正反対の隣人A

昼休みの時間は、一日で一番学生が気楽に過ごせる時間だ。鳴海たちの学校は規則が変わっていて、昼休みであれば外出してもいいことになっている。普段は閉まっている屋上も、この時間だけは施錠が解かれていて、そこで食べる生徒も多い。

そのため、クラスに残る人数は半分以下で、比較的穏やかだ。鳴海と平井はいつも教室でお昼を食べていて、たまに外にも出る。

「お前ってバスケ上手いんだな」

自席で弁当を広げていた平井に、鳴海は唐突に聞く。

「上手いかは分からないけど、カナダでもやってたから」

体育の授業で平井はちょっとした人気者になった。授業内容はバスケットボール。前半は基礎のルール説明とパス練習で、後半は試合だ。男女別に試合をしていたのだが、平井が次々とゴールする姿に、鳴海を含めたクラスメイトが驚いた。平井の運動神経がいいのは以前から体育で知っていたが、球技は向き不向きが出やすい。

バスケ部に引けを取らない、もしかしたらその上のレベルかもしれない平井は、授業後バスケット部から恐ろしいほど勧誘を受けていたが、当の本人は『二年の途中からだし』と断っていた。一年からこの学校にいたら、バスケ部だったのだろうか。鳴海自身は帰宅部なのだが、平井を応援しに試合に行ったりしたら楽しいだろうなと空想を巡らせる。

「あっちでは部活入ってなかったの?」

「入ってないよ。何となくまた転勤するって思ってたし、すぐ辞めちゃうから申し訳ないなって」

「カナダどれくらいいたんだっけ」

「中学からだから四年ちょっとかな」

「親の都合だっけ」

「そうそう。あ、でもこれが最後って言ってたから安心してね」

「安心ってなんだよ」

「なんとなく?」

「はあ?」

平井の親は転勤族で、小さな頃から引っ越しが多かった。カナダへ行った時はまだ小学生で、行きたくなかったが、一人で生きているわけにもいかず、渋々着いて行ったそうだ。

「言葉通じないところって怖いよ」

今思えばだけど、あの頃が人生で一番勉強してたかも。母親が作ったという卵焼きを口にしながら、平井は笑う。鳴海は平井からカナダにいた時の話をたまに聞く。いつも楽しそうで、最後には『また行きたいな』とこぼす。

その度に新しい平井を知れて嬉しい気持ちと、カナダを恋しく思う平井に少しだけモヤモヤしていた。今は楽しくないのかな、と。
 
「カナダに帰りたいって思う?」

鳴海はピーマンの肉詰めを齧りながら平井に聞く。口から出た言葉に"あっ"と思ったけど、その言葉を訂正する前に平井の耳に届いてしまった。うーん、と唸る姿を見て、しまったと思った。帰りたいって返されたらどうしようと思う自分に驚く。

いやいや、どうしようってなんだよ。平井が帰ってまた一人の学校生活が来る。元の生活に戻る。それだけのことだ。なのに、人は一度味わった甘い蜜を奪われると、それを取り返そうと必死になる。考えただけで気持ちが落ち込む。

人はそれを寂しいと呼ぶのだが、鳴海の心は正しい言葉で表現できなかった。霧がかかったように、ただぼんやりと嫌な気持ちを漂わせる。

「帰りたいとかはないかな。こっちのほうが楽だし」

「やっぱり母国語が一番だよな」

「そうそう。あと今の方が楽しいよ」

潤くんがいるから。

平井は何事もないかのように言い放つと、タコさんウィンナーをパクッと口に入れる。もぐもぐと食べる姿を見る限り、自分が今、結構衝撃的な発言をしたことに気がついていないようだった。

よくもまあ、そんな歯が浮きそうな発言ができることだと思ったが、これは外国の人特有のストレートに褒めるってやつなのか? 日本人にはハードルが高すぎるそれを、いともやってのける。こういう時に鳴海は平井が外国育ちだったことを思い出す。

「そう」

「うん」

喋りながらも食べる手を止めない平井は、今度はレタスをムシャムシャと食べている。ウサギみたいだと思いながら、鳴海もゴボウのきんぴらに手を伸ばす。

「潤くんがいるから」

その言葉は鳴海の気持ちをふわふわと持ち上げ、どこかに飛ばしそうになる。心なしか心拍数は上昇していて、室内はクーラーがついているのに暑くなってきた。じわじわと体温が上がる感覚。これは心が嬉しいと喜んでいる証拠だ。しかし、鳴海は俗にいうツンデレで、素直に言葉に出せない。そのことを昔から森蔭に揶揄われている。

「お前俺のこと好き過ぎじゃん」

「うん、好きだよ。友達はみんな好き。」

最後の言葉が妙に引っかかった。みんな、とは。クラスメイト全員って意味なのだろうか。この一ヶ月で平井はクラスに馴染んだ。それこそ鳴海の時のように最初は人見知りを発揮するものの、喋れば意外と普通に話してくれるし、いい奴、という共通認識になった。

平井にとって鳴海は他の奴よりも特別だという自信があった。学校案内したのも、教科書を見せたのも、友達になったのも、全部鳴海が最初だ。そんな自分と他の奴らが同じだとは。鳴海は何故かムカついてる自分に気付いた。

「みんなねえ」

「そうだよ。みんな。友達。」

「俺がお前の一番最初の友達なのに、他のやつと一緒なの?」

不安そうというか、怒ってるというか。妬いてるみたいな。鳴海の見たことのない顔に平井の心臓がドクンと波打つ。綺麗な顔の眉間に皺が寄っている。なあ、と頬杖をついてこちらを見る姿は、さながら少女漫画に出てくるモテ男のそれだ。イケメンに見つめられるというのは、少々居心地が悪く視線を逸らしてしまう。

「そりゃあ、学校案内してくれたのも、一緒にお昼食べたのも潤くんが最初ではあるけど…」

「あるけど?」

「だから、その、潤くんは…」

「潤くんは?」

相手の顔が見れなくて、平井の視線はふらふらと彷徨う。どうしよう、何か言わないと。

「潤くんは…」

「…フッ、で、潤くんは?」

鳴海が漏らした笑い声に視線を上げる。何だよ、と笑う鳴海に平井は揶揄われていると気付いた。

「潤くんは意地悪だ」

平井は鳴海のお弁当から残っていたピーマンの肉詰めを奪うと、そのままパクッと口に入れる。

「あ!お前!最後の1個だったんだぞ!」

「潤くんが意地悪するから悪い」

「そう、潤は好きな子に意地悪する典型的なタイプだよ」

登場した後ろから聞こえてきた声に二人して驚く。誰だと思って振り返ると森蔭が立っていた。

「ビッ…クリした。お前外で食ってくるんじゃなかったのかよ」

「財布忘れてさあ」

「ごめんごめん」と財布を見せる。

「ところで明日香、俺の話聞いてた?」

急に振られて反応が遅れる。

「ごめん、何だった?」

「潤は幼稚園の時から好きな子に意地悪するって話」

「マジで今すぐ静かにしろ」

鳴海がパンチをお見舞いするも、ヒョイっと避けられる。もう少し二人に絡もうと思ったが、森蔭は携帯を見てヤバっと呟く。

「二人の時間を邪魔するつもりはないから安心して。マジで財布取りにきただけだから、そんな怖い顔すんなよ」

「明日香も驚かせてごめんね。じゃあまた〜」と一人で完結させて、さっさと外に行ってしまった。

「マジでびっくりしたな」

「ホラーだったね」

「ホラーだった」

少しの沈黙。それを破ったのは鳴海だった。

「つうか、マジで英語ペラペラなのは羨ましいわ」

「え?急に何?」

「ほら、次英語だろ。ALTの先生と話すの苦手なんだよ、緊張するし」

二人は森蔭の言葉を聞かなかったことにした。平井は問い詰めて何か明確なことを言われたら、それしか考えられなくなってしまうと思ったし、鳴海は平井に何か聞かれたら困ると思った。体育前に言われた森蔭の言葉も相まって、平井への気持ちがよく分からなくなっていた。それとなく話題を変えたまま会話は続く。

「そりゃ生まれも育ちもあっちだから」

「でも日本語もペラペラだ、ずるい」

鳴海はムッと口を尖らせる。いつもはクールで何でも出来そうな雰囲気(実際手先が器用だからなんでも平均以上にできる)の鳴海が、たまに見せる年相応の部分を平井は可愛いと思っていた。大人っぽい見た目だから最初は緊張したけど、やっぱり同い年なんだな。

「それは親が日本人で、家では日本語だったから」

「明日香!俺が英語できるようになるために、英語で話しかけて」

「いいけど潤くん絶対すぐ飽きると思うよ」

変わらず過ごす昼休み。だけど、いつもよりちょっとだけ相手のことが気になるふたりの昼休み。