「瀬田、ちょっといいか?」
突然教室で話しかけられたのは、次の火曜日。またしても暁斗のいない必修授業が終わったあとのことだった。
顔を上げると、今日は陽気なアロハシャツを着た五十嵐が立っていた。演習じゃなくて必修授業で話しかけてくるなんて珍しい。
「暁斗からの伝言なんだけど、しばらく忙しいから連絡返せないって。ほんとごめんって言ってた」
「あ、そうなんだ……」
暁斗からの連絡は、先週の水曜日――暁斗がバイト先に来てくれた日を最後にぷっつり途絶えていた。その日の夜に『コーヒーありがとう! あわただしくてごめんな』と送られてきて、それきりだ。毎日来ていた他愛のないメッセージも、ずっと来ていない。
どうしたんだろう、と不安にはなったけれど。忙しいんだろうから仕方ない、と自分に言い聞かせた。
そして実際に暁斗は忙しかったわけだけど。それを、目の前の五十嵐に連絡する余裕はあったらしい。その事実に、胸の端っこが針で刺されたみたいにつと痛んだ。
――暁斗は、やっぱり俺が負担だったのかな。俺とはもう、一緒にいたくないのかな。
――でも、暁斗はメイクが好きなんだから、あの時間は楽しかったはず。友達だって言ってくれたし。
――でも、そうやって暁斗の「好き」を利用して、友達だからって甘えていたから呆れられたのかも。
――現に、五十嵐には連絡できたのに俺には何も言ってこないし。
――いや、五十嵐のほうが付き合い長いんだから、そんなの普通だろ。
たくさんの声が頭の中をぐるぐる回る。それは全部自分の内から湧き出た、まぎれもない本音であるはずなのに。どんどん俺を追い詰めて、落ち着かない気持ちにさせてくる。
「あれ、航大が瀬田くんと話してる」
「なんか意外な組み合わせー」
教室を出ようとしていた女子二人組が、五十嵐の肩越しに俺を見た。もろに目が合ってドキッとする。今日もメイクをしてみたけれど、どこか変なところがあったりするんだろうか。
「ずっと言おうと思ってたけど、瀬田くんここ最近めっちゃビジュいいよね」
「ねー、ビフォアフえぐいマジで。前髪切ったの大正解だよー」
緊張する俺にかまわず、女子二人はほがらかに言った。
「びじゅ……? びふぉあふ……?」
どういう意味だろう。俺が首をかしげている間に、
「てかさ、絶対ねらってた女子いるよね」
「それな。今頃、私だけの瀬田くんだったのに気づかれてしまう! って焦ってそう」
と、女子たちは口々に言いながら教室を出て行ってしまう。……女子って嵐みたいだ。言いたいことだけ言ったら、もうこっちの反応なんかおかまいなしでさっさと去って行く。
「五十嵐、びじゅって何?」
とりあえずそう聞くと、「ビジュアルのことー」と背後から声がした。振り向くと、夏目が眠そうにあくびをしながら寄ってくるところだった。
「昼飯食いすぎてねみー……てかあいつら、瀬田への態度露骨に変わっててウケるなー。まあ実際ビジュいいけどさ、最近の瀬田は」
「じゃあさっきのは褒めてもらったって認識でいいの?」
「……そうだけど、瀬田は何も思わないわけ? ちょっと前まで、あいつら瀬田のこと認識すらしてなかったぜー、たぶん」
「まあ、あんなばっちり綺麗にしてる人たちに褒めてもらえたのは照れるけど」
俺の言葉に、夏目はなぜか面食らったような顔をした。けれどすぐに、
「なんつーか、ピュアだなー瀬田は。いいな」
と笑う。その横で、五十嵐はずっと黙ったまま俺を見ていたけれど、
「瀬田、暁斗と仲良かったんだな」
とふいに言った。夏目が驚いたように「え?」と俺と五十嵐を交互に見る。
「暁斗と、瀬田が? なんで、どういうつながり?」
「さあ? 俺もちゃんと聞いてはいないけど、あいつに瀬田への伝言頼まれて。今プラべ用のスマホ使えないらしいんだわ」
「未読無視してんなーって思ってたけど、そういうことだったんかー。もしかしてそろそろ……てかそんなことより、瀬田と暁斗って仲いいの? 本当に?」
タレ目を見開いて、夏目がずいっと迫ってくる。なんなんだいったい、と思いつつ、気圧されるようにして俺はうなずいた。
「へー、そっか……あいつ、やっと俺ら以外の友達できたんだな……」
「お前は暁斗の母親かよ」
しみじみとつぶやく夏目に、五十嵐が苦笑する。そのやりとりに、二人は暁斗と長いつき合いなのかもしれないなと思う。……そりゃそうか。プラべ、つまり私用スマホが使えないことを知っているくらいだから、俺なんかよりよほど近しい関係だ。
そういえば、私用スマホが使えないのに、どうやって五十嵐は暁斗と連絡を取ったんだろう。それに……暁斗は同じ手段で、俺に連絡しようとは思ってくれなかったんだな。
――当然だろ。俺は、暁斗に負担かけてるんだから。
そう思ったら、胸の奥がきゅっと引き絞られるように痛んだ。そんな俺の前で、五十嵐と夏目はのんびり話し続けている。
「航大、ゼミ説明会どうする? 期末終わったらすぐじゃん」
「とりあえず松橋ゼミの回行く。瀬田は決まってんの?」
「あ、俺も同じ……」
答えると、五十嵐は「お、マジで?」と嬉しそうに言った。
「じゃ、説明会一緒に行かね?」
「うん、ぜひ」
「俺は無視かよー、まあ俺は峯田ゼミ希望だからどっちにしろ無理だけど」
「超人気どころじゃねーか。夏目の評定で行けんのか?」
「失礼だなーおい。今期で巻き返してやりますよ」
五十嵐と夏目の会話を聞きながら、俺は身が引き締まるような気持ちになった。
後期に入ったらすぐにゼミの希望調査が行われ、ゼミによっては面接以外に選考課題も出さなければならない。俺が希望する松橋ゼミは、映像作品の批評と考察を学ぶゼミだ。課題は、字数的にも内容的にもヘビーなものが出ると聞いている。
――学生の本分は学業なんだし。暁斗のことで、いつまでもウジウジしてられない。
そう言い聞かせても、胸の痛みはなかなか引いてくれなかった。
突然教室で話しかけられたのは、次の火曜日。またしても暁斗のいない必修授業が終わったあとのことだった。
顔を上げると、今日は陽気なアロハシャツを着た五十嵐が立っていた。演習じゃなくて必修授業で話しかけてくるなんて珍しい。
「暁斗からの伝言なんだけど、しばらく忙しいから連絡返せないって。ほんとごめんって言ってた」
「あ、そうなんだ……」
暁斗からの連絡は、先週の水曜日――暁斗がバイト先に来てくれた日を最後にぷっつり途絶えていた。その日の夜に『コーヒーありがとう! あわただしくてごめんな』と送られてきて、それきりだ。毎日来ていた他愛のないメッセージも、ずっと来ていない。
どうしたんだろう、と不安にはなったけれど。忙しいんだろうから仕方ない、と自分に言い聞かせた。
そして実際に暁斗は忙しかったわけだけど。それを、目の前の五十嵐に連絡する余裕はあったらしい。その事実に、胸の端っこが針で刺されたみたいにつと痛んだ。
――暁斗は、やっぱり俺が負担だったのかな。俺とはもう、一緒にいたくないのかな。
――でも、暁斗はメイクが好きなんだから、あの時間は楽しかったはず。友達だって言ってくれたし。
――でも、そうやって暁斗の「好き」を利用して、友達だからって甘えていたから呆れられたのかも。
――現に、五十嵐には連絡できたのに俺には何も言ってこないし。
――いや、五十嵐のほうが付き合い長いんだから、そんなの普通だろ。
たくさんの声が頭の中をぐるぐる回る。それは全部自分の内から湧き出た、まぎれもない本音であるはずなのに。どんどん俺を追い詰めて、落ち着かない気持ちにさせてくる。
「あれ、航大が瀬田くんと話してる」
「なんか意外な組み合わせー」
教室を出ようとしていた女子二人組が、五十嵐の肩越しに俺を見た。もろに目が合ってドキッとする。今日もメイクをしてみたけれど、どこか変なところがあったりするんだろうか。
「ずっと言おうと思ってたけど、瀬田くんここ最近めっちゃビジュいいよね」
「ねー、ビフォアフえぐいマジで。前髪切ったの大正解だよー」
緊張する俺にかまわず、女子二人はほがらかに言った。
「びじゅ……? びふぉあふ……?」
どういう意味だろう。俺が首をかしげている間に、
「てかさ、絶対ねらってた女子いるよね」
「それな。今頃、私だけの瀬田くんだったのに気づかれてしまう! って焦ってそう」
と、女子たちは口々に言いながら教室を出て行ってしまう。……女子って嵐みたいだ。言いたいことだけ言ったら、もうこっちの反応なんかおかまいなしでさっさと去って行く。
「五十嵐、びじゅって何?」
とりあえずそう聞くと、「ビジュアルのことー」と背後から声がした。振り向くと、夏目が眠そうにあくびをしながら寄ってくるところだった。
「昼飯食いすぎてねみー……てかあいつら、瀬田への態度露骨に変わっててウケるなー。まあ実際ビジュいいけどさ、最近の瀬田は」
「じゃあさっきのは褒めてもらったって認識でいいの?」
「……そうだけど、瀬田は何も思わないわけ? ちょっと前まで、あいつら瀬田のこと認識すらしてなかったぜー、たぶん」
「まあ、あんなばっちり綺麗にしてる人たちに褒めてもらえたのは照れるけど」
俺の言葉に、夏目はなぜか面食らったような顔をした。けれどすぐに、
「なんつーか、ピュアだなー瀬田は。いいな」
と笑う。その横で、五十嵐はずっと黙ったまま俺を見ていたけれど、
「瀬田、暁斗と仲良かったんだな」
とふいに言った。夏目が驚いたように「え?」と俺と五十嵐を交互に見る。
「暁斗と、瀬田が? なんで、どういうつながり?」
「さあ? 俺もちゃんと聞いてはいないけど、あいつに瀬田への伝言頼まれて。今プラべ用のスマホ使えないらしいんだわ」
「未読無視してんなーって思ってたけど、そういうことだったんかー。もしかしてそろそろ……てかそんなことより、瀬田と暁斗って仲いいの? 本当に?」
タレ目を見開いて、夏目がずいっと迫ってくる。なんなんだいったい、と思いつつ、気圧されるようにして俺はうなずいた。
「へー、そっか……あいつ、やっと俺ら以外の友達できたんだな……」
「お前は暁斗の母親かよ」
しみじみとつぶやく夏目に、五十嵐が苦笑する。そのやりとりに、二人は暁斗と長いつき合いなのかもしれないなと思う。……そりゃそうか。プラべ、つまり私用スマホが使えないことを知っているくらいだから、俺なんかよりよほど近しい関係だ。
そういえば、私用スマホが使えないのに、どうやって五十嵐は暁斗と連絡を取ったんだろう。それに……暁斗は同じ手段で、俺に連絡しようとは思ってくれなかったんだな。
――当然だろ。俺は、暁斗に負担かけてるんだから。
そう思ったら、胸の奥がきゅっと引き絞られるように痛んだ。そんな俺の前で、五十嵐と夏目はのんびり話し続けている。
「航大、ゼミ説明会どうする? 期末終わったらすぐじゃん」
「とりあえず松橋ゼミの回行く。瀬田は決まってんの?」
「あ、俺も同じ……」
答えると、五十嵐は「お、マジで?」と嬉しそうに言った。
「じゃ、説明会一緒に行かね?」
「うん、ぜひ」
「俺は無視かよー、まあ俺は峯田ゼミ希望だからどっちにしろ無理だけど」
「超人気どころじゃねーか。夏目の評定で行けんのか?」
「失礼だなーおい。今期で巻き返してやりますよ」
五十嵐と夏目の会話を聞きながら、俺は身が引き締まるような気持ちになった。
後期に入ったらすぐにゼミの希望調査が行われ、ゼミによっては面接以外に選考課題も出さなければならない。俺が希望する松橋ゼミは、映像作品の批評と考察を学ぶゼミだ。課題は、字数的にも内容的にもヘビーなものが出ると聞いている。
――学生の本分は学業なんだし。暁斗のことで、いつまでもウジウジしてられない。
そう言い聞かせても、胸の痛みはなかなか引いてくれなかった。
