研究室を離れたあと、とりあえず必修教室の校舎まで戻る。それでも今さら出席する気にはなれなかった。一階の休憩スペースに座り、例の動画を音声込みで改めて見る。
暁斗の声は終始よく聞こえたけれど、「夕也」と俺の名前を呼んだ部分だけは音声加工がされていて、何を言ったのかわからないようになっている。プライバシーに配慮したというよりは、ここで男の名前が聞こえては投稿者の望むシチュエーションにならないから、ということだろう。
――なんでここまでするんだろう。
怒りを通り越して感心すら覚えそうになる。暁斗に恨みがあるのか、単に目立ちたいのか。いずれにしても、事実を捻じ曲げて人を貶めようとするなんて最低だ。
それでも、多くの人は投稿者が作り上げたストーリーを信じている。その証拠に、ポストの返信欄には呪詛の言葉が並んでいた。
〈彼女か、そうじゃなかったら好きな女をかばってるようにしか見えない〉
〈みいくん彼女いたってこと? プロ意識かけらもないじゃん泣けるわ〉
〈普通の男子だったら最高な場面だけど、アイドルがプラべで言ってるのはマジ最悪〉
〈三橋……こういうの絶対しないイメージだったのに〉
そのうちの一つが目に入ったとたん、指先からスッと血が引くのを感じた。
〈化粧してようとしてまいと、とか言ってるけど、もしかしてコスメオタなのもこの女の影響なん?〉
頭の中が少しずつ冷えていく。けれどその底では血が沸騰しているようだった。怒りって行きすぎると冷たくなるのかな、なんて思う。
――どいつもこいつも、勝手なことばっかり言って。
暁斗がどれだけメイクを好きなのか、どれだけ化粧品の探求に情熱を注いでいるのか、何も知らないくせに。
そのありあまるメイク技術と情熱で、暁斗は俺の傷跡を隠してくれた。俺に、新しい世界を見せてくれた。
それでいて……傷があってもなくても、俺は俺だって言ってくれた。
暁斗はそれを「夕也の努力をないがしろにするようなことを言った」と謝ったけれど。俺は、そんなふうには思わなかった。
――ただ嬉しかった。俺は、俺のままでいていいんだって、初めて思えたから。
「瀬田、こんなとこで何してんだ」
静かな声に顔を上げる。五十嵐がそばに立って俺を見下ろしていた。いつのまにか授業が終わったらしく、移動する学生の声で周囲はざわついている。
「あんまり見るなよ、それ」
俺のスマホを指して、五十嵐は整った顔を盛大にしかめる。五十嵐でもこんな顔するんだなと思いつつ、俺は口を開いた。
「あのさ……俺、全部言う。炎上に首突っ込むなんて、ちょっと怖いけど」
「……は? 言うって?」
「この時、本当は何があったのか言う。SNSやってないから、まずアカウント作らないとだけど」
「どういう意味だよ。本当は、って。なんか知ってんのか瀬田」
五十嵐の顔がこわばる。俺は覚悟を決めて、動画の真相を洗いざらい話した。……それはつまり、的場との関係や俺の傷跡についても話す、ということだったけど。驚くほどスムーズに口が動いたし、胸も痛まなかった。
言葉の意味を反芻するような、長い沈黙のあと。五十嵐は「ば、バカじゃねえの!?」と声を張り上げた。
「本当のこと言ったところで、誰も信じないって。正直、瀬田が映ってない以上俺だって信じられないし。だいたいこんな炎上、放っておけばそのうちみんな飽きて忘れる……」
「それでも、俺は!」
負けじと声を上げた俺に、五十嵐は目を見開いて口を閉じる。
「俺は……自分のせいで、暁斗がこんなふうに言われるなんていやだ。なんの意味がないかもしれなくても、できることはやりたい。だって暁斗は」
一息にしゃべると、語尾がみっともなく震えた。
――暁斗は、俺にたくさんものをくれたのに。
これまで暁斗にもらった言葉や笑顔が、ページをめくるみたいにして次々と思い出される。ああ、やっぱり好きだなって思う。どうしようもなく、暁斗が好きだ。
――この思いは伝えられない。
――それでも俺は、暁斗の助けになりたい。
五十嵐はしばらくの間、黙って俺の顔を見ていたけれど。静寂に耳が痛くなってきた頃、ふとやわらかく目を細めて言った。
「瀬田は、暁斗が好きなんだな」
ひたと俺を見据える目は、すべてを見透かしているように静かだ。
「……うん」
うなずくと、ちょっと泣きそうになった。そんな俺に、五十嵐は笑った。吹っ切れたように凛とした笑顔だった。
「いいよ、俺も協力する。幼なじみのピンチだし」
「え」
協力、とはどういうことだ。首をひねる俺の前で、五十嵐はフーッと息を吐く。試合前に精神統一を図るボクサーみたいだった。
「やるなら、徹底的にやらないとな」
「瀬田がどれだけ事実を訴えたところで、どうせみんな自分が信じたいものしか信じないっていうのは忘れんな。だから、本当に徒労に終わるかもしれないけど……それはもう、ネットの宿命だから仕方ないって割り切ってほしい」
そう前置きをしてから、五十嵐はSNSの指南をしてくれた。アカウントの取得から始まり、ポストのやり方や検索に引っかかりやすくする方法まで教えてくれる。
「ポストの下書きができたら見せて。書き方一つでだいぶ印象変わるから」
「……なんでこんなに詳しいんだ」
「SEOマーケの授業取ってたからかな。でも、こんなの大学生なら普通にできる範囲のことだよ。ていうか、瀬田が疎すぎる。この大SNS時代に、よく何にも触れずに生きて来られたな」
あきれたように言う間も、五十嵐はスマホをいじる手を止めない。わき目もふらずに高速フリック入力とスワイプを繰り返しているので、さすがに気になってきた。
「何してんの、それ」
「ん? 動画の投稿者の特定。リアルアカウント見つけたからポストさかのぼったら、いろいろわかってきた。文学部四年で、女で、火曜の四、五限がゼミの時間。これでだいぶ絞り込めたな」
サラリと言われ、絶句する。……そんなことまでわかるもんなのか、SNSって。
「五十嵐、ネットストーカーの経験とかあったりする……?」
思わず尋ねると、五十嵐は「失礼だな」と心外そうに眉を寄せた。
「公開アカウントで個人情報ばらまいてるのは向こうだからな。危機感薄いっていうか……お、あったあった。インスタのリア垢。……チッ、こっちは非公開アカウントか……あ、夏目と相互フォローだな」
――いや、だから怖いって。
五十嵐だけは敵に回すまいと誓い、ポストする文章を考える。あれこれ悩むうちに、「おーい」と聞き慣れた声がした……と思うまもなく、向かいの椅子に夏目がひょいと腰かける。
「何ー、航大? 俺のインスタのフォロワーに用?」
「お前の無駄に多いフォロワーの中に、こいついるだろ。DMで呼び出せないか?」
「たぶんいけるけど、なんで? てかこの人、甲斐田ゼミのゼミ長だぞ確か」
「マジか。強請りのネタが増えたな」
不敵に笑って、五十嵐は「瀬田」と俺を呼んだ。「はいっ」と思わず背筋を伸ばした俺に、「いや、なんで敬語」と夏目が突っ込む。
「俺は、動画を消してもらえるように頼んでみる。正直それだけでも、炎上の火消しには効果的だと思うけど……瀬田はやっぱり、本当のことを発信したい?」
「え? どういう状況、これ」
夏目が困惑した顔で俺と五十嵐を見比べる。俺は迷うことなくうなずいた。
「……暁斗が誤解されたままなのはいやだから」
「誰も、瀬田の言うことを信じなかったとしても?」
「だからって、見て見ぬふりなんて無理だ」
暁斗の声が、耳の奥でよみがえる。「まっすぐで正直で、見て見ぬふりをしない」――それが、俺のいいところだと暁斗は言ってくれた。
だったら俺は、そういう自分であり続けたい。
五十嵐はしばらく何か考えているようだったけれど、やがて「わかった」と重々しく言った。
「じゃ、動画を消してもらうのは告発のあとのほうが効果的かもな」
「さっきからなんなの、二人とも。俺も混ぜてくれー。ていうか、すっげー悪い顔してるぞ航大」
「あとで話すから。お前の無駄に多いトゥイッターのフォロワーにも、役立ってもらう時が来るだろうし」
「なんなんだよー。てかさっきから無駄無駄言って失礼だぞ」
ぼやく夏目の声を聞きながら、俺は引き続きポストする文章を考えた。人生で一番かもというくらい悩んで、文章をスマホに打ち込んでは消す、という作業を繰り返す。
なんとか下書きが出来上がった頃には、窓の外に見える空はすっかり夕焼けに染まっていた。
その日の夜九時――五十嵐いわく、「社会人も学生も等しくボーッとSNSを見がちな時間」。俺ははやる心臓を抑えつつ、自室のベッドでSNSのアプリを開いた。
作ったばかりのアカウントIDとパスワードを打ち込み、ログインする。まずは例の動画のポストを引用して、そのあと自分のアカウントのポストを投稿した。
〈この現場に居合わせた当事者です。動画の内容は実際に起こったことですが、事実と異なる解釈が拡散されているようで、非常に困惑しています〉
それを皮切りに、告発ポストを連投する。
的場が竹本さんに絡んでいるのを俺が止めたこと。そうして今度は俺が絡まれていたのを、暁斗が助けてくれたこと。それなのに、投稿された動画からは俺の存在が綺麗に消されていること――五十嵐に添削してもらった、ていねいかつ冷静な文章でもって、俺はそれらの事実を全世界に発信した。
〈僕の額には、ケガ由来の大きな傷跡があって、普段はメイクで隠しています。それで「傷が隠せたからって調子に乗るな、正義の味方ぶるな」と言われていた僕を、三橋くんがかばってくれました。その際の発言が、動画で撮影されていたものです〉
投稿するたびに、通知を示すベルのマークの横に数字が溜まっていく。五十嵐と夏目がポストを引用して、それを二人のフォロワーがさらに引用して……というふうに、今まさに俺の発言が拡散されているのだとわかった。
――怖い。
反射的に思った。こうやって俺の言葉がどこまでも広がっていくのかと思うと、文字を打つ指がかすかに震える。
罵倒が飛んでくるかもしれない。……いや、それだけでは済まなかったら。竹本さんは身元が特定されたと言っていた。同じ目に遭ったら、と考えただけで心臓がバクバクした。
――だけど、暁斗はもっとひどい言葉を投げつけられてる。
――あることないこと書かれて、逃げ場もなくて。
深く息を吸って、吐く。怖気づいている場合じゃない、と思うと、少しずつ鼓動が落ち着いてきた。
指の震えが収まるのを待って、俺は下書きになかった文章を打ち始めた。ロクに推敲もせずに、【ポストする】をタップする。それはまたたくまにタイムラインの最上部に表示されて、全世界に発信される。
感情をできる限り排した文章にして、公平な視点を持つ第三者の姿勢を崩さないことが肝要だと、五十嵐は言っていた。それもSEOマーケとやらで学んだことなのかもしれない。
だけど俺は、むき出しの俺の言葉も伝えたかった。……五十嵐の言うことは正しいのだと思う。さまざまな感情を燃料にネットの炎上は起こる。火を消す側の人間は、誰よりも冷静であるべきだろう。
それでも、まっすぐで飾らない言葉でなければ、伝わらないものもあるような気がした。
――俺の好きな人が、どれほどいいやつなのか、とか。
心の内でつぶやいて、通知を切ってからアプリを閉じる。動画はこっちでなんとかする、と五十嵐は言っていた。だったらあとは、信じて待つだけだ。
なんだか疲れてしまって、ベッドに寝転び目を閉じる。少し休むだけのつもりが、そのまますぐに眠ってしまった。
――暁斗は、ちゃんと眠れてるかな。
意識を手放す直前に、そんなことを思った気がする。
暁斗の声は終始よく聞こえたけれど、「夕也」と俺の名前を呼んだ部分だけは音声加工がされていて、何を言ったのかわからないようになっている。プライバシーに配慮したというよりは、ここで男の名前が聞こえては投稿者の望むシチュエーションにならないから、ということだろう。
――なんでここまでするんだろう。
怒りを通り越して感心すら覚えそうになる。暁斗に恨みがあるのか、単に目立ちたいのか。いずれにしても、事実を捻じ曲げて人を貶めようとするなんて最低だ。
それでも、多くの人は投稿者が作り上げたストーリーを信じている。その証拠に、ポストの返信欄には呪詛の言葉が並んでいた。
〈彼女か、そうじゃなかったら好きな女をかばってるようにしか見えない〉
〈みいくん彼女いたってこと? プロ意識かけらもないじゃん泣けるわ〉
〈普通の男子だったら最高な場面だけど、アイドルがプラべで言ってるのはマジ最悪〉
〈三橋……こういうの絶対しないイメージだったのに〉
そのうちの一つが目に入ったとたん、指先からスッと血が引くのを感じた。
〈化粧してようとしてまいと、とか言ってるけど、もしかしてコスメオタなのもこの女の影響なん?〉
頭の中が少しずつ冷えていく。けれどその底では血が沸騰しているようだった。怒りって行きすぎると冷たくなるのかな、なんて思う。
――どいつもこいつも、勝手なことばっかり言って。
暁斗がどれだけメイクを好きなのか、どれだけ化粧品の探求に情熱を注いでいるのか、何も知らないくせに。
そのありあまるメイク技術と情熱で、暁斗は俺の傷跡を隠してくれた。俺に、新しい世界を見せてくれた。
それでいて……傷があってもなくても、俺は俺だって言ってくれた。
暁斗はそれを「夕也の努力をないがしろにするようなことを言った」と謝ったけれど。俺は、そんなふうには思わなかった。
――ただ嬉しかった。俺は、俺のままでいていいんだって、初めて思えたから。
「瀬田、こんなとこで何してんだ」
静かな声に顔を上げる。五十嵐がそばに立って俺を見下ろしていた。いつのまにか授業が終わったらしく、移動する学生の声で周囲はざわついている。
「あんまり見るなよ、それ」
俺のスマホを指して、五十嵐は整った顔を盛大にしかめる。五十嵐でもこんな顔するんだなと思いつつ、俺は口を開いた。
「あのさ……俺、全部言う。炎上に首突っ込むなんて、ちょっと怖いけど」
「……は? 言うって?」
「この時、本当は何があったのか言う。SNSやってないから、まずアカウント作らないとだけど」
「どういう意味だよ。本当は、って。なんか知ってんのか瀬田」
五十嵐の顔がこわばる。俺は覚悟を決めて、動画の真相を洗いざらい話した。……それはつまり、的場との関係や俺の傷跡についても話す、ということだったけど。驚くほどスムーズに口が動いたし、胸も痛まなかった。
言葉の意味を反芻するような、長い沈黙のあと。五十嵐は「ば、バカじゃねえの!?」と声を張り上げた。
「本当のこと言ったところで、誰も信じないって。正直、瀬田が映ってない以上俺だって信じられないし。だいたいこんな炎上、放っておけばそのうちみんな飽きて忘れる……」
「それでも、俺は!」
負けじと声を上げた俺に、五十嵐は目を見開いて口を閉じる。
「俺は……自分のせいで、暁斗がこんなふうに言われるなんていやだ。なんの意味がないかもしれなくても、できることはやりたい。だって暁斗は」
一息にしゃべると、語尾がみっともなく震えた。
――暁斗は、俺にたくさんものをくれたのに。
これまで暁斗にもらった言葉や笑顔が、ページをめくるみたいにして次々と思い出される。ああ、やっぱり好きだなって思う。どうしようもなく、暁斗が好きだ。
――この思いは伝えられない。
――それでも俺は、暁斗の助けになりたい。
五十嵐はしばらくの間、黙って俺の顔を見ていたけれど。静寂に耳が痛くなってきた頃、ふとやわらかく目を細めて言った。
「瀬田は、暁斗が好きなんだな」
ひたと俺を見据える目は、すべてを見透かしているように静かだ。
「……うん」
うなずくと、ちょっと泣きそうになった。そんな俺に、五十嵐は笑った。吹っ切れたように凛とした笑顔だった。
「いいよ、俺も協力する。幼なじみのピンチだし」
「え」
協力、とはどういうことだ。首をひねる俺の前で、五十嵐はフーッと息を吐く。試合前に精神統一を図るボクサーみたいだった。
「やるなら、徹底的にやらないとな」
「瀬田がどれだけ事実を訴えたところで、どうせみんな自分が信じたいものしか信じないっていうのは忘れんな。だから、本当に徒労に終わるかもしれないけど……それはもう、ネットの宿命だから仕方ないって割り切ってほしい」
そう前置きをしてから、五十嵐はSNSの指南をしてくれた。アカウントの取得から始まり、ポストのやり方や検索に引っかかりやすくする方法まで教えてくれる。
「ポストの下書きができたら見せて。書き方一つでだいぶ印象変わるから」
「……なんでこんなに詳しいんだ」
「SEOマーケの授業取ってたからかな。でも、こんなの大学生なら普通にできる範囲のことだよ。ていうか、瀬田が疎すぎる。この大SNS時代に、よく何にも触れずに生きて来られたな」
あきれたように言う間も、五十嵐はスマホをいじる手を止めない。わき目もふらずに高速フリック入力とスワイプを繰り返しているので、さすがに気になってきた。
「何してんの、それ」
「ん? 動画の投稿者の特定。リアルアカウント見つけたからポストさかのぼったら、いろいろわかってきた。文学部四年で、女で、火曜の四、五限がゼミの時間。これでだいぶ絞り込めたな」
サラリと言われ、絶句する。……そんなことまでわかるもんなのか、SNSって。
「五十嵐、ネットストーカーの経験とかあったりする……?」
思わず尋ねると、五十嵐は「失礼だな」と心外そうに眉を寄せた。
「公開アカウントで個人情報ばらまいてるのは向こうだからな。危機感薄いっていうか……お、あったあった。インスタのリア垢。……チッ、こっちは非公開アカウントか……あ、夏目と相互フォローだな」
――いや、だから怖いって。
五十嵐だけは敵に回すまいと誓い、ポストする文章を考える。あれこれ悩むうちに、「おーい」と聞き慣れた声がした……と思うまもなく、向かいの椅子に夏目がひょいと腰かける。
「何ー、航大? 俺のインスタのフォロワーに用?」
「お前の無駄に多いフォロワーの中に、こいついるだろ。DMで呼び出せないか?」
「たぶんいけるけど、なんで? てかこの人、甲斐田ゼミのゼミ長だぞ確か」
「マジか。強請りのネタが増えたな」
不敵に笑って、五十嵐は「瀬田」と俺を呼んだ。「はいっ」と思わず背筋を伸ばした俺に、「いや、なんで敬語」と夏目が突っ込む。
「俺は、動画を消してもらえるように頼んでみる。正直それだけでも、炎上の火消しには効果的だと思うけど……瀬田はやっぱり、本当のことを発信したい?」
「え? どういう状況、これ」
夏目が困惑した顔で俺と五十嵐を見比べる。俺は迷うことなくうなずいた。
「……暁斗が誤解されたままなのはいやだから」
「誰も、瀬田の言うことを信じなかったとしても?」
「だからって、見て見ぬふりなんて無理だ」
暁斗の声が、耳の奥でよみがえる。「まっすぐで正直で、見て見ぬふりをしない」――それが、俺のいいところだと暁斗は言ってくれた。
だったら俺は、そういう自分であり続けたい。
五十嵐はしばらく何か考えているようだったけれど、やがて「わかった」と重々しく言った。
「じゃ、動画を消してもらうのは告発のあとのほうが効果的かもな」
「さっきからなんなの、二人とも。俺も混ぜてくれー。ていうか、すっげー悪い顔してるぞ航大」
「あとで話すから。お前の無駄に多いトゥイッターのフォロワーにも、役立ってもらう時が来るだろうし」
「なんなんだよー。てかさっきから無駄無駄言って失礼だぞ」
ぼやく夏目の声を聞きながら、俺は引き続きポストする文章を考えた。人生で一番かもというくらい悩んで、文章をスマホに打ち込んでは消す、という作業を繰り返す。
なんとか下書きが出来上がった頃には、窓の外に見える空はすっかり夕焼けに染まっていた。
その日の夜九時――五十嵐いわく、「社会人も学生も等しくボーッとSNSを見がちな時間」。俺ははやる心臓を抑えつつ、自室のベッドでSNSのアプリを開いた。
作ったばかりのアカウントIDとパスワードを打ち込み、ログインする。まずは例の動画のポストを引用して、そのあと自分のアカウントのポストを投稿した。
〈この現場に居合わせた当事者です。動画の内容は実際に起こったことですが、事実と異なる解釈が拡散されているようで、非常に困惑しています〉
それを皮切りに、告発ポストを連投する。
的場が竹本さんに絡んでいるのを俺が止めたこと。そうして今度は俺が絡まれていたのを、暁斗が助けてくれたこと。それなのに、投稿された動画からは俺の存在が綺麗に消されていること――五十嵐に添削してもらった、ていねいかつ冷静な文章でもって、俺はそれらの事実を全世界に発信した。
〈僕の額には、ケガ由来の大きな傷跡があって、普段はメイクで隠しています。それで「傷が隠せたからって調子に乗るな、正義の味方ぶるな」と言われていた僕を、三橋くんがかばってくれました。その際の発言が、動画で撮影されていたものです〉
投稿するたびに、通知を示すベルのマークの横に数字が溜まっていく。五十嵐と夏目がポストを引用して、それを二人のフォロワーがさらに引用して……というふうに、今まさに俺の発言が拡散されているのだとわかった。
――怖い。
反射的に思った。こうやって俺の言葉がどこまでも広がっていくのかと思うと、文字を打つ指がかすかに震える。
罵倒が飛んでくるかもしれない。……いや、それだけでは済まなかったら。竹本さんは身元が特定されたと言っていた。同じ目に遭ったら、と考えただけで心臓がバクバクした。
――だけど、暁斗はもっとひどい言葉を投げつけられてる。
――あることないこと書かれて、逃げ場もなくて。
深く息を吸って、吐く。怖気づいている場合じゃない、と思うと、少しずつ鼓動が落ち着いてきた。
指の震えが収まるのを待って、俺は下書きになかった文章を打ち始めた。ロクに推敲もせずに、【ポストする】をタップする。それはまたたくまにタイムラインの最上部に表示されて、全世界に発信される。
感情をできる限り排した文章にして、公平な視点を持つ第三者の姿勢を崩さないことが肝要だと、五十嵐は言っていた。それもSEOマーケとやらで学んだことなのかもしれない。
だけど俺は、むき出しの俺の言葉も伝えたかった。……五十嵐の言うことは正しいのだと思う。さまざまな感情を燃料にネットの炎上は起こる。火を消す側の人間は、誰よりも冷静であるべきだろう。
それでも、まっすぐで飾らない言葉でなければ、伝わらないものもあるような気がした。
――俺の好きな人が、どれほどいいやつなのか、とか。
心の内でつぶやいて、通知を切ってからアプリを閉じる。動画はこっちでなんとかする、と五十嵐は言っていた。だったらあとは、信じて待つだけだ。
なんだか疲れてしまって、ベッドに寝転び目を閉じる。少し休むだけのつもりが、そのまますぐに眠ってしまった。
――暁斗は、ちゃんと眠れてるかな。
意識を手放す直前に、そんなことを思った気がする。
