「ごめん、今日仕事が忙しくて、帰るの遅くなるから適当に食べててくれない?」
 母から連絡があったのは、帰りのホームルームが終わった頃だった。
 再婚した母は仕事を辞めるかと思いきや、全くそんな素振り見せず、仕事を今も以前と変わらぬペースで続けている。義理の父は、母が家に入り、専業主婦する事を望んではいなかったのだろう、特に何か話し合うという素振りもなく受け入れていた。
「もう子どもと言う年でもないしね」
 そう言って家事について、何か言及する事もない。物わかりの良い男なのか、それとも家事に無関心なのか、よくわからないけれど、夫婦がそれでいいというなら、俺にも異論はない。
 それは伊月も同じらしく、彼らが決めた事に何か口出しする素振りもなく、むしろ興味などないという風に、スマートフォンを弄りながら話を聞いていた。
 俺は母から入った連絡に「了解!」という動物のスタンプを一つ返してから、スマートフォンをポケットに入れた。駅前で何か食べて帰るか、それともどこかでテイクアウトをするか。
 俺は考えを巡らせながら、目の前にいるクラスメイトである大崎の背中を突いた。彼はすぐに振り返ると、どした? と首を傾げる。
「今日部活?」
「部活」
「なぁんだ」
 鞄に顔を埋めて、コンビニ弁当が濃厚になるのを感じる。一人でファストフード店に入って飯を食う気分でもない。
「何だよ、今日も一人メシか?」
 つむじを指先で押されて、ずくりと痛みを発する。俺は大崎の手を軽く払いのけて、顔を上げた。
「でも親再婚して家族増えたから一人じゃねえんじゃね?」
 そう言われて、伊月の顔がふと思い浮かぶけれど、すぐにそれは水に溶けていく紙のように、ゆらゆらと消えて行った。
「一人だよ、別に家族だからって一緒に食うっていう家じゃないし」
「そうなん?」
 伊月は何食べるんだろう。
 ふと考えて、彼が食べそうなものを考える。
 なんだかんだ言っても同じ高校生で、同い年。あんな立派なレストランに入るわけがない。だとしたらファストフードかファミレスか、コンビニ。
「兄弟できたなら一緒に食えば?」
 何となしに言われて、俺は言葉に詰まる。
 伊月は俺の通う高校から三つは慣れた学校で、待ち合わせをして飯を食おうと誘えば、それはできない事ではない。――確かに出来ない事ではないし、その方が今後の為にも良いかもしれない。
「ほら、親睦会? 的な?」
 大崎が軽々しく放つ正論に、俺は唇を一の字に結んで唸った。
 分かっている。分かってはいるのだけれども。
 俺は制服のポケットからスマートフォンを取り出すと、念のために交換したメッセージアプリを起動させ、彼とのやり取りのトーク画面を開く。
『よろしく』
『よろしく』
 そう交わしたメッセージ以降、何もやり取りがないのだ。こんな他人行儀なメッセージの直後に『ご飯一緒にしよう』となんて送る勇気が俺にはまだない。
 白い背景に浮かぶ寂し気な『よろしく』という無機質な言葉が、彼との距離感を表しているようで、何となくこちらから連絡をするのが躊躇われた。こんな事を言えば、また「拗ねてんの」なんて言われそうだし、余計に言葉が浮かばない。
 俺が悶々としている間に、大崎は身支度を整えると、席を立ちリュックを背負った。もう行くのか? と見上げれば「ンな顔すんなよ」と髪を乱される。
「置いてくな~」
「一人で飯くらい食えよ。今までもそうだったろ?」
 そうだけど、今は状況が違うのだ。
 そう言ってやりたいが、言った所で大崎は部活に行ってしまうのは変わらない。俺は喉奥に言葉を引っ込めて、手を振った。
「じゃあな! また明日!」
 快活な笑顔と共に去って行くクラスメイトを見送って、俺はコンビニだな、と口の中で呟く。
 コンビニ飯買って、部屋で食べよう。
 大崎よりも少し時間を置いてから立ち上がると、疎らになった教室内を見渡し、通学鞄を肩に掛けた。
 窓の外からは、既に部活に勤しむ練習の掛け声が響き始め、廊下からはせわしない足音が響いている。
 俺はスマートフォンのトーク画面を消すと、ポケットにそれを入れて、教室を後にした。