映像表現コース必修Bクラスのクラスメイト・三橋暁斗はアイドルだ。
いや、正確に言えばアイドル候補生? らしい。メジャーデビューはまだ、という話だ。けれど、事務所の力なのか定期的にテレビに出ているし、動画サイトの広告とかでもたまに見る。
俺が通う西北大学文学部映像表現コースは、俳優や脚本家を数多く輩出した、いわゆる「芸能の名門校」だ。だから、芸能人が入学すること自体は珍しくない。
それでも三橋が入学した一年前の入学式は、うわさを聞きつけた野次馬が押し寄せ、ちょっとした騒動になった。二年生になった今も、三橋が出席している日の教室には見物人がけっこう訪れる。俺たちクラスメイトは、それを避けて教室に入らなければならないから大変だった。
「あの、握手してもらってもいいですか!?」
「もちろん。嬉しいです、こんなところでファンの人に会えるなんて」
「あああ、ありがとうございますう~……!」
感極まった様子で握手を交わす店員を見て、俺は改めて三橋の知名度を再認識した。こんなに人気で、ビビるほど顔がいいのに、なぜメジャーデビューしてないんだろう。芸能界は謎だ。
「何かお探しのものがあれば、ご案内しますが」
「いえいえ、大丈夫です」
丁重に断られた店員は、露骨に残念そうな顔をする。しかし「お気遣いありがとうございます」と三橋が微笑むと、一瞬で笑顔を取り戻した。
「では、何かありましたらお申しつけください」
店員はそう言って、スキップでもしそうな足取りで去っていく。その姿が完全に見えなくなってから、三橋は俺に向き直った。
「で、瀬田は何買いに来たの」
また、自然にさらりと俺の名前を呼ぶ。俺は思わず、
「俺のこと、知ってたんだ」
と言ってしまった。
顔がいい。すごくキラキラしている。若干チャラそう。それが、一年生の頃から変わらない三橋の印象だ。
――つまり、俺と正反対の人間。
仕事が忙しいからか欠席の日も多いけど、出席時につるんでいる人間は三橋と同じような華やかな男子たちだ。正直、俺みたいな地味な人間のことなんて眼中にないというか、覚えていないと思っていた。
「そりゃクラスメイトだし。覚えてるって、普通」
三橋はおかしそうに笑った。屈託のない笑顔がまぶしくて、無駄に卑屈な思考を発揮した自分がバカみたいに思えてくる。しかし同じクラスとはいえ、話したこともないやつの名前まで覚えているなんて。
――顔がいいうえに記憶力もいいとか、どんだけハイスぺックなんだよ。
やっぱり芸能界の人間は違うなと、圧倒されるような気持ちになった時だった。
「それ、買う感じ?」
三橋に聞かれ、俺はナントカパウダーとやらを持ったままだと気づいた。
「いや、別に」
あわててケースを棚に戻す。蓋に貼られた「素肌に自信を!」という銀のラベルがキラキラ輝いた。
自信、という字にチクリと胸が痛む。空っぽになった右手で、額を覆う前髪をいじった。
ここに来たのは、まさしくその自信がほしかったからだ。けれどさっき、異国語としか思えない言葉のつらなりを店員から聞いたら、とたんに委縮してしまった。
――やっぱり俺には、メイクなんて無理だったんだ。
そんな俺の心の声が聞こえたはずもないのに、三橋が言った。
「メイク、興味あるの?」
顔を上げると、目が合った。テレビや広告でよく見る顔が、まっすぐに俺を見ているのは不思議な気分だ。
「そ、そういうわけじゃ」
かっと頬が熱くなる。お前みたいな地味なやつが、なんで? と聞かれた気がして。
「あの、妹に頼まれて」
とっさにうそをついてしまった。もうこの話は終わりにしたかったのに、三橋はまだ食いついてくる。
「このパウダーいいよなー! バズってるコスメって若干ステマ入ってない? って疑わしいやつもあるけど、これは本当にテカらないし崩れ方も綺麗だし……あ、同じブランドのクッションファンデもめっちゃいいから、妹さんにおすすめしておいて」
「お、おお……」
勢いに気圧されつつうなずいた。そして、少し意外に思う。
――三橋って、何かをこんなに熱く語るタイプだったんだな。
俺の驚きを察したのか、三橋は「ごめん、しゃべりすぎた」ときまり悪そうに笑った。
「俺、けっこうメイクするの好きだから。つい熱入っちゃった」
「へえ……そうなんだ」
なんというか、予想外の言葉だった。三橋は芸能人だし、メイクなど日常茶飯事だろうけど。なんていうか、自分でメイクをするというよりは、誰かにメイクで綺麗にしてもらう側の人間だろうと思っていたから。
「三橋のメイクって、専属の人がやるわけじゃないんだな」
「テレビとか雑誌の撮影の時は、プロの人がやってくれるよ。でも、そういうの見てるうちに自分でも興味出てきて、どんどんのめりこんだっていうか……。今じゃもう、立派なメイクオタクっていうの? 最近はセルフメイクで出させてもらえる番組も増えたんだ」
バケットハットの陰に隠れた目が、心なしか輝いて見える。オタク、という物言いは大げさではなく、本当にメイクが好きらしい。
「たとえば、さっき瀬田が持ってたこれは、メイクの仕上げにつけるものなんだけど」
と、三橋のすんなりした指が円形のケースをなでる。
「完璧にメイクできたと思っても、時間が経つと汗とか顔の油でどんどん崩れてきちゃうんだよね。それを防ぐのが、こういうパウダー」
「顔の油……皮脂、ってやつ?」
「そう! 顔のテカリってやっぱり気になるじゃん? 日焼け止めにこれはたくだけでも、かなり気分上がるし、おすすめ」
三橋はにっこり笑ってから、「やばい、つい語っちゃった」と照れくさそうにつぶやいた。無邪気というか、子どもっぽいというか。いっそ幼いと言ってもいいくらいの表情だった。
そんな表情はテレビでも大学でも見たことがなくて、俺はびっくりしたけれど。バラエティ番組なんかで大げさに笑っている三橋より、ずっと自然な感じがした。
メイクについて説明する三橋は、目がキラキラ生き生きとしていて。何より、とても楽しそうに見えたのだ。
だから俺は、三橋になら聞いてもいいと思ったんだ。俺が自信を持つために必要なものを。
「瀬田は前髪長めだし、おでこにパウダー仕込んでおいてもいいかも。でもパッと見た感じ、瀬田の肌めっちゃ綺麗だね。うらやましいわー、俺すぐテカるから」
「……あ、あのさ」
「ん?」
三橋が俺を見る。くっきりした二重の目に射貫かれるようでドキリとした。なんでこうも物怖じせず人を見られるんだろう。心臓に悪い。
「さっき言ってた、クッションファンデって……」
前髪に隠れた額が、どんどん熱くなる。ドキドキしながら、言葉を続けようとしたその時だった。
俺たちのそばを通り過ぎようとしていた女子高生二人組が、急に足を止めた。
「……え待って、みいくんじゃない!?」
「え、うそマジ?」
女子高生たちは、目をまん丸くして三橋を見ている。その声に、周囲の客も顔を上げた。
「うわ、まずいかも」
三橋はつぶやき、なぜか俺の手を取った。
「え、三橋?」
「逃げよ」
「……は、俺も?」
困惑したけれど、振りほどく暇もない。
三橋に手を引かれるまま、俺はバラエティショップの中を走った。
「いやあ、焦ったわ」
駅ビルの外に出て、大通りの枝道に入ったところで、ようやく三橋は足を止めた。
「一人二人にこっそり声かけられるなら、まだいいんだけど。ああやって大騒ぎになっちゃうと、事務所に怒られるんだよなー。プラべでは見つかるなって、めっちゃ言われてるし」
「で、でも、なんで、俺まで……」
ぜえぜえと荒い息を吐きながら、俺はやっとのことで尋ねる。
かなりの速さで走ったと言うのに、三橋は涼しい顔だ。五月の陽気の中でも、汗一つかいていない。
「え? だって瀬田、なんか言いかけてたじゃん。聞きたいことあんのかなーって」
「……それだけ?」
「それだけってことないだろ。そういうの無視して帰るって、普通に無理じゃん」
当然みたいな顔で、三橋は言う。俺はつい、まじまじとその顔を見つめてしまった。
顔がよくてちょっとチャラそうで、俺みたいなやつは眼中にない。そもそも生きる世界が違いすぎる――そういう三橋の第一印象が、少しずつ塗り替えられていくのがわかる。
なんていうか、普通にいいやつだ。
「あ、ありがと……実はさ……」
もごもごと礼を言ったその時だった。細い枝道の間を、急に強い風が吹き抜けた。
「うわっ、風やば」
飛びそうになったバケットハットを、三橋が手で押さえる。額を覆っていた俺の前髪も、ぶわりと舞い上がった。
――あ、やばい。
すぐに額に手を伸ばしたけれど。見開かれた三橋の目は、俺の額に釘づけになっている。
カッと一瞬で顔が熱くなる。ボン! と耳元で鼓動が爆発した。
――見られた。最悪だ。
足が勝手にあとずさりを始める。きびすを返すと、三橋の焦ったような声がした。
「え、おい瀬田?」
手を取られそうになったのを、地面にたたきつけるようにして振り払う。
「み、見んな!」
叫んで、ひとけのない枝道を脇目もふらずに走る。待って、と聞こえたような気もしたけれど、俺の足は止まらなかった。
いや、正確に言えばアイドル候補生? らしい。メジャーデビューはまだ、という話だ。けれど、事務所の力なのか定期的にテレビに出ているし、動画サイトの広告とかでもたまに見る。
俺が通う西北大学文学部映像表現コースは、俳優や脚本家を数多く輩出した、いわゆる「芸能の名門校」だ。だから、芸能人が入学すること自体は珍しくない。
それでも三橋が入学した一年前の入学式は、うわさを聞きつけた野次馬が押し寄せ、ちょっとした騒動になった。二年生になった今も、三橋が出席している日の教室には見物人がけっこう訪れる。俺たちクラスメイトは、それを避けて教室に入らなければならないから大変だった。
「あの、握手してもらってもいいですか!?」
「もちろん。嬉しいです、こんなところでファンの人に会えるなんて」
「あああ、ありがとうございますう~……!」
感極まった様子で握手を交わす店員を見て、俺は改めて三橋の知名度を再認識した。こんなに人気で、ビビるほど顔がいいのに、なぜメジャーデビューしてないんだろう。芸能界は謎だ。
「何かお探しのものがあれば、ご案内しますが」
「いえいえ、大丈夫です」
丁重に断られた店員は、露骨に残念そうな顔をする。しかし「お気遣いありがとうございます」と三橋が微笑むと、一瞬で笑顔を取り戻した。
「では、何かありましたらお申しつけください」
店員はそう言って、スキップでもしそうな足取りで去っていく。その姿が完全に見えなくなってから、三橋は俺に向き直った。
「で、瀬田は何買いに来たの」
また、自然にさらりと俺の名前を呼ぶ。俺は思わず、
「俺のこと、知ってたんだ」
と言ってしまった。
顔がいい。すごくキラキラしている。若干チャラそう。それが、一年生の頃から変わらない三橋の印象だ。
――つまり、俺と正反対の人間。
仕事が忙しいからか欠席の日も多いけど、出席時につるんでいる人間は三橋と同じような華やかな男子たちだ。正直、俺みたいな地味な人間のことなんて眼中にないというか、覚えていないと思っていた。
「そりゃクラスメイトだし。覚えてるって、普通」
三橋はおかしそうに笑った。屈託のない笑顔がまぶしくて、無駄に卑屈な思考を発揮した自分がバカみたいに思えてくる。しかし同じクラスとはいえ、話したこともないやつの名前まで覚えているなんて。
――顔がいいうえに記憶力もいいとか、どんだけハイスぺックなんだよ。
やっぱり芸能界の人間は違うなと、圧倒されるような気持ちになった時だった。
「それ、買う感じ?」
三橋に聞かれ、俺はナントカパウダーとやらを持ったままだと気づいた。
「いや、別に」
あわててケースを棚に戻す。蓋に貼られた「素肌に自信を!」という銀のラベルがキラキラ輝いた。
自信、という字にチクリと胸が痛む。空っぽになった右手で、額を覆う前髪をいじった。
ここに来たのは、まさしくその自信がほしかったからだ。けれどさっき、異国語としか思えない言葉のつらなりを店員から聞いたら、とたんに委縮してしまった。
――やっぱり俺には、メイクなんて無理だったんだ。
そんな俺の心の声が聞こえたはずもないのに、三橋が言った。
「メイク、興味あるの?」
顔を上げると、目が合った。テレビや広告でよく見る顔が、まっすぐに俺を見ているのは不思議な気分だ。
「そ、そういうわけじゃ」
かっと頬が熱くなる。お前みたいな地味なやつが、なんで? と聞かれた気がして。
「あの、妹に頼まれて」
とっさにうそをついてしまった。もうこの話は終わりにしたかったのに、三橋はまだ食いついてくる。
「このパウダーいいよなー! バズってるコスメって若干ステマ入ってない? って疑わしいやつもあるけど、これは本当にテカらないし崩れ方も綺麗だし……あ、同じブランドのクッションファンデもめっちゃいいから、妹さんにおすすめしておいて」
「お、おお……」
勢いに気圧されつつうなずいた。そして、少し意外に思う。
――三橋って、何かをこんなに熱く語るタイプだったんだな。
俺の驚きを察したのか、三橋は「ごめん、しゃべりすぎた」ときまり悪そうに笑った。
「俺、けっこうメイクするの好きだから。つい熱入っちゃった」
「へえ……そうなんだ」
なんというか、予想外の言葉だった。三橋は芸能人だし、メイクなど日常茶飯事だろうけど。なんていうか、自分でメイクをするというよりは、誰かにメイクで綺麗にしてもらう側の人間だろうと思っていたから。
「三橋のメイクって、専属の人がやるわけじゃないんだな」
「テレビとか雑誌の撮影の時は、プロの人がやってくれるよ。でも、そういうの見てるうちに自分でも興味出てきて、どんどんのめりこんだっていうか……。今じゃもう、立派なメイクオタクっていうの? 最近はセルフメイクで出させてもらえる番組も増えたんだ」
バケットハットの陰に隠れた目が、心なしか輝いて見える。オタク、という物言いは大げさではなく、本当にメイクが好きらしい。
「たとえば、さっき瀬田が持ってたこれは、メイクの仕上げにつけるものなんだけど」
と、三橋のすんなりした指が円形のケースをなでる。
「完璧にメイクできたと思っても、時間が経つと汗とか顔の油でどんどん崩れてきちゃうんだよね。それを防ぐのが、こういうパウダー」
「顔の油……皮脂、ってやつ?」
「そう! 顔のテカリってやっぱり気になるじゃん? 日焼け止めにこれはたくだけでも、かなり気分上がるし、おすすめ」
三橋はにっこり笑ってから、「やばい、つい語っちゃった」と照れくさそうにつぶやいた。無邪気というか、子どもっぽいというか。いっそ幼いと言ってもいいくらいの表情だった。
そんな表情はテレビでも大学でも見たことがなくて、俺はびっくりしたけれど。バラエティ番組なんかで大げさに笑っている三橋より、ずっと自然な感じがした。
メイクについて説明する三橋は、目がキラキラ生き生きとしていて。何より、とても楽しそうに見えたのだ。
だから俺は、三橋になら聞いてもいいと思ったんだ。俺が自信を持つために必要なものを。
「瀬田は前髪長めだし、おでこにパウダー仕込んでおいてもいいかも。でもパッと見た感じ、瀬田の肌めっちゃ綺麗だね。うらやましいわー、俺すぐテカるから」
「……あ、あのさ」
「ん?」
三橋が俺を見る。くっきりした二重の目に射貫かれるようでドキリとした。なんでこうも物怖じせず人を見られるんだろう。心臓に悪い。
「さっき言ってた、クッションファンデって……」
前髪に隠れた額が、どんどん熱くなる。ドキドキしながら、言葉を続けようとしたその時だった。
俺たちのそばを通り過ぎようとしていた女子高生二人組が、急に足を止めた。
「……え待って、みいくんじゃない!?」
「え、うそマジ?」
女子高生たちは、目をまん丸くして三橋を見ている。その声に、周囲の客も顔を上げた。
「うわ、まずいかも」
三橋はつぶやき、なぜか俺の手を取った。
「え、三橋?」
「逃げよ」
「……は、俺も?」
困惑したけれど、振りほどく暇もない。
三橋に手を引かれるまま、俺はバラエティショップの中を走った。
「いやあ、焦ったわ」
駅ビルの外に出て、大通りの枝道に入ったところで、ようやく三橋は足を止めた。
「一人二人にこっそり声かけられるなら、まだいいんだけど。ああやって大騒ぎになっちゃうと、事務所に怒られるんだよなー。プラべでは見つかるなって、めっちゃ言われてるし」
「で、でも、なんで、俺まで……」
ぜえぜえと荒い息を吐きながら、俺はやっとのことで尋ねる。
かなりの速さで走ったと言うのに、三橋は涼しい顔だ。五月の陽気の中でも、汗一つかいていない。
「え? だって瀬田、なんか言いかけてたじゃん。聞きたいことあんのかなーって」
「……それだけ?」
「それだけってことないだろ。そういうの無視して帰るって、普通に無理じゃん」
当然みたいな顔で、三橋は言う。俺はつい、まじまじとその顔を見つめてしまった。
顔がよくてちょっとチャラそうで、俺みたいなやつは眼中にない。そもそも生きる世界が違いすぎる――そういう三橋の第一印象が、少しずつ塗り替えられていくのがわかる。
なんていうか、普通にいいやつだ。
「あ、ありがと……実はさ……」
もごもごと礼を言ったその時だった。細い枝道の間を、急に強い風が吹き抜けた。
「うわっ、風やば」
飛びそうになったバケットハットを、三橋が手で押さえる。額を覆っていた俺の前髪も、ぶわりと舞い上がった。
――あ、やばい。
すぐに額に手を伸ばしたけれど。見開かれた三橋の目は、俺の額に釘づけになっている。
カッと一瞬で顔が熱くなる。ボン! と耳元で鼓動が爆発した。
――見られた。最悪だ。
足が勝手にあとずさりを始める。きびすを返すと、三橋の焦ったような声がした。
「え、おい瀬田?」
手を取られそうになったのを、地面にたたきつけるようにして振り払う。
「み、見んな!」
叫んで、ひとけのない枝道を脇目もふらずに走る。待って、と聞こえたような気もしたけれど、俺の足は止まらなかった。
