教室に入ると笑みを浮かべ、周りの子に挨拶しながら窓側の席を目指す。

「雪音の好きなキャラ、ゲームになるんだって」

「ネットで見た。でも、動いたりしゃべったりするのは微妙かも」

そんな会話をしながら、口角をあげたまま席につくのが毎日の流れ。

前の席に座った千秋は、さっそくメイクをやり直している。

私のうしろは、ずっと空席。引っ越してはいないが、不登校だそうだ。

名前も忘れた彼女には、入学式のときに一度だけ会った。いくら校則が緩い高校とはいえ、前髪を真っ赤に染めていた彼女は、式の参加を認められず、帰宅させられていた。それ以来、たまに目撃証言があるものの、教室には姿を見せていない。

「いや、マジで溶けそう。今日は特に暑くね?」

(たい)()(おう)(すけ)が、千秋の隣の席にドカッと座った。

「メイク終わるまで話しかけないで」

ピシャリと言う千秋に、「うへえ」とおかしな声をあげる桜輔。

茶色の短い髪で、シャツの上からでも筋肉質なのがわかる。千秋と同じく吹奏楽部に所属していて、この夏から部長になった。

「あいかわらず冷てえ。お前も雪音みたいに、誰とでもにこやかに話せるようになれよ。な?」

と、視線を送ってきたので、口角をカーブさせた。

「桜輔こそ、誰とでも丁寧に話すように心がけたほうがいいんじゃない」

「なんでよ。俺、丁寧だぜ?」

心外だと言わんばかりの桜輔に、

「どこがよ」

フィニッシュスプレーを顔に吹きかけながら、千秋がツッコんだ。

「昨日だって、先輩に失礼なこと言って怒らせてたじゃん」

「真面目に練習しないからだろ。卒業公演の主役だってのに、あれじゃあ注意されても仕方がない」

「先輩なんだから言い方に気をつけろ、って言ってんの」

「吹奏楽への情熱に、先輩後輩は関係ないのであーる」

堂々と胸を張る桜輔に(あき)れた表情を浮かべる千秋。でも、その表情はやわらかい。

幼なじみのふたり特有の空気感にほっこりしてしまう。

桜輔が背もたれに左腕をかけ、「なあ」と私を見た。

「雪音が転校してきたのってさ、小五んときだっけ?」

桜輔は急カーブで話題を変える。出会ったころから同じだ。

「小六だよ」

「そんだけいりゃ、ベテランだ。てことは、雪音のおやじが来てから、五年経つってことかあ」

――あの人のことは関係ないし、知らない。

言いかけた言葉を喉元で止め、

「だね」

と、笑顔の仮面をつけた。

「当時はヘンな人が来た、ってウワサで持ちきりだったもんな」

「そうだっけ」と千秋が首をひねった。

「たしか、おばあちゃんの具合が悪くなったから家族で引っ越してきたんだよね?」

 顔をこっちに向ける千秋にうなずく。

「足腰が悪くなったせいで、茶畑を手放すことになってね。そしたらお父さんが、『土地を売らずに、簡易型のソーラーパネルをつけよう』って言いだしたの。この島って斜面が多いから、ソーラーパネルをつけるには最適なんだって」

小六のとき、中学生のとき、近所の人に尋ねられたときは、この理由を口にしてきた。千秋や桜輔だって何度も聞いてるはずなのに、たまに同じ質問をしてくる。

「でも、おじさんのおかげでみんな助かってるよ。うちもソーラーパネルをつけてから、冷房つけっぱなしでも怒られなくなったし」

手鏡を覗きながら千秋が言い、桜輔が大きくうなずいた。

「この島、電気の供給量足りなさすぎて、雪音の家族が引っ越してくる前はしょっちゅう停電してたもんなあ」

目立つことをしてほしくないのに、お父さんは住民に安価で簡易型のソーラーパネルをつけてあげている。

もやっとしたものがお腹のなかで渦巻きはじめる。

お父さんはこの町の人気者で、救世主のように扱われている。私も、その娘ということで、町を歩けばいろんな人から声をかけられる。

誰も知らない。私が転校することになったのは、おばあちゃんのせいじゃなく、全部お父さんのせい。

『本当はこの町に来たくなかった』

そんなことを言ってしまったら、ふたりはどんな顔をするのだろう。

誰にも嫌われたくない。

その想いが、私に愛想笑いの仮面をつけさせる。最初はうまくできなかったけれど、今ではもともとそうだったように、仮面が顔になじんでいる。

どっちが本当の顔なのかさえ、わからないほどに。

「お!」

突然、桜輔が雄たけびをあげたのでびっくりした。桜輔の視線は、教室の入り口に向いている。
 
()(じょう)(とう)()が通学バッグを肩にかけ、だるそうに教室に入ってきた。クラスメイトの挨拶に小声で返しながら、無表情のまま私の隣の席に座る。

「冬吏、おはよ。今日は早いじゃん」

桜輔の挨拶にうなずきで返し、冬吏は通学バッグからノートを取り出した。

「これ、課題」

「俺の言いたいことがわかるなんて! やっぱり持つべきものは親友だな」

感激の言葉を口にし、桜輔は課題を写しはじめた。

「それ終わったら、次はあたしね。いつもありがと」

両手を合わせて(おが)む千秋に肩をすくめると、冬吏は腕を組んで目を閉じた。

冬吏は、高校進学のタイミングでこの町にやってきた。

高い身長、無造作にわけた黒髪、スリムな体型のせいで当初は女子たちにさわがれたけれど、あまりにも無口で愛想がないため、今では進んで話しかける女子はいない。
 
吹奏楽部に所属しているので、桜輔や千秋とはよくしゃべっているけれど、隣の席なのに話しかけられたことはほとんどなく、視線が合うことだって(まれ)

ぶっきらぼうでいつも怒っているような顔をしていて、拒否されているとしか思えない。

「そうだ」と、千秋がポンと手を打った。

「悪いけど、あたし今日部活休むから」

「は? マジで言ってる?」

桜輔がうなり声をあげるが、千秋は動じない。

(たけ)()さん、ついに息子さんの町に引っ越すんだって。昔からお世話になってたからお別れの挨拶しなきゃいけないの」

「どうせ二度と会わないんだからスルーしろよ」

「桜輔って、そういうとこ冷たすぎ。あんただって小さいころ、よくジュースとかもらってたじゃない」

「引っ越しする人だらけなのに、いちいち挨拶なんかしてられるかよ」

「人との縁を大事にしろ、って言ってんの!」

言い合うふたりを見ながら、脳裏に浮かぶのは小学校の教室。あれは、私が転校する日のこと。

ホームルームの時間に、担任の先生が残念そうな口調で、私が転校することを告げた。驚いたり悲しんだりしてくれる子もいたけれど、ほとんどの生徒はニヤニヤと笑みを浮かべていた。

『やっと安心して学校に来れるわ』

『次のとこではおとなしくしとけよ』

『うそつき雪音、バイバイ』

心ない言葉を投げてくる子もいたし、先生もあえて止めようとはしなかった。

挨拶をしたあとのまばらな拍手の音。
 
ひとりぼっちの帰り道。
 
自分が作る長い影。

「人との縁なんてあるのかな……」

思わずつぶやいてしまい、ハッと口を押さえる。

幸い、千秋と桜輔は言い争うのに夢中で気づいてない様子。

肩で息をついていると、冬吏がこっちを見ていることに気づいた。

「縁は、あるよ」

低い声で冬吏はそう言った。

「え……?」
 
聞かれていたことに驚きつつ、急いで口元をカーブさせる。

「そうだよね。縁は大事にしないと」
 
精いっぱいの笑顔を作ったのに、冬吏は眉間にシワを作ったかと思うと、プイと前を向いてしまった。
 
おずおずと机に視線を落としていると、

「決めた」
 
と、千秋がふり向いた。

「なにを?」

「雪音も、吹奏楽部に入部すればいいんだよ」

冗談かと思ったけれど、隣で桜輔も深くうなずいている。


「待って。なんでそういう結論になるわけ?」

「これ以上部員がいなくなったら、マジで廃部の危機なの。先輩たちに申し訳ないし、雪音は部活入ってないし」

「いや、だから……」

「それに!」と今度は桜輔が声を張りあげた。

「この四人のなかで、雪音だけが吹奏楽部のメンバーじゃないのは不公平だろ」

ダメだ。こっちの常識は通じそうもない。

この高校の吹奏楽部は、全国的に有名だったそうだ。生徒数が減少してからも、それなりに部員の数はいたけれど、今では存続が危ぶまれるほどにまで減っている。

だからといって、私が入部するなんてとんでもないこと。

「冬吏だってそう思うだろ?」
 
桜輔の問いに、冬吏は背もたれに体を預け、斜め上あたりに目を向けた。

「そもそも、雪音って楽器が弾けるの?」

本当は幼いころからピアノを弾いている。この町に来てからはピアノ教室に通わなくなったけれど、ピアノがなくても無意識に指が動いてしまうほど身近な存在だ。
 
目立ちたくない。そもそも、吹奏楽のなかにピアノは含まれない。

「……なんにも弾けない」
 
罪悪感を飲みこみ、うそをついた。

「なら無理だろ」
 
肩をすくめる冬吏。あきらめてくれたと思いきや、千秋が鼻息荒く顔を近づけた。

「弾けなくてもいいよ。入部してくれるだけで、部員がひとり増えることになるんだから」

「そうそう。コンテストのとき、うしろで立ってるだけでいいから」
 
こういうときの、千秋と桜輔の連帯感は半端ない。
 
断りの言葉を探しているうちに、冬吏が席から立ちあがった。

「無理して誘うことないだろ。部活は音楽が好きなヤツとやりたいし」

言い捨てると、冬吏はうしろの扉へ歩いていく。
 
千秋が「もう」と腕を組んだ。

「あいかわらず冷たいヤツ。冬吏は無視していいから、考えてみてよ」
 
うなずきながら、冬吏のうしろ姿を見送った。

やっぱり、嫌われているんだろうな……。
 
誰かに嫌われることには慣れている。

この町に来たのだって、本当はお父さんのせいだけじゃない。私がみんなから嫌われたのも理由のひとつだから。
 
苦い記憶を思い出さないようにキュッと目を閉じると、チャイムが真っ暗な世界で鳴り響いた。