痴話喧嘩に巻き込まれるって、こういうことを言うのかもな。森蔭は少し他人事のように、二人のやり取りを眺めていた。

「待っててもらったのにごめん。今日は一人で帰る」

そう言って、平井は荷物をまとめると早歩きで教室から出ていってしまった。

残された二人の間には、重たい空気と沈黙が漂っていた。

鳴海は自分のことで精一杯で、森蔭の存在なんて目に入っていないだろう。そう思った森蔭は、口を開く。

「お前さ、無自覚に明日香のこと囲ってんの、気付いてない?」

『何が?』と返されて、森蔭は思わず笑いそうになる。
こんなに態度に出てるのに、自分の気持ちに気付いてないってか。

無自覚でいる分、タチが悪い。鳴海がその調子では、平井も森蔭も、ただとばっちりを食っただけだ。

「お前は、明日香が誰かのものになるのが嫌なんだよ」

それはもう、森蔭にとっては“ほぼ答え”なのだが、鳴海はまだ頭を捻っている。
どうしたものかと思っていると、今度は鳴海がぽつりと口を開いた。

「さっき俺、明日香に彼女ができるって思ったとき、“おめでとう”って言えるかなって考えた」

“言えるかな”って思って、なんか、胸が苦しくなった。

なるほど。そう思うと同時に、森蔭は鳴海の感情が、どこか別の方向にすり替えられていることに気付いた。

明確な言葉を知らないから、無理やり別の場所に落ち着かせてる。そんな感じだった。

森蔭は驚いていた。こんなにも鳴海って、恋愛に対して初歩的だったか?と。

確かに、森蔭の知る限り鳴海は誰とも付き合ったことがない。

「告白なんてしょっちゅうされるんだし、取り敢えず付き合ってみたら?」

そんなことを、森蔭はかつて鳴海に言ったことがある。そのときの返事を、森蔭は今でもはっきり覚えている。

「ちゃんと“好き”とか“特別”って思える相手じゃないと嫌なんだよ」

──女子が俺に告白してくるなんて、大体“顔が好き”ってだけだし。

鳴海はそう言って、どこか寂しそうに笑っていた。

容姿端麗であるということは、まず外見的な好みをクリアするということだ。でも中身までちゃんと見てくれるかどうかは、結局人それぞれ。

努力して手に入れた成果でさえ、「顔がいいから」と嘲笑されたり、「顔がいいなら中身なんてどうでもいい」なんて言われることもある。

森蔭はずっと近くで、鳴海が良くも悪くも“顔”によって態度を変えられてきた様子を見てきた。だからこそ今、鳴海のささやかな心境の変化に誰よりも早く気付いている。

「ちなみに、その心は?」

「寂しいなって思った」

「寂しい?」

「そう。明日香に彼女ができたら、昼一緒にご飯食べられなくなったり、帰れなくなったりするのかなって思うと、寂しい」

――やっぱりズレてるんだよなあ。

森蔭は、幼馴染の少女漫画みたいな恋愛観に思わず失笑した。

あの日のお前の返事を思い出してくれ、幼馴染よ。
“誰かに取られるのが寂しい”って思うくらいには、もう平井は“特別”な存在なんだってことを。

さっきまではなんとか気付かせてやろうと思っていたが、ここまで来たらもう、自分で気付かせるのがいい。
初恋ってやつは、だいたいそんなふうにして苦労するもんだ。