「これで全部か?」

軽トラに段ボール箱を運びながらお父さんが尋ねた。

「秋生さん待って。これも載せて!」
 
スーパーから飛び出てきた千秋の手にエコバッグが三つ。

「なんだよこれ。お菓子ばっかじゃないか」

「女子高生にはお菓子が必需品なの。おじさんだってビールをケースで買ってたくせに」
 
言葉に詰まったお父さんが、

「まあ、必需品なら仕方ない」
 
と肩をすくめた。
 
放課後、部活を中止にした千秋とスーパーへ行くことになった。お父さんに相談したところ、高校までの運搬を引き受けてくれた。

「あたしも乗っていけばいいんだよね」

「桜輔が校門の前で待ってるから、空いてる教室に運んで」
 
そう言うと、しごく真面目な顔で千秋はうなずいた。

「先生には内緒なんだよね?」

「一ノ瀬先生が『防災のために』って校長先生に話をとおしてくれたみたい。二十五日のこと、少しだけ信じてるって言ってくれたよ」
 
軽トラが走り出すのを見届けたあと、坂道を下りおばあちゃんの家へ向かった。
 
縁側に座っていたおばあちゃんが不機嫌なのは、背中を見るだけでわかった。

「おばあちゃんは行かないよ」
 
私を見るなり、おばあちゃんはそう言った。

「今日行くわけじゃないから。でも、必要な荷物はまとめなきゃ」

「今さら息子の家になんか住みたくない。それに、あの家は狭すぎる」
 
週末までにおばあちゃんは、我が家へ引っ越しをすることになっているけれど、当の本人が拒否している。

「お父さんの話を信じてるんでしょ?」

「信じてるよ。でも、この家を離れたくないってことも伝えてた。二十四日まで動くつもりはないし、二十六日になったらここに戻ってくるから、荷物なんて必要ないね」
 
おばあちゃんですら説得できないのに、近隣の人を避難させるなんて不可能だ。隣に座ると、おばあちゃんはあからさまに顔をそむけた。

「私、空っぽになっちゃった」

「なにが?」

「冬吏がいなくなってから、空っぽになったの」

「……へえ」
 
興味なさそうにお茶を飲んでから、チラッとこっちを見てくる。

「ピアノを弾かなくなったものね。この町に越してきたときもそうだった。ショックなことがあると、雪音はピアノから遠ざかる子だった」
 
今、ピアノを弾いたらどんな音がするのだろう。きっと前よりも悲しいメロディを奏でるだろうな……。

「不思議。前は全然仲良くなかったのに、今じゃこんなに悲しい。さみしい。苦しい」

「厳しいことを言うようだけど、ここから北極はあまりにも遠すぎる。いなくなった人を想うのも大切だけど、雪音にはちゃんと今を生きてほしい。おばあちゃんはそう思うよ」
 
そうだろうな。
 
納得する一方で、あの約束を信じている私がいる。
 
ううん、それよりも今はおばあちゃんを家に連れて帰るほうが先だ。

「おばあちゃんだって同じでしょ。おじいちゃんと暮らしたこの家が大事なのはわかるけど、今を生きるなら避難しないと」

「あんたは……いつの間にか口だけは達者になって」

ブツブツと文句を言い、おばあちゃんはお茶を飲み干した。

「しょうがないね。荷物をまとめておくから、迎えに来るよう秋生に言っておいて」

「荷物が多くてもいいように部屋を開けておくね」

「必要ない。正月にはここに戻るから」
 
憎まれ口を叩くおばあちゃんに、思わず笑ってしまった。

「じゃあ行くね。もう少し物資を買い足しておきたいし」
 
スーパーで売ってる物には限りがあるので、海北町に買い出しに行く必要がある。特に、包帯や薬などの医療道具はこの町にあるだけじゃ乏しすぎる。
 
土曜日にでも、みんなで船に乗って出かけよう。

「雪音ちゃん」
 
ふいにおばあちゃんが私の名を呼んだ。
 
立ちあがりかけていた腰をもとの位置に戻すと、おばあちゃんは感慨深げにため息をついた。

「強くなったね」

「え? 強くなんかないよ。前より弱くなった気がするもん」
 
冬吏からの連絡は一度もない。メッセージを送っても既読にもならない。
 
毎日不安だらけだし、呼吸だってしづらい。その苦しさよりも、会いたい気持ちばかり募っていく。

「強い人ってのは強情って意味じゃない。肩肘を張らずに素直でいることが強い証拠だよ。雪音ちゃんの表情や態度、言葉は、前よりもずっと素直に見えるよ」

「きっと冬吏が変えてくれたんだよ。でも、もういない」

「大切な友だちが支えてくれてるんだろ? 素直になって泣きつきなさい」
 
悲しみで折れそうな心を、千秋や桜輔、夏海が支えてくれている。
 
ちょっと風が吹いただけで泣けてくるほど、最近の私はダメダメだ。

「じゃあ、行くね」
 
部屋を出るとき、ピアノと目が合った。
 
フタの閉まったピアノが、さよならを告げている気がした。