世界の終わり、君と誓った3つの約束

傾いた太陽が、海面を金色に染めている。

湖や民家を呑みこんだ海を美しいと思うなんて、うしろめたさを感じてしまう。
 
隣に立つ冬吏も同じように感じたのか、

「帰ろうか」
 
と言い、坂道を歩き出したので横に並んだ。

(すず)()さんと(たか)(がわ)さん、学校に着いたかな」

「いちばん難易度が高いと思ってたふたりが、あっさり避難してくれて助かった。避難グッズが酒ばっかりってのは笑えた。今ごろ、教室で宴会でもはじめてるよ」
 
冗談っぽく言ってるけれど、横顔が固い。
 
森内さんが残ることを気にしているのだろう。
 
私の視線に気づいたのか、冬吏が足を止めて森内さんの家を見やった。

「悔しいけど、森内さんの意志を尊重しないとな」
 
自分に言い聞かせるようにつぶやいてから、再び歩き出す。
 
もうふたりの住民は、私たちが訪問する前に避難してたらしく、家はもぬけの殻だった。あとから来たお父さんが教えてくれるまで、探しまわっていたせいで足が痛い。

心配させないように、平気なフリで歩く。

「このあと屋上に集合して、明日は絶対に校舎にいるように伝えよう」

「いよいよ明日なんだね……」

「今夜はしっかり寝て明日に備えないとな。帰ったら湿布をもらおう」
 
私の足を指さす冬吏に驚いてしまう。

「私ってそんなにわかりやすいの?」

「俺が繊細なだけだから気にするな」
 
なんて言うから、思わず笑ってしまった。

「それはうそ。私のほうが人の気持ちに敏感だもん」
 
ムキになる私に、冬吏は余裕の笑みを浮かべている。
 
気持ちが態度に出ているのなら、私の想いもバレているのかもしれない。
 
気づかれたくない。せめて、明日を越えるまではこのままでいたい。

「でも、最近の雪音は仮面をつけなくなったよな」

「え?」

「無理して笑わなくなったし、気持ちを言葉にするようになった」

「冬吏だって前とは違う。自然に話ができる日が来るなんて、想像もしてなかったよ」
 
永遠に高校に着かなければいいのに。
 
どんなに足が痛くたって、冬吏がいれば平気。
 
この愛おしい時間を重ねているうちに、明日になってほしい。

「そういえばさ」と、冬吏が前を向いたまま言った。

「樹くんが今どこにいるのか、わからないんだって?」

「……え!? 」
 
思わず足を止めてしまった。

「なんで……樹くんのこと、知ってるの?」
 
数歩先で体ごとふり返った冬吏が、「ん」と首をかしげている。

「知ってるなんて言ってない。東京にいるときに片想いしてた男子がいる、って雪音のおばあちゃんが教えてくれたんだよ。心配だろうな、って思って聞いただけ」
 
おばあちゃんっ……!
 
顔の温度が急上昇するのがわかる。

「ちが……片想いなんかしてない。だって小学生のときの話だよ?」
 
慌てて手を横にふりながら言い訳するけれど、

「小学生でも恋はするだろ」
 
当たり前のように言い返されてしまった。

「そうだけど、そうじゃないの。えっと、なんていうか……」
 
考えがまとまらないまま口を開いたせいで、しどろもどろになってしまう。
 
こんなときこそ仮面をつけたいけれど、冬吏にはすぐにバレるだろう。
 
はあ、と大きく息を吐いてから続ける。

「さっき『私との約束』の話したよね? あのひとつ、『ラ・カンパネラを弾けるようになる』は、樹くんとの約束なの。向こうは覚えてないと思うし、この町に越してから一度も会えてない。好きとかそういうのじゃなくて、世界で唯一、私を理解してくれているような気がしてただけ」
 
それもきっと勘違いだ。

樹くんがどうこうじゃなく、今考えれば、お父さんやお母さんは私のことをわかってくれていた。
 
クラスメイトだって、私が主張しすぎたせいで去ってしまったんだ。

「じゃあ、約束を守るためにも生き延びないとな。披露するときは俺にも聴かせてよ」
 
夕日を浴びながら、冬吏は笑っている。

「わかった。約束する」
 
そう言ってから、これじゃあ約束だらけだと笑ってしまう。
 
穏やかな心と一緒に坂道をのぼれば、足の痛みも消えている。
 
校舎に近づくのはさみしいけれど、かけがえのない一日を過ごすことができた。こういう気持ちを、〝充足感〟と呼ぶのかもしれない。

「あれ?」
 
冬吏が校門を指さした。
 
千秋がこっちに向かって、坂を転がるように駆けてくる。
 
まさか……桜輔への告白がうまくいかなかったとか?
 
私たちのもとへ来ると、千秋は体を折り荒い息を吐いた。

「たいへ……大変なの!」

なぜか千秋は私ではなく、冬吏にすがりつこうと――いや、胸倉をつかんだ。

「避難してきた人たちの何人かが文句を言ってて、それがだんだん大きくなってるの……! あ、ごめん」
 
パッと手を離す千秋から校舎へと視線を向ける冬吏。

「状況は?」

「ほとんどの人が屋上に集まってる。今は、桜輔と夏海が対応してる」

「わかった」
 
冬吏が千秋の横をすり抜け、早足で校舎に向かった。

「千秋は大丈夫?」

「あたしは平気だけど、桜輔がキレちゃいそうで心配」
 
周りに誰もいないことを確認してから、千秋は耳元に顔を寄せてくる。

「告白する絶好のタイミングだったんだよ。あと少しで言えそうだったのに邪魔されちゃってさ」

「そうだったんだ……」

「あたし、あのふたりのこと絶対に許さない」

殺意を帯びた目で屋上のあたりをにらんでいる。

「あのふたりって、ひょっとして……」

「鈴木さんと高川さんのこと。来るなりお酒を飲みだして、なんにも手伝わないんだよ。そのくせ、文句ばっかり言ってさ、マジで許さない」
 
やはりお酒は取りあげておくべきだった。
 
後悔を胸に校舎に飛びこみ、階段を駆けのぼった。
 
三階の昇降口に何人かが集まり、屋上のほうを心配そうに見ている。屋上のドアは開かれていて、そこにはもっとたくさんの見物客がいた。

「すみません、通してください」
 
かきわけて外に出ると、左右にわかれてふたつのグループが言い争っていた。
 
左側には桜輔と夏海、そして冬吏が。

右側には鈴木さんと高川さんを先頭に、二十人ほどの人がいる。そのなかに、見知った顔がいる。

「え、おばあちゃん?」
 
集団の先頭におばあちゃんが立っていた。

「だからあ!」と赤ら顔の高川さんが怒鳴った。

「地球がこわれるなんてありえねえだろ、って言ってんだよ!」

「テレビ見てから言えよ!」

言い返す桜輔の顔は、怒りで真っ赤になっている。

「総理大臣だって予知能力があるわけじゃないだろ。みんな踊らされてるんだよ。テレビが言ってたことを全部信じるなんて子どもかよ」

「自分の子どもに見捨てられた人がよく言うよ」

「なんだと!」

「なんだよ!」
 
桜輔を冬吏が、高川さんを鈴木さんが押さえている。

「ふざけんな!」
 
今度は、夏海がコンクリートの床をバンッと足で鳴らした。

「そんなにイヤなら出ていけばいいだろ!」

「出ていってやるよ! お前らみたいなヤツに助けられたくなんかないね!」
 
高川さんの応戦に、桜輔が前に進み出た。

「桜輔、落ち着いて!」
 
千秋が止めに入るが、ふり切る勢いでズンズン進んでいく。

「みんなの命を守りたくて一生懸命やってんのに、自分勝手なことを言いやがって!」

「ちょ……落ち着いてってば!」

「てめえなんか誰が助けるかよ! そんなんだから息子に置いてかれたんだよ!! 」
 
――パシン!
 
千秋が桜輔の頬を思いっきりひっぱたいた。
 
桜輔はポカンとした顔で、右の頬に手をやる。

「へ……なんで俺?」

「そんなこともわからないの? ……最低!」
 
人をかきわけ、屋上から出ていく千秋。すれ違う瞬間、頬に涙がこぼれているのが見えた。
 
勢いをなくした桜輔の前に、冬吏が立った。

「俺たちでみんなを守るんだろ? お前が怒ってどうすんだよ」

「だけど、あいつらが――」

「怒りをコントロールしろ。どんなに怒っても、人の家庭事情に口を出すのはダメだ」
 
諭すようにゆっくりと話す冬吏に、桜輔の瞳から怒りが消えていく。

「けどよお……」

「出ていけない人に『出ていけ』なんて言うなよ。本気で人を守りたいのなら、大事なのは相手を思いやる心だ」
 
そう言うと、冬吏は立ち尽くしている高川さんに目を合わせた。鈴木さんがサッと高川さんのうしろに隠れる。

「友人が失礼なことを言って申し訳ありませんでした」
 
頭を垂れる冬吏に、高川さんは困ったように「あ」と言ったあと黙りこんだ。
 
沈黙を破ったのは、おばあちゃんだった。
 
高川さんの横に並ぶと、冬吏に頭を下げた。

「こちらこそ失礼なことを言って申し訳ありません。この人たち、口ばっかりでほんとイヤになるわね」

「おばあちゃん!」
 
冬吏の横に並ぶ私に目もくれず、「でもね」とおばあちゃんが言った。

「長い間住み続けた家を離れて、みんな不安なのよ。誰だって森内さんみたいな決心をしたい。でも、できなかった」
 
やっと視線を合わせてくれたおばあちゃんが、小さくほほ笑んだ。

「あなたたちがしてくれたことに感謝はしているのよ。でも、現実を受け止めることができないでいる。おばあちゃんだって、おじいさんと暮らした家で死にたいって、今でも思ってるの」

「でも……」

「どうせ死ぬなら、思い出と一緒に死にたい。そう思う気持ちも、少しはわかってね」
 
そう言うと、おばあちゃんは屋上のドアのほうへ歩いていく。毒気を抜かれたように、高川さんたちもそれに続いた。

「俺は」と、冬吏がみんなに聞こえるボリュームで言うと、何人かがふり返った。

「俺は、どんな形であってもみんなに生きていてほしい」
 
夕日が地平線から、最後の力をふり絞るように冬吏の横顔を照らしている。

「家を失ったとしても、生きていれば思い出が残ります。森内さんにもそれを伝えたかった。でも、俺にはできなかった」
 
おばあちゃんが冬吏のもとへ戻ってきた。

「あなたに責任はないの。このあと、出ていく人がいたとしても、本人が決めたこと。自分を責めないであげて」
 
けれど、冬吏は首を横にふる。

「俺にもっと力があったなら、たくさんの命を救えた。引っ越しだって止めることができたのに」
 
冬吏のつぶやくような声が、音もなくおりてきた夜に溶けていく。
 
冬吏はヒーローになりたかった。だけど、私たちはあまりにも無力で、どんなに叫んでも声は届かない。
 
私もそうだった。小学校の教室で必死に伝えようとしたけれど、誰も信じてくれなかった。
 
でも、あのころとは違うはず。たとえ届かなくても、私はもうあきらめたくない。

「あのっ!」
 
自分でも驚くくらい大きな声が出てしまい、慌てて口を押さえた。
 
みんなの視線を感じながら、小声で「あの」と言い直す。

「思いもよらない現実に直面したとき、私たちはまず拒否をします。信じなければラクだし、おかしなことを言う人を除外すれば平和が保たれるから。地球がこわれるなんて、誰だって信じたくないことだと思います」
 
屋上のドアにたまる人をかきわけ、お父さんとお母さんが姿を現した。

「私だって信じたくなかった。でも、うちの父は地質学者なんです。ソーラーパネルをつけるときに、明日起きることを教えてもらった人も多いと思います」

「俺の話か?」
 
きょとんとするお父さんにうなずいてみせた。

「信じられない気持ちもわかります。でも、起きる可能性が一パーセントでもある以上、明日は校舎から出ないようにしてほしいんです」
 
ざわめきの波が広がった。

「なんにも起きなかったらどうすんだよ」
 
高川さんが声をあげた。そうだそうだ、と言う声が左右から聞こえた。
 
ふと、背中に温度を感じた。冬吏が私の背中にそっと手を当ててくれている。
 
横顔に力が戻っているのがわかった。

「起きなかったらラッキーじゃないですか」
 
笑みまで浮かべ、冬吏は続ける。

「皆さんに秘密にしている食べ物や飲み物があるんです。なにも起きなければ、ここでパーティーをしましょう」

「なんだよそれ。……ちなみに酒はあるんだろうな?」
 
文句を言いながらも、高川さんの表情がやわらかくなっている。

「もちろんありますよ。じゃあ――」

「待って」
 
と冬吏の腕をつかんでから、高川さんたちに体ごと向いた。

「お酒を出すには条件があります」

「は?」
 
眉をひそめる高川さんに近づく。

「森内さんは、自宅にいることを選びました。その選択を尊重しないといけないってわかってる。でも、もう一度だけ考え直してもらいたいんです」

「俺たちに説得しろってことか? あー、無理無理」

「だな」
 
右手を横にふる高川さんに、隣の鈴木さんもうなずいている。

「説得しなくてもいい。でも、生きてほしい人がいることを伝えてもらえませんか? 与えられた寿命を全うしてから、愛する人と再会してほしい」

「ふん。それが交換条件ってことか」

「はい」
 
おずおずと答えると、高川さんは声にして笑った。

「森内のじいさんは頑固だからな。でも、策がないわけじゃない。鈴木さん、ちょっくら行くか」

「おう」
 
と鈴木さんが胸を叩いた。

「約束だからな。宴会をやるなら酒をたらふく用意しとけよ。桜輔も行くか?」

ぼんやりと視線をさまよわせていた桜輔が、急にビクンと体を揺らした。

「――俺、行かないと」
 
つぶやいて屋上から飛び出していく。きっと千秋を追いかけたのだろう。

「ウチがご一緒してやるよ。酔っぱらいだけで行っても頼りないだろうし」
 
イヤがる高川さんの肩を抱いて、夏海が歩き出した。
 
ぞろぞろとみんながそれに続く。
 
お父さんがなにか尋ねたそうにしていたけれど、おばあちゃんに首根っこを引っ張られ屋上から退散した。
 
さっきまで見えなかった丸い月が、いつの間にか空に浮かんでいた。

「雪音、すごかったな」

「冬吏だって」
 
ほかに言葉はいらなかった。
 
薄暗い町の奥に、森内さんの家の照明がかすかに見える。
 
どうかみんなの気持ちが森内さんに届きますように。冬吏も同じことを願っているのだろう、静かに目を閉じている。
 
そのあと、ひとりで千秋と桜輔を探しに行った。

ふたりは校庭のまんなかにいた。
 
抱きしめ合う桜輔と千秋に、銀色の光が降り注いでいた。