「揺れてる」

夏海にそう言われたとき、私は大の字で寝転んでいた。
 
今にも落ちてきそうなほど、視界いっぱいに広がる空。青色をキャンパスに、入道雲が描かれている。
 
あの空を飛べたなら、北極にだって行けるのに……。

「聞いてる? 地震だよ」
 
言われてみれば、背中越しに揺れを感じる。まるで船の上にでもいるみたい。
 
船でも北極に行けるのかな。冬吏に会うためなら、時間がかかっても平気。
 
……え? 地震って言った?
 
上半身を起こすと、困り顔の夏海と目が合った。もう、揺れは収まったみたい。

「またぼんやりしてる。もう三時間目のチャイム鳴ったけどいいの?」

「あー、うん。四時間目から出る。……やっぱり午後にしようかな」
 
ハンディ扇風機をつけてみたけれど、生ぬるい風が余計に汗を誘う。

「ちょっと授業、サボりすぎじゃね?」

「夏海に言われたくないし」

「それだよ、それ」と、夏海が人差し指を向けてきた。

「前はウチのことビビッてたのに、なんで普通に話してくるわけ? まあ、ウチは今の雪音のほうがいいけど、悪い影響を与えたみたいで心配」
 
そうだったっけ。前がどうだったかなんて、覚えていない。どこに誰といるのかもわからないくらい、ぼんやりと毎日を生きている。

「冬吏のこと、本当にショックだったんだな」

「その話はいいよ。せっかく忘れようとしてるのに」

「忘れたいことほど忘れられないんだよ。ムダな努力はやめときな」
 
あぐらをかいた夏海が「あちっ!」と悲鳴をあげた。
 
あれから何日が過ぎたのだろう。ここはどこだろう。
 
しっかりしなくちゃいけないことはわかっているのに、冬吏がいない世界があまりにも空っぽで、苦しくて、さみしくて。

「約束したんだろ。絶対に戻ってくるよ」
 
夏海はそう言ってくれるけど、さすがに北極は遠すぎる。

「きっと戻ってこられないよ」

「駅でも『約束』って言ってくれたんだろ?」

「口の動きでそう言ったように思っただけ。本当は『さよなら』とか『ごめんね』だったのかもしれない」
 
はあ、と大きくため息をついた夏海が、

「あー、ウザい!」
 
空に向かって叫んでから、両方の肩をつかんできた。

「雪音がそんなんでどうすんだよ。もう十八日。地球がこわれる日まであと一週間しかないってのに」

「……わかってるよ」

「わかってないから言ってんだよ」
 
今ごろ、冬吏はなにをしてるんだろう。
 
冬吏のいない世界はからっぽで、どんなに彼の存在が大きかったかを思い知る日々。
 
ギイ。屋上のドアが開く音がした。

恐る恐る顔を出したのは、千秋だった。
 
私と目が合うと、ホッとした顔で歩いてくる。

「やっぱりここにいたんだ。何度もスマホにメッセージ送ったのに――」

夏海に気づいたのだろう、急ブレーキで足を止めた。

「え……誰?」

「夏海。須田夏海。これでも一緒のクラス。あんた、千秋だろ? いいから、座りなよ」

「わかった」
 
あっけらかんと答えると、千秋は私の横に腰をおろした。

「ひょっとしたらここにいるかな、ってトイレ行くフリして来てみたの。三時間目は自習だから、一緒に戻ろうよ」
 
私の返事も待たずに、千秋が夏海に顔を向けた。

「ひょっとして、始業式だけ来た子?」

「そういうこと」

「その髪、おもしろい色。でも、メイクは濃すぎじゃない? どっちにしても校則違反だね」
 
千秋のすごいところは、人見知りをしないところだ。すっかりペースに巻きこまれたらしく、夏海が「うるせえ」とそっぽを向く。

「それより雪音を教室に連れてって。ウチみたいになってほしくないから」
 
教室には行きたくない。みんなの前で宣言したせいで、千秋と桜輔以外のクラスメイトから避けられている気がする。
 
なにか言われるよりも、冷ややかな視線を浴びせられるほうが傷つく。守ってくれる冬吏もいない今、立ち向かう勇気なんて一グラムもない。
 
前にここで書いた『私との約束』は、果たせないどころかなんの行動も起こせていないわけで……。

「雪音がここにいるんなら、あたしもそうしよっかな」
 
ポケットから取り出した携帯用の日焼け止めスプレーを顔にかける千秋。

「なんでそうなるんだよ。トイレに行くって言って出てきたんなら、さっさと連れて戻れよ」

「だって雪音は教室に行けないんだもん。夏海さん――夏海も来るなら防波堤になってくれるかも」
 
前に私が言ったのと同じことを言ってくれた。

「うん。夏海が一緒だったら行けると思う」

「ほら」と千秋は得意げに頬をあげた。

「友だちのピンチなんだし協力してよ」

「友だちじゃねえ。屋上でたまたま会っただけだし。ほら、さっさと教室に連れていきな」
 
興味を失ったように立ちあがると、夏海は背を向けてしまった。

さすがにこのままじゃ親に連絡が行ってしまうかもしれない。
 
千秋に支えられながら立つ。
 
別に大したことじゃない。クラスメイトにどんな目で見られたって、冬吏がいないことに比べたら平気。

「夏海」

「んだよ」

めんどくさそうにふり向く夏海の髪が、風に躍っている。

「前に、髪の色の正式名称を当てたら教室に行くって約束してくれたよね?」

「……まあな」

「バンパイア・エクストラレッド」
 
そう言うと、夏海は口をあんぐりと開けた。

「あれからネットで調べたの。この町は美容室もあんまりないし、ここまで明るい赤色のヘアカラーなんて置いてないでしょ? 自分で染めてるとしたら、夏海ならいちばん発色がいいものを買うだろう、って」
 
悔しそうににらんでくる夏海が、

「もう行けよ」

拒否の言葉を口にした。

まあ、そうだろうな。たった数日サボっているだけで、教室に行くのが怖いのに、夏海は入学式からずっとだ。

校舎に入ると、クーラーの風がほてった体を冷やした。

「大丈夫?」
 
先を行く千秋が、踊り場でふり向いた。

「大丈夫じゃない。教室に行くのは平気だけど……冬吏がいない」

「うん」
 
腕を伸ばし、私の手を握ってくれた。
 
それだけで涙がこみあげてくる。

「私、ダメだね。『私との約束』、なんにも果たせてない」

「なに言ってんの。あたしなんて、たったひとつの約束すら果たせてないのに。ひとつでもできたら合格だよ。雪音は自分をもっと甘やかしてあげないと」

恋は人を強くするものだと思っていたけれど、片想いは別みたい。冬吏がいなっくなってから、どんどん自分の存在がちっぽけに思えてしまう。
 
教室のうしろの扉から入ると、みんなの視線が一気に注がれた。
 
視線を落とし、自分の席に座ると同時に、ヒソヒソ声がいたるところで生まれた。
 
右隣の席は、主をなくした机と椅子が置かれたまま。
 
あと一週間でその日が来ても、きっと私はなにもできない。身近な人をここへ連れてくることが、やれる精いっぱいだろう。

「予言者様のお出ましお出まし~」
 
壁際の男子がおどけた。

「おい!」
 
桜輔が(かば)ってくれたけれど、自習中のせいか揶揄する声が収まらない。

「いるよな、不安をあおるヤツ」

「冬吏って退学になったんじゃねえの」
 
千秋が椅子から立ちあがり、

「いい加減にしてよ!」

怒鳴っても、逆効果でどんどん声のボリュームがあがっていく。
 
そのうち隣のクラスの先生がやってきて怒られるはず。その原因も、全部私に押しつければいい。

「……なんだっていい」
 
小さくつぶやくのと同時に、予想どおり教室の扉が勢いよく開いた。
 
そこに立っていたのは、夏海だった。
 
一瞬で静まり返る教室。
 
教壇に立つ夏海が、「あのさ」と低い声で言った。

「外で話を聞いてたけど、あんたらダサいね。雪音になにか言いたいことがあるヤツがいるなら、ウチが相手になるけど?」
 
壁際の男子が、

「あの髪の色、ヤバくね?」
 
さっきよりも小声で言い、数人がクスクス笑う。が、夏海が一直線に向かってくるのを見て、体を小さくした。

「あ? 言いたいことがあるならはっきり言えよ」

「……なんでも、ない、です」

「だったら黙ってろ」
 
一喝すると、夏海は私のうしろの席に来た。

「まあ、この髪はたしかにヤバいから明日までに戻してくる。それよりさ、あんたら二十五日に起きること、信じてないんだ?」
 
答える人はおらず、誰もが近くの人と目線で合図を送っている。

「信じる信じないは自由だけどさ、ウチの母親は信じてる。いや、信じてた。亡くなる前の日まで、『地震が起きたら山をのぼれ』ってうわごとみたいに言ってた」

「あたしは信じるよ」
 
場に似合わない朗らかな声で千秋が言い、隣の桜輔がポカンと口を開いた。

「さすが千秋。じゃあさ、手伝ってよ」

「なにを?」

「二十五日の地震で、海水が一気に押し寄せてくる。しばらくはここで避難することになるだろうから、物資を運ぼうと思ってる」

「なるほどね。了解」
 
桜輔が椅子ごとふり向き、夏海に見えるように手をあげた。

「質問いいすか?」
 
夏海があごを引くのを確認し、いそいそと立ちあがる。

「冬吏も雪音も、えっと――」

「須田夏海。夏海でいい」

「夏海も、なんで二十五日に地球が割れることを信じられんの?」
 
いい質問だ、とでも言いたそうに夏海が腕を組んだ。

「ウチらの親が、防衛省の高温化対策室に所属してる。もしくは過去にメンバーだったんだよ。ちなみに、地球が割れる、じゃなくてこわれる、な?」

「二十五日に大きな地震がくるのは間違いねえの?」

「間もなく発表されると思う。そうなったら国中がパニックになるだろうし、物資の買い占め、ひどければ略奪も起きるかもしれない」
 
ゆっくりと教室内を見渡す夏海。誰もがその口もとをじっと見つめている。

「冬吏と雪音はみんなを助けたいからこそ、勇気を出して警告してくれてんだ。信じなくてもいいけど、バカにだけはするな」
 
しんと静まり返る教室。
 
壁の時計に目を向けた夏海が、「なあ」と声をやわらかくした。

「なにもせずにその日を待つのか、冬吏が残してくれた言葉を信じて行動するのかどっちがいい?」
 
私に対して尋ねているんだ、と思った。
 
冬吏がいなくなってから力を失ってしまった。けれど、信じてくれる仲間がいる。
 
地球がこわれたとしても、生き残ることができればきっと冬吏にまた会える。
 
笑顔で再会するためにも、できることをがんばりたい。

「行動する」
 
はっきりと言葉にすれば、体の奥から力が沸いてくるように思えた。

「約束だからな」
 
ほほ笑みを浮かべ、夏海は歩き出した。

「俺も信じる!」
 
桜輔が叫んだ。親指を立て、夏海が教室を出ていった。
 
チャイムの音が、はじまりの合図のように聞こえた。