珍しく、一ノ瀬先生がホームルームに遅れてきた。
いつもどおりメイクはバッチリだけど、浮かない表情のせいで顔色が悪く見える。
「あの、ね……」
言葉を選んでいるのか、モゴモゴと口のなかでつぶやいたあと、一ノ瀬先生が背筋を伸ばした。
「九条くんが停学になったことは知ってるよね?」
よくない話だ、とすぐにわかった。まさか停学期間が延びたとか? もしくは、もっと重い処分になったとか……?
すう、と聞こえるくらいの音で息を吸ったあと、一ノ瀬先生はなぜか私に視線を向けた。
「九条くん、急に引っ越すことになったそうです」
音が、消えた。
驚いているみんなの顔がスローモーションで見えた。ふり向いた千秋がなにか私に言ってきたけれど、耳をすり抜けていく。
「静かに」
一ノ瀬先生の声がかろうじて聞こえた。ざわめきが沈静化されていくのに合わせて、体から血の気が引いていく。
「九条くんのご両親が来校されたの。引っ越しは前から決まっていたそうです。急なことすぎて私もよくわかってないんだけど、なんでも北極へ行くって……」
「は、北極!? なんだそれ!」
男子のひとりが吠え、同調する声が渦になり攻撃してくる。
「うるせえよ!」
桜輔がドンッと机を叩いた。
「北極ってなんだよ。あいつ、そんなこと……」
「先生」と千秋が手をあげた。
「それって、冬吏がもう来ないってことですか?」
一ノ瀬先生が静かにうなずいた。
「もう引っ越しも終わったそうで、これから空港に向かうっておっしゃってて――」
とっさに立ちあがっていた。椅子を引く音が遅れて耳に届く。
ありえない。そばにいるって約束してくれたのにどうして……?
「風岡さん、座りなさい」
私は――なんて答えた?
気づくとスマホを片手に教室を飛び出していた。
坂道を転がるように走り、船着き場まで急いだ。
「田後さん!」
タバコをふかしていた田後さんが、ギョッとした顔で半腰になった。
「なんだ、雪音ちゃんか。おばあちゃんになんかあったのか?」
「あの、あの……」
両膝に手を置いて、息を整えた。
「冬吏、来た?」
「珍しく家族総出で来て、あっちまで送ってきた」
あごで海北町の港を指す田後さんの腕をつかんだ。
「お願い。すぐに私も送って」
「は?」
時間にならないと出航できないことは知ってる。だけど、このままじゃ冬吏が電車に乗ってしまう。
「お願いします。どうしても行かなくちゃいけないの」
田後さんは難しい顔でしばらく悩んでいたけれど、
「乗りな」
そう言うと、船のほうへ歩いていく。
お礼もそこそこに乗りこむと、エンジン音が響かせ出航した。
「飛ばすから座ってな。理由は落ち着いたら話してくれよな」
いつもより水しぶきをあげ、まっすぐに海北町の港へ進んでいく。
冬吏に電話をかけるが、電源が入っていないらしくつながらない。
海北町の上に雨雲が広がっていて、薄暗い景色に変えている。イヤな予感がジワジワと広がっていくのを感じる。
やっとわかった。
放送室を乗っ取るという暴挙に出たのは、引っ越しが決まったからなんだ。この町にいられないことを知り、最後のメッセージを伝えたんだ。
やっと冬吏への気持ちがわかったのに。
これからふたりで困難を乗り切るって約束してたのに。
――これで、お別れなの?
泣きたい気持ちをこらえ、頬の筋肉に力を入れた。
とにかく冬吏に会わなくちゃ。泣くのはそれからだって遅くない。
遠くの空で、雷鳴が響いた。
いつもどおりメイクはバッチリだけど、浮かない表情のせいで顔色が悪く見える。
「あの、ね……」
言葉を選んでいるのか、モゴモゴと口のなかでつぶやいたあと、一ノ瀬先生が背筋を伸ばした。
「九条くんが停学になったことは知ってるよね?」
よくない話だ、とすぐにわかった。まさか停学期間が延びたとか? もしくは、もっと重い処分になったとか……?
すう、と聞こえるくらいの音で息を吸ったあと、一ノ瀬先生はなぜか私に視線を向けた。
「九条くん、急に引っ越すことになったそうです」
音が、消えた。
驚いているみんなの顔がスローモーションで見えた。ふり向いた千秋がなにか私に言ってきたけれど、耳をすり抜けていく。
「静かに」
一ノ瀬先生の声がかろうじて聞こえた。ざわめきが沈静化されていくのに合わせて、体から血の気が引いていく。
「九条くんのご両親が来校されたの。引っ越しは前から決まっていたそうです。急なことすぎて私もよくわかってないんだけど、なんでも北極へ行くって……」
「は、北極!? なんだそれ!」
男子のひとりが吠え、同調する声が渦になり攻撃してくる。
「うるせえよ!」
桜輔がドンッと机を叩いた。
「北極ってなんだよ。あいつ、そんなこと……」
「先生」と千秋が手をあげた。
「それって、冬吏がもう来ないってことですか?」
一ノ瀬先生が静かにうなずいた。
「もう引っ越しも終わったそうで、これから空港に向かうっておっしゃってて――」
とっさに立ちあがっていた。椅子を引く音が遅れて耳に届く。
ありえない。そばにいるって約束してくれたのにどうして……?
「風岡さん、座りなさい」
私は――なんて答えた?
気づくとスマホを片手に教室を飛び出していた。
坂道を転がるように走り、船着き場まで急いだ。
「田後さん!」
タバコをふかしていた田後さんが、ギョッとした顔で半腰になった。
「なんだ、雪音ちゃんか。おばあちゃんになんかあったのか?」
「あの、あの……」
両膝に手を置いて、息を整えた。
「冬吏、来た?」
「珍しく家族総出で来て、あっちまで送ってきた」
あごで海北町の港を指す田後さんの腕をつかんだ。
「お願い。すぐに私も送って」
「は?」
時間にならないと出航できないことは知ってる。だけど、このままじゃ冬吏が電車に乗ってしまう。
「お願いします。どうしても行かなくちゃいけないの」
田後さんは難しい顔でしばらく悩んでいたけれど、
「乗りな」
そう言うと、船のほうへ歩いていく。
お礼もそこそこに乗りこむと、エンジン音が響かせ出航した。
「飛ばすから座ってな。理由は落ち着いたら話してくれよな」
いつもより水しぶきをあげ、まっすぐに海北町の港へ進んでいく。
冬吏に電話をかけるが、電源が入っていないらしくつながらない。
海北町の上に雨雲が広がっていて、薄暗い景色に変えている。イヤな予感がジワジワと広がっていくのを感じる。
やっとわかった。
放送室を乗っ取るという暴挙に出たのは、引っ越しが決まったからなんだ。この町にいられないことを知り、最後のメッセージを伝えたんだ。
やっと冬吏への気持ちがわかったのに。
これからふたりで困難を乗り切るって約束してたのに。
――これで、お別れなの?
泣きたい気持ちをこらえ、頬の筋肉に力を入れた。
とにかく冬吏に会わなくちゃ。泣くのはそれからだって遅くない。
遠くの空で、雷鳴が響いた。



