ネットニュースにまでなった炎上の終わりはあっけなかった。
俺の告発ポストは一晩のうちにものすごい勢いで拡散された(五十嵐いわく「万バズ」状態だったらしい)。そうして告発が拡散されるうちに、現場を目撃していた人たちが「確かにもう一人いた」と声を上げてくれたのだ。
〈この動画の女子の同期です。この人の言ってること正しいと思う。そもそも三橋暁斗が呼んでたの男の名前だったし。動画では音消されてるけど〉
〈私も見てました。確かにもう一人男性がいたし、みいくんは本当にたまたまこの場に居合わせたって感じに見えたよー少なくともこの女の子は無関係だと思う〉
「……こんなに目撃者いたのに、今まで誰も声上げなかったんだな」
それらのポストをながめながら、五十嵐が眉をひそめる。俺の「万バズ」から一夜明けた今日、俺たちは学食に集まって例のSNSをながめていた。
「そりゃそうだろー、誰だって炎上に巻き込まれたくはないだろうし。にしてもすごいな、動画の検証ポストまである。端っこにもう一人の影が映ってるとか、声が聞こえるとか……ここまで来ると刑事だよもう」
夏目が笑い、画面をスクロールする。俺はそんな二人を横目に、ネットニュースの記事を読んでいた。SNSはもう見ないと決めていた。返信や引用に反応しきれないし、心ない言葉もそれなりに寄せられているだろうと想像できたから。
【Love Sick三橋暁斗 炎上するも〈事実と異なる〉指摘ポストで事態が急変】
そんなタイトルを冠した記事には、俺のポストによって事実が明らかにされたこと、動画が投稿者の謝罪コメントとともにすでに削除済みであることが書かれていた。五十嵐は本当に、投稿者を説得してみせたらしい。……いや、脅しかもしれないけど、深く考えないことにした。
記事の終わりには、告発に対し決して好意的な反応ばかりでないことも書かれていた。
〈しかしながら、この告発の信ぴょう性を疑う声も少なくない。事務所側の人間が三橋暁斗と口裏を合わせ、「事実」を創作し、一般人を装ってポストを行った可能性もある。エイティーズ事務所は今回の騒動に反応を示していないが――〉
「はー、くだらないこと書いてんな」
俺の横から記事を覗きこんだ夏目が顔をしかめる。五十嵐は「そりゃそうだ」と、お返しとばかりに言って笑った。
「みんな見たいものだけ見て、信じたいものだけ信じるんだから。……でも、瀬田がポストしなかったらきっと誰一人声を上げなかった。だから、それが果たせただけで十分だろ。動画だって消してもらえたし」
「あー、まあお前がさんざん脅したから……それにしても瀬田、意外に熱いよなー。こういう騒動、くだらねーってツンと無視するかと思ったわ。暁斗のこと、好きなん?」
「えっ」
ド直球で聞かれて、動揺のあまりスマホを取り落としてしまった。それを合図にしたかのように、スリーブしていた画面がパッと輝く。メッセージアプリの通知が届いていた。
差出人の名前を見て、体が固まった。通知欄に浮かぶ【三橋暁斗】の名前が、まるで一等星のように輝いて見える。
――暁斗から、連絡。
「瀬田、大丈夫か……ってうわっ!」
ものすごい勢いでスマホを手に取った俺に、夏目が悲鳴を上げる。俺は「ごめん」と口の先で謝りながら、メッセージアプリを開いた。
このタイミングでの連絡が、一連の炎上と告発ポストに関するものじゃない、とは考えにくい。何を言われるんだろうと、不安な気持ちもある。
だけど正直、それ以上に、暁斗から連絡が来たという事実が嬉しかった。会わないでいよう、と決めていたはずなのに。その決意さえも、メッセージを前にすると吹き飛んでしまっている。
――会いたい。
バカみたいにまっすぐそう思った。恋をすると、人はこんなに単純になってしまうんだろうか。それとも俺だけなのか。
そんなことを考えつつ、メッセージを確認して……予想外の文面に、俺は思わず「ん?」とつぶやいた。
『急にごめん 授業とかバイトが終わったら、この住所まで来てくれる?』
文章の終わりには、地図アプリのリンクが貼られている。リンク先に飛んだ俺は凍りついた。
住所情報のトップに表示されている名前は「株式会社エイティーズ事務所」――まぎれもなく、暁斗の事務所だった。
都内一等地に堂々と立つエイティーズ事務所本社ビルの印象は、「ゴージャス」の一言に尽きた。
バイトを終えた俺が、ビクビクしながらエントランスをくぐったのが夜七時のことだ。たいていの職場は定時後で、多かれ少なかれくたびれた気配が漂う時間だと思う。それなのに、受付には疲れなど微塵も感じさせない笑顔のコンシェルジュが並び(全員すごい美女だった)、磨き上げられた床と窓ガラスは一点の曇りもなく照明を映していた。
受付を済ませて待つ間、なんか妙にBGMが重厚だな、と思ってあたりを見回せば、隅に置かれたグランドピアノでピアニストが演奏をしていて度肝を抜かれた。
――ああいう仕事って、給料高そうだな。
つい邪推した時、「ご案内します」と声をかけられた。コンシェルジュとは別の女性が、エレベーターで十階まで案内してくれる。自動扉が開いて目に入った光景は、エントランスとはうってかわって普通のオフィスだったから心底ホッとした。
けれどそれも、応接室に案内されるまでのことだった。
「瀬田夕也くんですね。三橋の友達の」
応接室のソファーに座っていた二人のうち、若い男性のほうが立ち上がって言った。てっきり暁斗もいるのかと思っていたけど見当たらない。
「そうです」
とりあえず答えた俺に、若い男性はうやうやしく名刺を差し出す。
「Love Sickのチーフマネージャーをしています、古橋と申します」
名刺を受け取った姿勢のまま固まった。ブワッと背中に鳥肌が立ち、冷たい汗がにじむ。
一般的な会社の組織図について俺は無知だけど、チーフというのが上の役職っぽいことはなんとなくわかる。そして、ソファーに座ったまま反応しないもう一人――五十代くらいで、高価そうなスーツに身を包んでいる男性は、古橋さんよりさらに上の役職だろう。
そんなえらい大人が二人揃って、俺になんの用かなんて……深く考えなくても、いい話じゃないことくらいわかる。
――あー、怒られるんだろうな……。
勧められるままソファーに座り、覚悟を決めたのだけど。古橋さんが放ったのは、予想外の言葉だった。
「本来なら三橋も同席すべきなんですが、仕事が押していまして……。代わりに、私とこちらの都築から、瀬田くんにお礼を申し上げます。ありがとうございました」
「へっ?」
まな板の上の鯉、といった気持ちで沙汰を待っていた俺は、素っ頓狂な声を上げてしまう。……今、お礼って言ったのか?
「今回の件は、我々もどう対応したものか悩みまして。プライベートを暴く動画とはいえ悪質な内容ではないし、動画のコメントも批判の域を出ず誹謗中傷には値しない。三橋本人は、女性をかばったわけではないと言っていましたが証拠なんてないわけですし。まあいずれ忘れられるだろうし、やましいところがないなら堂々としているように、と言うしかなくて……あの、大丈夫ですか?」
古橋さんに心配そうに尋ねられ、俺は自分がぽかんと口を開けていたことに気づいた。あわてて「す、すみません」と頭を下げる。
「てっきり怒られるのかと思ったので……その、勝手なことをしたので……」
「ま、確かに、いろいろと軽率ではあったな」
ずっと黙っていたスーツの男性が、初めて声を上げた。びっくりしてそちらを見ると、男性は「あ、名刺渡してなかったか」と、俺に名刺を差し出した。
紙とは思えないくらいなめらかな手触りの名刺だった。右上に会社のロゴマークがエンボス加工で印刷されている。高そうだな、と思いつつ文字に目を通した俺は、「ひょっぐ」と変な声を上げてしまった。
【株式会社エイティーズ事務所 代表取締役社長 都築悦也】
――大企業の社長、生で初めて見たな。
衝撃が行き過ぎてどうでもいい感慨を覚えた俺に、都築社長は笑った。昔は相当な美男子だったんだろうな、と思わせる笑顔だった。
「軽率だし、炎上を止めるためとはいえ、きみも暁斗のプライベートを明かしたことに違いはない。そこは大いに反省してほしいところだな。堅苦しくて申し訳ないが、その点について念書を書いてほしくてきみを呼び出したんだよ、今日は。いや、感謝はしてるけどね。それはそれ、ということで」
にこやかなまま、ズバッと言われて俺は言葉に詰まる。まっとうな指摘すぎて耳が痛い。
「おっしゃるとおり、本当に軽率だったと思います。申し訳ありませんでした」
頭を下げた俺に、都築社長は「素直だなあ」とまた笑った。
「軽率だけれど、きみが上げた声は正しかったのだと思う。だからその後、多くの人がきみに続いた。……私たち大人がさまざまなものに絡め取られて暁斗を守れないでいる間に、きみはただ純粋な『暁斗を助けたい』という気持ちで暁斗のために行動してくれた。タレントを預かる立場である以上、我々も見習わないといけないなと思ったよ」
そこで都築社長はふと真顔になって、俺の顔を覗きこむようにした。音がしそうなほど強く目が合って、そのまま全然逸らされない。たじろぐ俺に、都築社長は言った。
「きみ、なかなかいい顔してるな。芸能界に興味ないか?」
「は?」
いい顔ってどういう意味だ。そう思う間に、社長が身を乗り出して手を握ってきたからびっくりした。
「暁斗と同い年なら今からアイドルは厳しいか……いや、俳優部門ならいけるな……よしきみ、あとでレッスン見学においで」
「社長、瀬田くん本人の意思を無視しちゃダメですよ」
目を輝かせる社長に、横から古橋さんが口をはさんだ時だった。激しいノック音とともに、応接室のドアが破れそうな勢いで開かれる。
風のように入ってきた背の高い姿に、俺の口から「あ」と声が漏れた。
「社長、あの、夕也はそういうの大丈夫なんで!」
「お、暁斗。遅かったな」
「すみません、撮影押してました」
ぜえぜえという呼吸の合間に暁斗は答え、膝に手をついて息を整えた。暴風に見舞われでもしたみたいに髪はぐしゃぐしゃで、マスク越しでも顔が赤いのがわかる。ここまで走ってきたのかもしれない。
――ああ、暁斗だ。
その感慨は遅れてやってきて、俺の胸をいっぱいにする。テレビや町中の広告で、何度もその顔を見てきたけれど。やっぱり本物の暁斗でなければ満たされない、そんな不思議な回路が、俺の中にはできてしまったようだった。
「三橋、なんだその格好。社長の前で失礼だぞ」
「すみません、あとで説教いくらでも聞きますんで。念書ってどこですか」
「ん、これ」
古橋さんから紙を受け取るやいなや、暁斗は俺を見た。ドキッとする間もなく、ずんずん近づいてきた暁斗に手を取られる。
「あ、暁斗?」
「夕也、こっち来てこれ書いて。……会議室借ります」
「はいはい、次のスケジュールまでには戻れよ」
わけもわからず手を引かれるまま、俺は応接室をあとにする。ドアが閉まる直前、「若いっていいね」と社長が愉快そうにつぶやく声が聞こえた。
俺の告発ポストは一晩のうちにものすごい勢いで拡散された(五十嵐いわく「万バズ」状態だったらしい)。そうして告発が拡散されるうちに、現場を目撃していた人たちが「確かにもう一人いた」と声を上げてくれたのだ。
〈この動画の女子の同期です。この人の言ってること正しいと思う。そもそも三橋暁斗が呼んでたの男の名前だったし。動画では音消されてるけど〉
〈私も見てました。確かにもう一人男性がいたし、みいくんは本当にたまたまこの場に居合わせたって感じに見えたよー少なくともこの女の子は無関係だと思う〉
「……こんなに目撃者いたのに、今まで誰も声上げなかったんだな」
それらのポストをながめながら、五十嵐が眉をひそめる。俺の「万バズ」から一夜明けた今日、俺たちは学食に集まって例のSNSをながめていた。
「そりゃそうだろー、誰だって炎上に巻き込まれたくはないだろうし。にしてもすごいな、動画の検証ポストまである。端っこにもう一人の影が映ってるとか、声が聞こえるとか……ここまで来ると刑事だよもう」
夏目が笑い、画面をスクロールする。俺はそんな二人を横目に、ネットニュースの記事を読んでいた。SNSはもう見ないと決めていた。返信や引用に反応しきれないし、心ない言葉もそれなりに寄せられているだろうと想像できたから。
【Love Sick三橋暁斗 炎上するも〈事実と異なる〉指摘ポストで事態が急変】
そんなタイトルを冠した記事には、俺のポストによって事実が明らかにされたこと、動画が投稿者の謝罪コメントとともにすでに削除済みであることが書かれていた。五十嵐は本当に、投稿者を説得してみせたらしい。……いや、脅しかもしれないけど、深く考えないことにした。
記事の終わりには、告発に対し決して好意的な反応ばかりでないことも書かれていた。
〈しかしながら、この告発の信ぴょう性を疑う声も少なくない。事務所側の人間が三橋暁斗と口裏を合わせ、「事実」を創作し、一般人を装ってポストを行った可能性もある。エイティーズ事務所は今回の騒動に反応を示していないが――〉
「はー、くだらないこと書いてんな」
俺の横から記事を覗きこんだ夏目が顔をしかめる。五十嵐は「そりゃそうだ」と、お返しとばかりに言って笑った。
「みんな見たいものだけ見て、信じたいものだけ信じるんだから。……でも、瀬田がポストしなかったらきっと誰一人声を上げなかった。だから、それが果たせただけで十分だろ。動画だって消してもらえたし」
「あー、まあお前がさんざん脅したから……それにしても瀬田、意外に熱いよなー。こういう騒動、くだらねーってツンと無視するかと思ったわ。暁斗のこと、好きなん?」
「えっ」
ド直球で聞かれて、動揺のあまりスマホを取り落としてしまった。それを合図にしたかのように、スリーブしていた画面がパッと輝く。メッセージアプリの通知が届いていた。
差出人の名前を見て、体が固まった。通知欄に浮かぶ【三橋暁斗】の名前が、まるで一等星のように輝いて見える。
――暁斗から、連絡。
「瀬田、大丈夫か……ってうわっ!」
ものすごい勢いでスマホを手に取った俺に、夏目が悲鳴を上げる。俺は「ごめん」と口の先で謝りながら、メッセージアプリを開いた。
このタイミングでの連絡が、一連の炎上と告発ポストに関するものじゃない、とは考えにくい。何を言われるんだろうと、不安な気持ちもある。
だけど正直、それ以上に、暁斗から連絡が来たという事実が嬉しかった。会わないでいよう、と決めていたはずなのに。その決意さえも、メッセージを前にすると吹き飛んでしまっている。
――会いたい。
バカみたいにまっすぐそう思った。恋をすると、人はこんなに単純になってしまうんだろうか。それとも俺だけなのか。
そんなことを考えつつ、メッセージを確認して……予想外の文面に、俺は思わず「ん?」とつぶやいた。
『急にごめん 授業とかバイトが終わったら、この住所まで来てくれる?』
文章の終わりには、地図アプリのリンクが貼られている。リンク先に飛んだ俺は凍りついた。
住所情報のトップに表示されている名前は「株式会社エイティーズ事務所」――まぎれもなく、暁斗の事務所だった。
都内一等地に堂々と立つエイティーズ事務所本社ビルの印象は、「ゴージャス」の一言に尽きた。
バイトを終えた俺が、ビクビクしながらエントランスをくぐったのが夜七時のことだ。たいていの職場は定時後で、多かれ少なかれくたびれた気配が漂う時間だと思う。それなのに、受付には疲れなど微塵も感じさせない笑顔のコンシェルジュが並び(全員すごい美女だった)、磨き上げられた床と窓ガラスは一点の曇りもなく照明を映していた。
受付を済ませて待つ間、なんか妙にBGMが重厚だな、と思ってあたりを見回せば、隅に置かれたグランドピアノでピアニストが演奏をしていて度肝を抜かれた。
――ああいう仕事って、給料高そうだな。
つい邪推した時、「ご案内します」と声をかけられた。コンシェルジュとは別の女性が、エレベーターで十階まで案内してくれる。自動扉が開いて目に入った光景は、エントランスとはうってかわって普通のオフィスだったから心底ホッとした。
けれどそれも、応接室に案内されるまでのことだった。
「瀬田夕也くんですね。三橋の友達の」
応接室のソファーに座っていた二人のうち、若い男性のほうが立ち上がって言った。てっきり暁斗もいるのかと思っていたけど見当たらない。
「そうです」
とりあえず答えた俺に、若い男性はうやうやしく名刺を差し出す。
「Love Sickのチーフマネージャーをしています、古橋と申します」
名刺を受け取った姿勢のまま固まった。ブワッと背中に鳥肌が立ち、冷たい汗がにじむ。
一般的な会社の組織図について俺は無知だけど、チーフというのが上の役職っぽいことはなんとなくわかる。そして、ソファーに座ったまま反応しないもう一人――五十代くらいで、高価そうなスーツに身を包んでいる男性は、古橋さんよりさらに上の役職だろう。
そんなえらい大人が二人揃って、俺になんの用かなんて……深く考えなくても、いい話じゃないことくらいわかる。
――あー、怒られるんだろうな……。
勧められるままソファーに座り、覚悟を決めたのだけど。古橋さんが放ったのは、予想外の言葉だった。
「本来なら三橋も同席すべきなんですが、仕事が押していまして……。代わりに、私とこちらの都築から、瀬田くんにお礼を申し上げます。ありがとうございました」
「へっ?」
まな板の上の鯉、といった気持ちで沙汰を待っていた俺は、素っ頓狂な声を上げてしまう。……今、お礼って言ったのか?
「今回の件は、我々もどう対応したものか悩みまして。プライベートを暴く動画とはいえ悪質な内容ではないし、動画のコメントも批判の域を出ず誹謗中傷には値しない。三橋本人は、女性をかばったわけではないと言っていましたが証拠なんてないわけですし。まあいずれ忘れられるだろうし、やましいところがないなら堂々としているように、と言うしかなくて……あの、大丈夫ですか?」
古橋さんに心配そうに尋ねられ、俺は自分がぽかんと口を開けていたことに気づいた。あわてて「す、すみません」と頭を下げる。
「てっきり怒られるのかと思ったので……その、勝手なことをしたので……」
「ま、確かに、いろいろと軽率ではあったな」
ずっと黙っていたスーツの男性が、初めて声を上げた。びっくりしてそちらを見ると、男性は「あ、名刺渡してなかったか」と、俺に名刺を差し出した。
紙とは思えないくらいなめらかな手触りの名刺だった。右上に会社のロゴマークがエンボス加工で印刷されている。高そうだな、と思いつつ文字に目を通した俺は、「ひょっぐ」と変な声を上げてしまった。
【株式会社エイティーズ事務所 代表取締役社長 都築悦也】
――大企業の社長、生で初めて見たな。
衝撃が行き過ぎてどうでもいい感慨を覚えた俺に、都築社長は笑った。昔は相当な美男子だったんだろうな、と思わせる笑顔だった。
「軽率だし、炎上を止めるためとはいえ、きみも暁斗のプライベートを明かしたことに違いはない。そこは大いに反省してほしいところだな。堅苦しくて申し訳ないが、その点について念書を書いてほしくてきみを呼び出したんだよ、今日は。いや、感謝はしてるけどね。それはそれ、ということで」
にこやかなまま、ズバッと言われて俺は言葉に詰まる。まっとうな指摘すぎて耳が痛い。
「おっしゃるとおり、本当に軽率だったと思います。申し訳ありませんでした」
頭を下げた俺に、都築社長は「素直だなあ」とまた笑った。
「軽率だけれど、きみが上げた声は正しかったのだと思う。だからその後、多くの人がきみに続いた。……私たち大人がさまざまなものに絡め取られて暁斗を守れないでいる間に、きみはただ純粋な『暁斗を助けたい』という気持ちで暁斗のために行動してくれた。タレントを預かる立場である以上、我々も見習わないといけないなと思ったよ」
そこで都築社長はふと真顔になって、俺の顔を覗きこむようにした。音がしそうなほど強く目が合って、そのまま全然逸らされない。たじろぐ俺に、都築社長は言った。
「きみ、なかなかいい顔してるな。芸能界に興味ないか?」
「は?」
いい顔ってどういう意味だ。そう思う間に、社長が身を乗り出して手を握ってきたからびっくりした。
「暁斗と同い年なら今からアイドルは厳しいか……いや、俳優部門ならいけるな……よしきみ、あとでレッスン見学においで」
「社長、瀬田くん本人の意思を無視しちゃダメですよ」
目を輝かせる社長に、横から古橋さんが口をはさんだ時だった。激しいノック音とともに、応接室のドアが破れそうな勢いで開かれる。
風のように入ってきた背の高い姿に、俺の口から「あ」と声が漏れた。
「社長、あの、夕也はそういうの大丈夫なんで!」
「お、暁斗。遅かったな」
「すみません、撮影押してました」
ぜえぜえという呼吸の合間に暁斗は答え、膝に手をついて息を整えた。暴風に見舞われでもしたみたいに髪はぐしゃぐしゃで、マスク越しでも顔が赤いのがわかる。ここまで走ってきたのかもしれない。
――ああ、暁斗だ。
その感慨は遅れてやってきて、俺の胸をいっぱいにする。テレビや町中の広告で、何度もその顔を見てきたけれど。やっぱり本物の暁斗でなければ満たされない、そんな不思議な回路が、俺の中にはできてしまったようだった。
「三橋、なんだその格好。社長の前で失礼だぞ」
「すみません、あとで説教いくらでも聞きますんで。念書ってどこですか」
「ん、これ」
古橋さんから紙を受け取るやいなや、暁斗は俺を見た。ドキッとする間もなく、ずんずん近づいてきた暁斗に手を取られる。
「あ、暁斗?」
「夕也、こっち来てこれ書いて。……会議室借ります」
「はいはい、次のスケジュールまでには戻れよ」
わけもわからず手を引かれるまま、俺は応接室をあとにする。ドアが閉まる直前、「若いっていいね」と社長が愉快そうにつぶやく声が聞こえた。
