鳴海が出て行くと、教室の空気がふわっと緩んだ。クラスメイトたちは、抑えていた感情が一気に溢れ出すように、あれやこれやと口々に話し出した。さっきまでの張り詰めた空気はどこへやら、といった感じだ。 

「アイツ、南の前で明日香と帰るとか言う?」

「ありえね〜振る気満々じゃん」

「星羅ちゃんより平井くんってこと?」

クラスメイトたちが鳴海にあらぬ誤解を生みそうになっていたので、森蔭は助け舟を出す。

「アイツ最近、明日香と喧嘩して仲直りしたの。だから今は明日香と一緒に過ごしたいとか、そういうのだと思うよ」
 
お前たち変な誤解するなよ、と釘を刺す。

「確かに仲直り後って喧嘩前より仲良くなるよね」

「まだ南を振るって決まったわけじゃない」 

「そもそも告白かも分かんないよな」

森蔭の言葉を聞いて、それぞれ納得してくれたようだった。

潤、一つ貸しだぞ、と森蔭は思っているし、平井は森蔭の人望の厚さに感動していた。鳴海に変な意図はきっとないだろう。そう思うと、森蔭の言う通り喧嘩後だから自分に優しくしてくれているんだと思えば納得できた。さすが鳴海をよく知っているだけある。

けれど、平井はさっきの空気に取り残されたまま喋れなくなってしまったようだった。

朝からずっと感じていた違和感は解決したはずなのに。さっきの言動は何なのか。鳴海の考えてることがわからない。ただただそれだけだった。

あのタイミングで自分と帰ると言う意味とは? もし告白がうまくいっても自分と帰るって変じゃない? と、なれば「振るよ」って言ってるようなものだから、さすがにデリカシーなさすぎじゃない? 頭がパンクしそうだ。

帰り支度をしていたのに帰れなくなってしまった平井は、鞄を枕にして顔を埋める。目を閉じると、教室のざわめきが遠のいていき、瞼がくっつきそうになる。平井は右に顔を向けた。

鳴海の席を見ると、そこにいたのは森蔭だった。森蔭が自分を呼ぶ。むくりと顔を上げて見つめると、森蔭はよっこいしょと鳴海の席に座る。窓際寒いな〜と軽く身震いをする。

「潤、南に告白されるだろうね」

「俺もそう思う」

「でもアイツは南を振る」

そうして明日香と帰る。森蔭は当たり前のように言ってのけた。

「なんでそう思うの?」

「なんでって、俺の知ってる潤ならそうすると思うから」

鳴海と森蔭は幼馴染で仲がいい。きっと喋らなくてもお互いが分かるというやつだ。それなら平井は森蔭のことも分からないなと思った。

「耀太の言ってること、なんかよく分かんなくて……混乱してる」

「本当に分からない?」

森蔭は平井の言葉を聞くと、『うわ、マジか。ふたりって本当似てる』とボソボソと呟く。平井が怪訝そうにすると、『二人って似てるなって思っただけ』と教えてくれた。

「潤は気付くまでが遅いだけで、気付いちゃえばそこに向かって走るだけのやつだよ。ただゴールに向かってひたすら」

平井は森蔭の真意がわからず、首を傾げた。 

「どういうこと?」

「つまり、アイツは自分の気持ちに気付いたから南を振るってこと」

自分の気持ち。鳴海の気持ち。南のことは好きじゃないから振る。ということは、他の誰かを好きってこと?

「潤くん、好きな人がいるの?」

「さあ?それはどうだろう。俺は潤じゃないから分かんないよ」

気になることがあるなら、直接本人に聞けば? 一緒に帰るんだろ?

そう言って、森蔭は帰っていった。

ひとり、またひとりと教室からいなくなり、片手に収まるほどの人数になった。 

静かな教室は、外の音がよく聞こえる。校内放送の音。運動部の声。吹奏楽部の音。

遠くから聞こえる音楽を聞きながら、鳴海の言葉、そして森蔭の言葉の意味を考えた。

南の前で平井と一緒に帰ると宣言したこと。昨日の今日でこんなことになるなんて。

それに鳴海は、鳴海の“気持ち”とやらに気づいたらしい。昨日の平井の言葉を受けて気付いた気持ちなら、なんと言われるかなんて簡単に想像がつく。

頭では理解していても、実際に鳴海の口から、鳴海の声で言葉として届けられたら、いつもの自分を保てる自信がない。

平井はまた昨日のことを悔やんだ。鳴海の言葉に浮かれて、そして傷ついて、思わず口にしてしまった。あんなことを言われても、鳴海を困らせるだけだったのに。

鳴海が帰ってきて、なんと言われるかと思うと怖い。断頭台で待っているようで、お腹が痛くなってきた。

「早く家に帰りたいな」

空は少しずつ暗くなり、冬の夜空が広がりはじめていた。

昨日は見られなかった金星が紺色の空に浮かんでいるのに、平井は気づかないままだった。