「マジかよ!」
お父さんが、聞いたことがないほどの大声で叫んだあと、缶ビールを勢いよく飲み干した。
「母さん! ついに雪音が俺の言うことを信じてくれた!」
「あらまあ。よかったじゃない」
お母さんはピンときてないらしく、おかずののった皿をテーブルに運ぶと、キッチンに引き返していく。
二本目のビールをひと口飲んだあと、お父さんは「ああっ」と天井に顔を向けた。
「この島に来たことを後悔してるんじゃないか、って思ってたから、今日は最高の日だ。なにかほしい物ないか? 今ならなんでも買ってやるぞ」
ホクホクした顔のお父さんを見ていると、冬吏の名前は出していないけれど、お父さんに話してよかったのか不安が残る。
でも、もともとはお父さんが唱えた説だし、専門家の意見を――ううん、元専門家の意見を聞いてみたかった。
「それより教えて。お父さんが対策室にいたときは、北極とか十二月二十五日のリミットの話はなかったよね」
これ以上飲んだら酔っぱらってしまう。缶ビールを脇によけると、お父さんは口を『あ』の形に開けたまま、その行方を目で追った。
名残り惜しそうに見つめたあと、お父さんは居住まいを正した。
「たしかにあのときは、標高の高い町に移住するのがベストだとしかわからなかった。おばあちゃんがいるからこの町に来たわけだが、ほかにも標高が高くて活火山がない場所なら、核の爆発の影響を受けにくいだろう」
考えこむようにあごに手を当てるお父さん。久しぶりに学者然とする表情に、なつかしさを感じた。
口を挟もうとする私に、右手をサッと差し出して制すると、「うん」と声に出してお父さんはうなずいた。
「雪音は知らないと思うが、お父さんが学会に属してたころから、北極は秘かに開発が進んでいたんだ。たしかにあそこなら安全かもしれない。十二月二十五日がタイムリミットというのも、最新の研究から導き出した答えなんだろうな」
「さあ、ご飯にしましょう。今日はね、お隣さんからお魚をいただいたのよ」
お母さんが両手の人差し指を丸皿に向けた。「おお」とお父さんがほころぶ。
「アジなんて久しぶりに見た。今じゃ魚はほとんどが養殖だから貴重だよな。俺が子どものころなんて、まだ水温が高くなかったから――」
「お父さん」
そろそろ止めないと、長話がはじまりそう。右の手のひらを差し出し、お父さんがビールを要求してきた。渋々渡すと、うれしそうにグイと飲む。
「しかし、雪音の同級生の父親は、よほど優秀な研究者なんだろうな」
「お父さんの知り合い?」
「雪音と同い年の女の子がいた研究者か……。どうだったかな」
首をかしげるお父さんを見てやっと気づいた。お父さんは冬吏のことを女の子だと思ってるんだ。
「九条っていう苗字だよ」
面倒な展開を避けたくて、苗字だけを伝えた。
「九条? 数字の九に条例の条? そんな研究者はいなかったから、俺の代打で採用されたか、もしくは別の対策室のメンバーだろう」
地球がこわれることを、これまで信じてこなかった。お父さんの主張には無理があると思ったし、ネットの書きこみに同意する部分のほうが多かった。
それなのに……冬吏が言う言葉をすぐに信じられた。
あれ以来、彼の笑顔がずっと脳裏にちらついている。
私、ひょっとして冬吏のことを……?
「違う」
ふたりに聞こえないように口のなかでつぶやいた。
普段の態度がそっけないから、物珍しさで気になっているだけ。それだけのはず。
ヘンな考えをご飯と一緒に飲みこむ。お茶で流しこむ。
そうだよ。地球がこわれるまであと一ヶ月しかないのに、恋なんてしている場合じゃない。
気づくと、お母さんが不思議そうな顔で私を見ていた。
「ひょっとして歯が痛いの?」
「え……? ううん、そんなことない」
よほどひどい顔をしていたのだろう、いつもみたいに笑顔の仮面を手にしたけれど、つける直前でやめた。
「地球がこわれるまであと一ヶ月しかないんだな、って心配になっただけ」
もっともな理由を口にすると、お母さんは「あら」と目を丸くした。
「大丈夫よ。そのためにこの町に来たんだから。ここにいれば大丈夫なのよね?」
「当時は、この家の下あたりまで海水が上昇するとされていたが、今の予測はわからない」
お父さんの返答に、お母さんが首をかしげた。
「今の予測だとどうなるの?」
「追い出された身だから俺にもわからん。連絡先も消されたから、対策室のメンバーと連絡の取りようがない」
「じゃあ、この家も海に沈む可能性があるってこと?」
お母さんが箸をテーブルに置いた。
「そうなる可能性はある。しかも爆発により海水が熱せられるから、逃げるしかない」
「待って」そう言うと、お母さんは背筋を伸ばした。
「私はもっと上のほうに住みたいと言ったのに、秋生さん、『ここなら絶対に大丈夫だ』って言いましたよね?」
お母さんの怒りは一気にレベルマックスに到達したらしい。なのに、お父さんは気づかず、缶ビールのラベルを読もうと目を細めている。
「そんなのわかりっこないだろ。それにあのときは、譲ってもらえる家があるだけでラッキーだったし」
そこまで言ったあと、お父さんは燃えるようににらむお母さんに気づき、慌てて首を横にふった。
「安心してくれ。万が一のことがあってもいいように、水災害もカバーできる地震保険に入ってる。新築で立派な家が建てられるよ」
「それならいいけど……」
肩をすくめるお母さんを見て、私とお父さんは同時に息を吐いた。
重い空気を変えたくて、「ねえ」とお父さんのほうに身を乗り出す。
「来月の二十五日になにが起きるの?」
「核の爆発により大地震が起きるだろう。そのあと、あっという間に海面が上昇する」
だとしたら、みんなに注意喚起をしないと。
そこまで考えて、思考を無理やり停止させた。
きっと、誰もこんな話、信じてくれない。あのころだってそうだった。
『お父さんはうそつきじゃないもん』
『地球がこわれるんだよ』
教室で力説すればするほど、みんなは離れていった。
『だったら俺は、町の人を助けて最後まで生き抜いてやる』
冬吏はヒーローになりたいと言っていた。
私には無理。二十五日に地球がこわれたとしても、なにもできずに震えているだけ。
そんな私は、今度こそ冬吏に嫌われてしまうのだろう。
お父さんが、聞いたことがないほどの大声で叫んだあと、缶ビールを勢いよく飲み干した。
「母さん! ついに雪音が俺の言うことを信じてくれた!」
「あらまあ。よかったじゃない」
お母さんはピンときてないらしく、おかずののった皿をテーブルに運ぶと、キッチンに引き返していく。
二本目のビールをひと口飲んだあと、お父さんは「ああっ」と天井に顔を向けた。
「この島に来たことを後悔してるんじゃないか、って思ってたから、今日は最高の日だ。なにかほしい物ないか? 今ならなんでも買ってやるぞ」
ホクホクした顔のお父さんを見ていると、冬吏の名前は出していないけれど、お父さんに話してよかったのか不安が残る。
でも、もともとはお父さんが唱えた説だし、専門家の意見を――ううん、元専門家の意見を聞いてみたかった。
「それより教えて。お父さんが対策室にいたときは、北極とか十二月二十五日のリミットの話はなかったよね」
これ以上飲んだら酔っぱらってしまう。缶ビールを脇によけると、お父さんは口を『あ』の形に開けたまま、その行方を目で追った。
名残り惜しそうに見つめたあと、お父さんは居住まいを正した。
「たしかにあのときは、標高の高い町に移住するのがベストだとしかわからなかった。おばあちゃんがいるからこの町に来たわけだが、ほかにも標高が高くて活火山がない場所なら、核の爆発の影響を受けにくいだろう」
考えこむようにあごに手を当てるお父さん。久しぶりに学者然とする表情に、なつかしさを感じた。
口を挟もうとする私に、右手をサッと差し出して制すると、「うん」と声に出してお父さんはうなずいた。
「雪音は知らないと思うが、お父さんが学会に属してたころから、北極は秘かに開発が進んでいたんだ。たしかにあそこなら安全かもしれない。十二月二十五日がタイムリミットというのも、最新の研究から導き出した答えなんだろうな」
「さあ、ご飯にしましょう。今日はね、お隣さんからお魚をいただいたのよ」
お母さんが両手の人差し指を丸皿に向けた。「おお」とお父さんがほころぶ。
「アジなんて久しぶりに見た。今じゃ魚はほとんどが養殖だから貴重だよな。俺が子どものころなんて、まだ水温が高くなかったから――」
「お父さん」
そろそろ止めないと、長話がはじまりそう。右の手のひらを差し出し、お父さんがビールを要求してきた。渋々渡すと、うれしそうにグイと飲む。
「しかし、雪音の同級生の父親は、よほど優秀な研究者なんだろうな」
「お父さんの知り合い?」
「雪音と同い年の女の子がいた研究者か……。どうだったかな」
首をかしげるお父さんを見てやっと気づいた。お父さんは冬吏のことを女の子だと思ってるんだ。
「九条っていう苗字だよ」
面倒な展開を避けたくて、苗字だけを伝えた。
「九条? 数字の九に条例の条? そんな研究者はいなかったから、俺の代打で採用されたか、もしくは別の対策室のメンバーだろう」
地球がこわれることを、これまで信じてこなかった。お父さんの主張には無理があると思ったし、ネットの書きこみに同意する部分のほうが多かった。
それなのに……冬吏が言う言葉をすぐに信じられた。
あれ以来、彼の笑顔がずっと脳裏にちらついている。
私、ひょっとして冬吏のことを……?
「違う」
ふたりに聞こえないように口のなかでつぶやいた。
普段の態度がそっけないから、物珍しさで気になっているだけ。それだけのはず。
ヘンな考えをご飯と一緒に飲みこむ。お茶で流しこむ。
そうだよ。地球がこわれるまであと一ヶ月しかないのに、恋なんてしている場合じゃない。
気づくと、お母さんが不思議そうな顔で私を見ていた。
「ひょっとして歯が痛いの?」
「え……? ううん、そんなことない」
よほどひどい顔をしていたのだろう、いつもみたいに笑顔の仮面を手にしたけれど、つける直前でやめた。
「地球がこわれるまであと一ヶ月しかないんだな、って心配になっただけ」
もっともな理由を口にすると、お母さんは「あら」と目を丸くした。
「大丈夫よ。そのためにこの町に来たんだから。ここにいれば大丈夫なのよね?」
「当時は、この家の下あたりまで海水が上昇するとされていたが、今の予測はわからない」
お父さんの返答に、お母さんが首をかしげた。
「今の予測だとどうなるの?」
「追い出された身だから俺にもわからん。連絡先も消されたから、対策室のメンバーと連絡の取りようがない」
「じゃあ、この家も海に沈む可能性があるってこと?」
お母さんが箸をテーブルに置いた。
「そうなる可能性はある。しかも爆発により海水が熱せられるから、逃げるしかない」
「待って」そう言うと、お母さんは背筋を伸ばした。
「私はもっと上のほうに住みたいと言ったのに、秋生さん、『ここなら絶対に大丈夫だ』って言いましたよね?」
お母さんの怒りは一気にレベルマックスに到達したらしい。なのに、お父さんは気づかず、缶ビールのラベルを読もうと目を細めている。
「そんなのわかりっこないだろ。それにあのときは、譲ってもらえる家があるだけでラッキーだったし」
そこまで言ったあと、お父さんは燃えるようににらむお母さんに気づき、慌てて首を横にふった。
「安心してくれ。万が一のことがあってもいいように、水災害もカバーできる地震保険に入ってる。新築で立派な家が建てられるよ」
「それならいいけど……」
肩をすくめるお母さんを見て、私とお父さんは同時に息を吐いた。
重い空気を変えたくて、「ねえ」とお父さんのほうに身を乗り出す。
「来月の二十五日になにが起きるの?」
「核の爆発により大地震が起きるだろう。そのあと、あっという間に海面が上昇する」
だとしたら、みんなに注意喚起をしないと。
そこまで考えて、思考を無理やり停止させた。
きっと、誰もこんな話、信じてくれない。あのころだってそうだった。
『お父さんはうそつきじゃないもん』
『地球がこわれるんだよ』
教室で力説すればするほど、みんなは離れていった。
『だったら俺は、町の人を助けて最後まで生き抜いてやる』
冬吏はヒーローになりたいと言っていた。
私には無理。二十五日に地球がこわれたとしても、なにもできずに震えているだけ。
そんな私は、今度こそ冬吏に嫌われてしまうのだろう。



