止めるほうが先です。ほら、ここを押さえて」
 
てきぱきと処置を進めるなか、冬吏は苦しそうにあえいでいる。

「冬吏、私にたくさん約束してくれたよね? ここにいることも、北極に行っても戻ってくることも、町のみんなを助けることも」
 
約束を果たしてくれるたびに、私は自分を取り戻せた。そして、冬吏のことを好きになっていった。
 
このまま逃げるなんて、とてもできない。

「冬吏、私はここにいる。救急隊員が来るまででいいから、ここにいさせて」
 
青ざめた顔で冬吏は目を細めてくれた。

「じゃあ、『私との約束』を聴かせて。雪音の音を聴きたい」
 
絞り出すような声に、大地さんがすがるように私を見た。

「頼む。こいつの言うことを聞いてやってくれ」
 
大粒の涙がボロボロと頬にこぼれている。

「お父さんも賛成だ」
 
お父さんがうしろで言った。お母さんはなにも言わずに、冬吏の傷口をガーゼで押さえている。

「うん。冬吏、『私との約束』を果たすよ。だから冬吏も約束して。必ず生きて、これからもずっと私のそばにいるって」
 
薄く目を開けた冬吏の口が動いた。『約束する』と動くのを確認してから立ちあがった。
 
グランドピアノの椅子に腰をおろし、フタを開ける。
 
これを弾き切ることができれば、絶対に冬吏は助かる。またあの笑顔を見せてくれる。
 
深呼吸すると、指先の震えが魔法のように止まった。
 
両手を鍵盤にそっと置き、私は奏でる。私たちの思い出に刻まれたこの曲を、今、冬吏に贈りたい。
 
音楽室を震わすほどの音で、曲がはじまった。
 
シャープのレ音が小さな鐘を表現し、セクションが進むごとに高音の跳躍が激しくなる。
 
オーナメントと呼ばれる装飾音が加わると、鍵盤を高速で連打するセクションがある。鍵盤から指が落ちがちな譜面を越えると、曲はクライマックスに向けてさらに技巧が必要になる。
 
――不思議。
 
まるでここには、私と冬吏だけがいるみたい。
 
横たわる冬吏の姿が、あの日の樹くんに重なる。
 
天井の空いた音楽室。月の光がさらさらと降り注ぐなか、樹くんが隣にいる錯覚を覚える。
 
彼は、ニッコリ笑うと私に手をふり離れていく。
 
さよならだね、樹くん。だけど、今の冬吏だけは連れていかないで。
 
涙で視界がぼやけそうになるのをこらえ、セクションを越えていく。
 
冬吏が必要なの。冬吏がいないと、こわれてしまった世界を生きていけないから。だから、お願い――。
 
最後の音を鳴らし、曲が終わった。
 
思わず拍手した桜輔を、千秋が突っつくのが見えた。
 
完璧な演奏とは言えなかったけれど、きっと冬吏に届いたはず。
 
冬吏に近づくと、唇をあげてほほ笑んだ。

「ありがとう。やっと『ラ・カンパニー』を聴けたよ」

「『ラ・カンパネラ』だよ。わざと間違えてるよね?」

「ふふ」と小さく笑ったあと、冬吏の目がやさしくカーブした。

「雪音のピアノが好きだよ。だからこれからも……」
 
口から長い息を吐き、冬吏は静かに目を閉じた。
 
その体から、手から、力が抜けていく。

「え……冬吏?」
 
床に落ちた手は、もう動かない。
 
大地さんが「ああ!」と叫び、その場で泣き崩れた。

「泣いてる場合じゃないでしょ! 人工呼吸を!! 」
 
お母さんが叫ぶが、大地さんは床に顔をうずめて動かない。

「救急隊員に伝えないと! 桜輔っ!! 」
 
千秋たちが飛び出していった。
 
――冬吏は唇に笑みを浮かべ、目を閉じている。
 
冬吏のそばに膝をつくと、やけに床が冷たく感じた。

「大丈夫、だよね……。さっき……約束、したよね……?」
 
お母さんが人工呼吸をはじめるのをぼんやり眺める。大地さんの()(えつ)が響き渡る。

「冬吏と出会うまで、ね……私、ひとりぼっちのような気がしてた。誰にも心を許せず、許したフリで笑顔の仮面をつけてたの」
 
お願い目を覚まして。私を置いていかないで。

「でも、冬吏が約束を守ってくれた。誰かを信じることは、自分を信じることだって教えてくれた」
 
ボロボロとこぼれ落ちる涙で、冬吏の顔が、大好きな冬吏の顔がうまく見えない。

「私は『私との約束』をちゃんと果たせたんだよ。今度は……冬吏の番なんだよ」
 
冬吏は絶対に約束を守ってくれる。私を置いてどこかに行ったりしない。遠くへ連れ去られたとしても、必ず戻ってきてくれる。
 
――だって、冬吏はヒーローだから。
 
横たわる冬吏の手を包むように握った。

「冬吏、お願いだから目を覚まして。お願い……」
 
月の光が、冬吏の青白い顔を照らしている。
 
くぐもった泣き声が場を浸しても、私は疑ったりしない。
 
絶対に冬吏は約束を守ってくれる。ねえ、そうだよね?

「私も約束する。冬吏は……冬吏は絶対に元気になる。だから、だから……っ!」
 
涙でぼやける冬吏の顔に、なにかが舞い落ちた。
 
見あげると、ぽっかり空いた天井に丸い月が浮かんでいる。
 
雪が降る。
 
はらはらと、ひらひらと。
 
雪のような灰が、私たちに降り注いでいる。