「その……昨日のことなんだけどさ」

平井が先に口を開いた。

「強く言っちゃって、ごめんね」

「俺のほうこそ、ごめん。なんか、お前が告白されてるって聞いたらムカついちゃってさ」

鳴海も素直に謝る。それは嘘じゃない。あのとき抱いた気持ちは、まぎれもない本音だった。

「やっぱり、僕がモテるのがムカつくってこと?」

平井はイタズラっぽく笑いながら聞いてくる。

「違うってば」

鳴海は慌てて首を振った。

「明日香に彼女ができるんだって思ったらさ…寂しくなったんだよ、多分」

平井の心臓が、一瞬で跳ねた。ドクン、と音がして、それが耳の奥で反響する。潤くん、もしかして。そんな淡い期待が、胸の奥からこみ上げてくる。

「だってさ、昼とか彼女と食うようになるじゃん。もう一緒に帰れなくなるのかなとか…。それって、寂しいじゃん?」

鳴海の言葉に、体から熱が引いていくのを平井は感じた。

なんだ、そういうことか。
──結局、都合のいい奴がいなくなるのが困るだけか。

誰かに取られるのが嫌なだけの、ただの独占欲なら、せめて、それに夢を見たかった。

けれどその直後、心の奥にあった期待が音を立てて崩れる。自分は鳴海にとって、それだけの存在なんだと知って、胸の内が重く沈んでいった。

鳴海は平井の顔を見て、言葉の選び方を間違えたと気づいた。さっきまではいつもの明日香だったのに、今は視線を落とし、目を合わせてくれない。

「違う、そういう意味じゃなくて……寂しいって、そう思うけど、それだけじゃないんだ」

言葉にしようとするたびに、何かが喉元で詰まる。今、伝えなければ―。そう思っても、気持ちはうまく言語化できない。

明日香に彼女ができて、幸せになるならそれでいい。自分と過ごす時間が減っても、友達だから仕方ない。…仕方ないはずなのに。

─なんで、あんなにイライラしたんだ?

あの女は明日香の何を知って、「好き」なんて言ってるんだ?俺の方が、明日香のことを知ってるのに。考え始めると止まらなかった。

「潤くんはさ、たまたま僕が隣の席になったから、構ってくれてるだけなんだよね」

「は? 何言ってんだよ、そんなわけないじゃん」

「都合よく仲良くしてくれる子なんて、僕以外にもいるよ」

鳴海の頭は真っ白になった。何言ってるんだ、明日香は。どうしてそんなこと、思うんだよ。今日の平井は、なんか変だ。…いや、俺もか。

「あのね、潤くん」

平井は、いつものように鳴海の名前を呼んだ。

「男と付き合うってこと、どう思う?」

「……え?」

「彼女じゃなくて、もし俺が、男と付き合うことになったら。潤くん、それでも同じように寂しいって思ってくれる?」

男と、付き合う。
鳴海の頭の中に、知らない男と並んで歩く明日香の姿が浮かぶ。それも、明日香にとって特別な相手として。

「別に、変じゃないと思うけど……俺は、男と付き合うとか考えたことないかも」

上手く想像ができなかった。いや、想像したくなかっただけなのかもしれない。昨日、明日香が女子と一緒にいたと聞いたときよりも、胸がズキリと痛む。この感情は、なんなんだ。嫉妬? 怒り? 悲しみ?鳴海には分からなかった。

「ごめんね、変なこと言って。今日は昨日のことを謝りたくて来たんだ。…話せてよかった。もう仲直りしたから、明日からは普通に話そうね。じゃあね」

平井はそれだけ言うと、逃げるように屋上を後にしようとした。

「おい、待てよ」 

「…やっぱり今日も、ひとりで帰る。潤くんも、早く帰りなよ」

「待てってば!」

鳴海は、扉に手をかけた平井の腕を強く掴む。

「お前は…男と、付き合えるのか?」

ああ、言わなきゃよかった。平井の頭はその言葉でいっぱいになる。でも、一度口に出た言葉はもう戻せない。

「好きになったら、男でも女でも、付き合えるよ」

鳴海は何か"正しい"言葉を探しているようだった。平井は、自分のセクシュアリティを恥じたことはない。隠すつもりもなかった。けれど、それを受け入れてくれる人が少ないのも分かっていた。

特に、潤くんみたいに優しくて真っ直ぐな人ほど。

「俺はね、潤くんが誰かと付き合ったら…寂しいよ」

男でも、女子でも関係ない。伊達メガネの奥の目が、わずかに揺れていた。

「でもさ、俺の“寂しい”と、潤くんの“寂しい”は、きっと意味が違う」

それは、ほとんど告白だった。いつからこんな気持ちを持っていたのか、自分でも分からない。けれど、こうして伝えるつもりはなかった。できれば一生、伝えるつもりなんてなかったのに。 

「……腕、離して」

明日から普通に話そう、なんて言ったくせに。明日はもう、きっと上手く話せない。もしかしたら、これが最後の会話かもしれない、そう思った。

好きになって、ごめんね。潤くん。

平井は鳴海の手を振りほどき、教室へと戻る。鳴海は、それを追ってこなかった。戻りながら、平井は小さく笑った。この期に及んで、鳴海が追いかけてくれるかもしれないなんて、少しでも期待してた自分が滑稽で。

窓の外では、雪が降り始めていた。この冬、初めての雪だった。