チキン南蛮弁当と唐揚げ弁当を持って、急いで雄大の家向かったが、着いた時にはもう17時ぐらいになっていた。
この時間なら昼ごはんというよりも夜ごはんだろう。
インターホンを鳴らすと、すぐに雄大がガチャっと玄関のドアを開けた。
「お邪魔しまーす。はい、これ」
靴を脱いで、雄大に買ってきた弁当を手渡す。
「ありがと」
「もう、ちゃんと食ってから書けって。そのうち倒れるぞ」
俺は雄大に小言を言ったが、当の本人は弁当の匂いを嗅ぎながらペタペタと部屋に向かって歩いていって全く聞いていない。
「おーい、雄大くーん。俺の話聞いてますかー?」
雄大に話しかけながら、部屋に入ったときだった。
ピンポーン。
部屋にインターホンの音が響いた。
「はーい?」
雄大が弁当を持ったまま、玄関に戻ってきて、ドアを開ける。
「あの、こんにちは。小林です、隣に住んでる」
「あぁ、小林さん。どうしたんすか?」
玄関口に立っていたのは隣の部屋に住んでいるという、小林という男子大学生だった。
「あの!お湯、出ますか?」
「お湯?」
「はい。さっき、帰ってきてシャワー浴びようと思って、風呂に入ったんですけど、全然お湯が出なくて」
バスケ部っぽいジャージを着た小林くんは、部活帰りだったのか玄関で額の汗をタオルで拭いている。
「ん?それ、給湯器のあの、あれ。えーっと、お湯のボタンの押し忘れとかじゃ……」
「ないんですって。何回もいろんなところ見たんですけど、お湯が出なくって!」
雄大よりも大きな身体をしているくせに、泣きそうな声を出す小林くんは、あたふたと大きな手ぶりで説明している。
「それで、水瀬さんのところはお湯、出ますか?」
「あー、ちょっと待ってもらえますか。あれだったら、部屋入っててください」
普段そこまで社交的じゃないくせに、部屋の一大事だからか、雄大がいつもより誰かに優しくしている。
玄関に入った小林くんは、俺にぺこりと頭を下げて「ほんと遊んでる時にすみません」と言って大きな身体を小さくすくめた。
雄大が風呂場のドアを開ける音がして、ジャーっと雄大がシャワーの水を出す。
「あのー、小林さん?お湯のスイッチ、どうなってます?」
「お湯のところのランプ、光ってますよ!……どうですか?」
「あー。お湯、出ないです」
さっきの小林くんと同じ、絶望感と焦りが混じった雄大の声が風呂場から聞こえてきた。
「えっ?水瀬さんもですか!?やっぱり昨日の地震でなんか調子悪くなったんですかね」
「とりあえず……小林さんも僕も、大家さんに連絡するしかないですよね……」
「そうですね……」
「これ……すぐ直りますよね」
「……たぶん?」
「…………」
2人の会話する声が徐々にどんよりとしていった。
それから小林さんは、雄大と大家さんへの相談の話を少しして、「ありがとうございました」と言って帰っていった。
「あさひー」
「うんー?」
部屋から玄関の方へ顔を出すと、雄大が手のひらで顔を包み、顔全体を下に引っ張っている。
「ぷっ。なにその顔」
「絶望の顔。なんで朝陽笑ってんの」
さっきまで心配していたけど、雄大の顔がどうしても笑わせようとしているようにしか見えなくて、吹き出して笑ってしまった。
「あぁー。大家さんに連絡するとかめんどくさい。無理すぎる。それにさ、このお弁当を食べたらもう食べ物は家にないから、なんとかしないとじゃん……」
小林くんと話していた、さっきまで雄大はどこかへ行ったのかと思うぐらい、部屋の入り口で寝そべってうなだれている。
「ご飯は俺が作ってやるし、風呂は、まぁ……直るまで俺んとこで入るか?」
「あぁ!!」
「うわ、なに!」
急に何かを閃いたのか、雄大は大きな声を出して飛び起きた。
「今日は銭湯!いこ!」
「銭湯!?」
「そ、銭湯!明日は朝陽のところでお世話になる」
「え!なんで銭湯!?今日も俺のとこで入ればいいじゃん」
銭湯にいくこと自体は良いが、雄大の裸を見るのも、雄大に裸を見られるのも、なんとなく恥ずかしい。
「おねがい!……風呂上がりのフルーツ牛乳とアイスを味わいたい。できれば夜風と」
正座に座り直して、パンっと手を合わせてお願いしているが、盛大に欲望を盛り込む姿に思わず笑ってしまう。
「もう、それは欲張りすぎる。それにこの時期、夜風って言ってもまだ暑いだろ」
「でも行きたい。自分の家の風呂に入れないと思うと急に」
はぁ、とため息をつきながら、のそのそと動く雄大が机の前に座り、チキン南蛮弁当を開けて、急に食べ始めた。
「朝陽は銭湯行ってから弁当食うー?」
勝手に銭湯に行く話を進める雄大が尋ねてくる。
「俺、銭湯行って、お前ん家戻ってくんの?」
「え?うん」
「なんで勝手に決定してんだよ。っはは。お前自由すぎだろ」
そんなことない、と言いたそうな顔をした雄大が口いっぱいに食べ物を詰めて首を横に振っている。
「弁当は今食べる。それと、銭湯にいく前に、下着とか取りに帰るからな」
「あー、うん」
「なんでお前がだるそうにしてんだよ」
雄大を甘やかしていたらだめだと思うのに、やはり最終的には甘やかしてしまう。
弁当を食べ終わり、下着とジャージを家に取りに帰るために外に出る。
雄大の家のドアを開くと、太陽が地平線にゆっくりと沈もうとして、辺り一帯をやわらかな暖色のグラデーションに染めていた。
「うわ、夕陽すごくない?ほら!」
雄大が嬉しそうに夕陽を指さしている。
俺は、下がる気配のない気温と、眩しいくらいの夕陽に雄大とは反対に「あっつ……」という言葉とともに、目を細める。
自転車を漕ぎ始めると、俺の前を走る雄大の透き通るような金色の髪は夕日と風を浴びて、いつもよりきらめいていた。
部屋を出た瞬間は、ムッとする暑さに嫌気が差したが、自転車に乗る雄大を見て、ほんのちょっとだけこんな日も悪くないかと思った。
自分のアパートから下着とジャージをさっと取って、しばらく夕焼けの空の中で自転車を漕ぐと、出入り口に暖簾がかかった銭湯に到着した。
昭和40年代から創業しているというこの銭湯は、瓦の屋根に、屋号が入った煙突……と外観だけでもかなり年季が入っている。
中に入ると、お風呂から上がったばかりのお爺さんたちがテレビに映っているプロ野球中継を見ながら、コーヒー牛乳を飲んで喋っていたり、小学生くらいの兄弟が父親にアイスクリームを食べたいとお願いしていた。
「男性2名ね。はい、じゃあ、合わせて900円ね」
「あ、はい。雄大、先に払っとくな」
「ん。ありがと」
番台でうちわを仰いでいるおばちゃんに2人分の入浴代金を渡す。
「ゆっくり浸かっておいでね」
番台のおばちゃんに促されて男と書かれた暖簾をくぐろうとすると、ソファーに座った幼稚園生ぐらいの男の子と目が合った。
風呂上がりなのか、頬がほんのりピンク色になった男の子は、お父さんの横で美味しそうにアイスクリームを食べている。
「おにいちゃん!そとのおふろ、ゆうやけ、めっちゃきれいだったよっ」
男の子はアイスクリームを食べながらソファーから乗り出し、露天風呂の感想を教えてくれた。
元々、この銭湯には広くはないものの露天風呂がある。
しかも、源泉掛け流しだとかで、茶褐色に濁った温泉に入ることができることで有名だ。
「えっ、あぁ、そうなんだ。ありがとう!」
「うん!中にだーれもいないよ!泳げるよ」
男の子はアイスを傾けながら、バタバタと足を動かしている。
「あははっ。ありがとう」
返事を返すと、隣にいたお父さんが「すみません、急に」とペコリと頭を下げた。
「バイバーイ!おにいちゃん、またねー」
男の子はアイスクリームを持つ手と反対の手で、ニコッと笑ってバイバイと大きく手を振っていた。
「バイバイ、ありがとう。楽しみに入ってくるよ」
俺も男の子に手を振った。
雄大も隣にいると思って、振り返ると雄大はもう脱衣所に行ったらしく、隣にいなかった。
(うわ、あいつ、はや)
雄大の行動の速さに驚きながら、暖簾をくぐろうとした瞬間、男の子が言った「中に誰もいない」の一言を思い出して、頭の中を一気に占領した。
(銭湯の中、俺と雄大の2人だけってことだよな。……俺、大丈夫かな)
銭湯だし、誰か入っていれば、変な意識をしてしまうことはないだろうと思っていた。
だけど、銭湯とはいえ、雄大と裸で2人きりの空間は色々大丈夫なのだろうかと急に不安になってきた。
(変な反応はしない。絶対。……そもそも俺は、雄大の裸なんか直視するわけ訳ないし、できる訳ない。そうなると、どこ見てるのが正解なんだ……?それよりも、俺も雄大に見られるなら鍛えとくべきだったよなぁ。……んぇ?俺、自分の裸を好きな人に見られるかもしれないってこと?やばくない?うわ、うわ、どうしよ)
「あさひー、まだぁー?僕もう入るよー?」
1人で暖簾の前で悶々としていたら、先に脱衣所に入った雄大の声が聞こえてきた。
「待って、お、俺もすぐに入る!!」
急いで、雄大の後を追って暖簾をくぐる。
ガラガラ。
雄大が俺の返事を聞かずに、銭湯の中に入っていく音がした。
(やばい、これ、雄大が湯ぶねに入ってたら、俺の裸だけ晒すことになるじゃん)
タオルで隠そうかとか、変に持って入らない方がいいのかとか考えていたのに、急いで服を脱いで、服を畳もせずにロッカーに入れて、鍵をしてから銭湯の中に入った。
(雄大、どこ!!)
銭湯の中には、3つ横並びに繋がっているようで、微妙に繋がっていない湯船がある。
どの湯船を見ても雄大は浸かっていない。
(あれ? あ、シャワーしてる……)
雄大は、ふんふんーと鼻歌を歌いながら俯いて、シャンプーで頭をモコモコにしていた。
(良かった。俺もさっと洗おう)
雄大から少し離れた場所に座って、雄大の様子を伺いながら出来るだけ早く頭も身体も洗う。
「あさひー、洗い終わったら露天風呂の方行こーよ」
さっきまで近くで身体を洗っていたはずの雄大の声が背中の方から聞こえてくる。
振り返ると、雄大が湯船に浸かりながら、俺の背中に話しかけていた。
(はやっ。いつの間に洗い終わってんだよ)
「わかった、わかった。すぐ洗うから待って!」
「早くーゆでだこになるー」
鏡越しに見える雄大は、誰もいないことを良いことに、腕組みした腕を湯船の端に出して、腕に顎を乗せながら大きな身体を湯船にぷかぷかと浮かべている。
バシャバシャと脚を動かす雄大の引き締まった背中に、きれいな曲線を描いた尻、そこから滑らかに繋がる長い脚に見惚れてしまう。
(ほんっとに心臓に悪い、あいつ……)
「まだー?」
「うるさいっ」
(あー、この心臓の音は湯の温度が熱いせいだと思いたい)
そう思いながら、鏡が曇ってきても曇らせたままにした。
身体を洗ってすぐ、露天風呂に向かう。
雄大は俺を待ちきれずに先に露天風呂に浸かっていたから、後ろからそっと湯船に浸かった。
湯に浸かってから改めて辺りを見回すと、夕焼けに染まった露天風呂は、茶褐色の湯と夕焼けのオレンジ色が混ざって、不思議な空間に思えた。
それに、茶褐色に濁った湯は、身体を隠してくれるから、さっきよりも心が安らぐ。
「はぁぁ。気持ち良い。 熱いけど、夏の銭湯も良いな」
俺は、ため息のような声を漏らしながら、雄大に話しかける。
湯の温度も、夏の暑さも全てが熱くて、隣に浸かる雄大の頬はポッと赤く染まっていた。
「朝陽ってさ、腰あたりに傷があるんだね」
「はぁ!?え、なんで」
「え、さっき洗ってるときに見た」
確かに腰あたりに幼少期についた10cmぐらいの傷がある。
外で木に登って遊んでいたときに、落ちて、太い木の枝でざくりと切ってしまったのだ。
「見たって、うわ、はっず」
「なんで?朝陽の背中、僕と違ってきれいだなーって思ったけど」
雄大の言葉に湯に浸かっているはずの身体よりも顔が熱くなってきた。
「なんか、スラーってしてるのに、貧弱じゃないというか。なんだろ、骨格なのかなーって観察してた」
「は、えぁ。や、やめろって。そんなことないから」
変な反応をしないって、服を脱ぐ前に誓っていたのに、思いっきり変な反応になる。
「雄大の方がかっこいい体型じゃん……」
「そお?僕さ、ちょっとだけ筋トレしてるからさ」
雄大が「ほら、触ってみて、かたいから」と言って、肩と腕の筋肉を自慢してくる。
「ほ、んとだな」
そっと触れた雄大の筋肉は、吸い付くような弾力がある。
「あ、腹筋と背筋もいい感じだから、ついでに見て!」
何も考えてなさそうな声色をした雄大が、俺の手を掴んで、湯船の中に引きづりこむ。
(うわぁ!)
「ほら、どう?腹筋と背筋ついてきて良い感じでしょ」
濁って見えない湯の中で、裸の雄大の腹と背中に触れる。
目視できない分、手の感触が敏感になる。
とろみのある湯のせいか、肌を直に触るよりも、すべすべして、筋肉の隆起がよく手に伝わってくる。
(これ、俺、やばいことしてないか……)
裸の雄大の身体を撫でているこの状況がだんだん怖くなってくる。
「あはははは。朝陽、くすぐったいっ」
「あ、ごめん」
露天風呂に雄大の笑い声が響く。
「朝陽の触り方が優しすぎて、逆にくすぐったい!」
「ごめんっ、そんな変なつもりじゃ……」
「こんな感じだった」
「う、うわぁぁ」
雄大の両手がそわそわっと、俺の腹と腰を撫でる。
「や、やめっ。あははっ。やめろって」
ぬるぬるとした手が悪意を持って、腹をくすぐってくる。
「お前、絶対、あはは、わざとくすぐってるだろっ。んっ、ははっ。俺、絶対そんなんじゃない」
「10倍にしてみてる」
「10倍て……、何で10倍にしてんだよ。あはは、ギブギブ」
やっとくすぐるのを止めた雄大は、ふぅと一息ついてから、俺をじっと見つめてきた。
「思ったんだけどさ」
「うん?」
雄大の視線に耐えきれずに、手でチャプチャプと揺らした湯船へ視線を向ける。
「男同士ってさ、いつでも一緒にいれるし、銭湯だって一緒に入れるし、意外と良いのかもしれないよね」
心臓が大きくドクンと鳴った。
言葉の真意は、雄大自身の気持ちなのか、小説家としてBLを扱ってみての感想なのか読み取れない。
「良いなって。日常の中にこういう特別があるのって」
「うん……たしかに、そだな」
それは、俺だって思う。
ノンケの雄大に片想いしている俺にとっては、特別なデートができなくても、夕陽を浴びながら自転車を漕ぐ姿や、俺の隣で美味しそうに弁当を頬張っている姿を見れているだけでも幸せを感じる。
いくら俺がそう感じて、雄大に一生懸命気持ちを伝えたとしても、きっと成就しないだろう。
だから、好きだと言って、友達も好きな人も同時に失ってしまうのなら、ずっと友達のままがいいと思っている。
「……だからさ、男同士で付き合うってこういうことだったりすんのかなって」
「え?」
予想もしなかった言葉が聞こえてきて、思わず聞き返した。
雄大の身体の感触といい、雄大の言葉といい、熱い湯と気温との相乗効果でのぼせてしまいそうだ。
「なんか、BLを書き始めてみると、僕って恋愛小説書いてた割に凝り固まった恋愛観だったんだなーって、考え直すことが増えてさ」
「そ、れは、男女の恋愛だと王道の展開を好む人が多いからじゃ……」
バク、バク、と期待と不安が入り混じった心臓の音が大きくなってくる。
「僕が言いたいのは! 僕たちってさ、付き合ってるみたいだよねってこと」
現実によく似た都合の良い夢でも見ているのだろうか。
雄大に好きだと言っても、雄大を失わずにすむのだろうか。
そんなことを考えているうちに、先に口を開いていた。
「ゆ、雄大はさ……俺と……付き合える……の?」
ずっと湯船にむけていた視線を恐る恐る雄大へ移した。
「あ、あさひ!!!」
視線を動かした瞬間、雄大の焦った顔と大声が聞こえてきて、目の前がぐにゃりと揺らいで、暗転した。
目を開くと、俺は雄大のアパートの天井が見えた。
(あれ?これ、雄大のベッド?銭湯は……)
どうやら俺は雄大のベッドの上で寝転がっているようだ。
あんなに都合の良い展開なんて、やっぱり雄大と一緒に銭湯に行ったことすら夢だったのかもしれない。
寝返りを打つと、雄大がベッドにもたれながら、カタカタとタブレットで文章を打ち込んでいた。
(雄大だ……いい匂い)
雄大から香る柔軟剤か何かの匂いに安心して、雄大に触れたくなる。
ゴソゴソと布団の中を移動して、雄大の背中に頭をくっつけた。
「あさひ!!目、覚めた?」
俺が触れた瞬間に雄大の身体がビクっと大きく跳ねて、雄大が勢いよく振り向いた。
「あ……ごめん。邪魔した……」
「そんなのどうでもいいよ。大丈夫?吐き気とかない?」
いつもダラダラと甘えてくる雄大が、緊張した声で次々と質問してくる。
「大丈夫……だけど」
「記憶はある?どこまで覚えてる?銭湯で倒れたの覚えてる?」
「えぇ!? 俺、倒れたの?」
銭湯に行ったのは、やはり夢じゃなかったらしい。
「倒れた!露天風呂に入ってるときに! もう……めっちゃ心配した……良かった」
雄大の目には涙がみるみるうちに溜まってくる。
それを雄大は流れないように必死に堪えていた。
「それはごめん」
「僕が無理させたなって思って。話すことに必死になって、朝陽の変化に気づいてなかった。ごめん」
眉間に皺を寄せて話す雄大を見て、大事になったことは察しがついた。
「いや、俺もずっと湯船に浸かってたのが悪かったし……」
「倒れた朝陽を運んで、冷まして……」
「はっ?ちょっと待って!俺を運んで、冷まして!?」
よくよく考えれば、裸で湯に浸かっていたのに、今は服を着てベッドに寝転がっていられるのは誰かに助けてもらった以外に理由はない。
(いやいや、待て待て。俺は雄大にどこまでしてもらったんだ……)
考えるだけでも恐ろしい。
焦ってぐちゃぐちゃにロッカーに入れた服も、のぼせた身体も全部見られたのかと思うと、まともに雄大の顔が見れない。
「雄大が運んでくれた、んだよな?」
「そう。湯船から引きづり上げて、抱っこして外に出して、身体拭いて、服着せて……僕、服着ないまま外に出ちゃったもん」
「あぁー。もう大丈夫!ありがと、ほんっとうにありがとう」
雄大が丁寧に説明してくれるから、雄大に全裸で介抱されている状況が鮮明に脳内に浮かんで恥ずかしさで死にそうだ。
それなのに、雄大が涙を浮かべて、良かったを連呼している様子を見て、急に泣きたくなった。
「っ、ありがとな、雄大」
「朝陽がなんで泣いてんのさ」
「わかんない。もらい泣き?」
露天風呂での話を改めて聞く勇気はなかったけれど、普段、人の面倒どころか、自分の面倒を見るのでさえ、邪魔くさそうにする雄大の銭湯での行動を聞いて、それなりに大切にされているのかなと、内心喜んでしまった。
俺が目を覚ました後も、雄大は執筆するようだった。
時計を見ると23時を回っていて、ロングスリーパーである雄大にしては珍しく目が冴えてるようだ。
雄大は机をベッドの方に引き寄せて、ベッドを背もたれにしながらタブレットで文字を打ち込んでいた。
時折、首や肩をぐるぐる回して、俺の体に頭を乗せる。
「雄大、寝ないの?」
頑張りすぎないかと心配になって、雄大のベッドでウトウトしながら、話しかける。
「うん。もうちょっと書きたい」
「俺、ソファーで寝るよ」
「ううん。朝陽はそのままベッドで寝てて」
「いいの?」
「良い。むしろ、ベッドで寝てて欲しい。部屋、真っ暗にはできないけど……」
「ふふっ。いいよ、ありがとな。……なぁ、雄大が書いてるとこ眺めてていい?」
「んー?いいよ。けどかっこいいとこ見せるとか、見栄えするとかないよ?」
「うん。いい。……雄大はいつもかっこいいよ」
明るさを落とした照明の中、カタカタと雄大が文章を打ち込む後ろ姿をベッドに寝転がりながら眺める。
リズムよく打ち込まれる音と雄大の布団の匂いは、幸せだなぁ、と思う気持ちと俺の眠気を強くした。
この時間なら昼ごはんというよりも夜ごはんだろう。
インターホンを鳴らすと、すぐに雄大がガチャっと玄関のドアを開けた。
「お邪魔しまーす。はい、これ」
靴を脱いで、雄大に買ってきた弁当を手渡す。
「ありがと」
「もう、ちゃんと食ってから書けって。そのうち倒れるぞ」
俺は雄大に小言を言ったが、当の本人は弁当の匂いを嗅ぎながらペタペタと部屋に向かって歩いていって全く聞いていない。
「おーい、雄大くーん。俺の話聞いてますかー?」
雄大に話しかけながら、部屋に入ったときだった。
ピンポーン。
部屋にインターホンの音が響いた。
「はーい?」
雄大が弁当を持ったまま、玄関に戻ってきて、ドアを開ける。
「あの、こんにちは。小林です、隣に住んでる」
「あぁ、小林さん。どうしたんすか?」
玄関口に立っていたのは隣の部屋に住んでいるという、小林という男子大学生だった。
「あの!お湯、出ますか?」
「お湯?」
「はい。さっき、帰ってきてシャワー浴びようと思って、風呂に入ったんですけど、全然お湯が出なくて」
バスケ部っぽいジャージを着た小林くんは、部活帰りだったのか玄関で額の汗をタオルで拭いている。
「ん?それ、給湯器のあの、あれ。えーっと、お湯のボタンの押し忘れとかじゃ……」
「ないんですって。何回もいろんなところ見たんですけど、お湯が出なくって!」
雄大よりも大きな身体をしているくせに、泣きそうな声を出す小林くんは、あたふたと大きな手ぶりで説明している。
「それで、水瀬さんのところはお湯、出ますか?」
「あー、ちょっと待ってもらえますか。あれだったら、部屋入っててください」
普段そこまで社交的じゃないくせに、部屋の一大事だからか、雄大がいつもより誰かに優しくしている。
玄関に入った小林くんは、俺にぺこりと頭を下げて「ほんと遊んでる時にすみません」と言って大きな身体を小さくすくめた。
雄大が風呂場のドアを開ける音がして、ジャーっと雄大がシャワーの水を出す。
「あのー、小林さん?お湯のスイッチ、どうなってます?」
「お湯のところのランプ、光ってますよ!……どうですか?」
「あー。お湯、出ないです」
さっきの小林くんと同じ、絶望感と焦りが混じった雄大の声が風呂場から聞こえてきた。
「えっ?水瀬さんもですか!?やっぱり昨日の地震でなんか調子悪くなったんですかね」
「とりあえず……小林さんも僕も、大家さんに連絡するしかないですよね……」
「そうですね……」
「これ……すぐ直りますよね」
「……たぶん?」
「…………」
2人の会話する声が徐々にどんよりとしていった。
それから小林さんは、雄大と大家さんへの相談の話を少しして、「ありがとうございました」と言って帰っていった。
「あさひー」
「うんー?」
部屋から玄関の方へ顔を出すと、雄大が手のひらで顔を包み、顔全体を下に引っ張っている。
「ぷっ。なにその顔」
「絶望の顔。なんで朝陽笑ってんの」
さっきまで心配していたけど、雄大の顔がどうしても笑わせようとしているようにしか見えなくて、吹き出して笑ってしまった。
「あぁー。大家さんに連絡するとかめんどくさい。無理すぎる。それにさ、このお弁当を食べたらもう食べ物は家にないから、なんとかしないとじゃん……」
小林くんと話していた、さっきまで雄大はどこかへ行ったのかと思うぐらい、部屋の入り口で寝そべってうなだれている。
「ご飯は俺が作ってやるし、風呂は、まぁ……直るまで俺んとこで入るか?」
「あぁ!!」
「うわ、なに!」
急に何かを閃いたのか、雄大は大きな声を出して飛び起きた。
「今日は銭湯!いこ!」
「銭湯!?」
「そ、銭湯!明日は朝陽のところでお世話になる」
「え!なんで銭湯!?今日も俺のとこで入ればいいじゃん」
銭湯にいくこと自体は良いが、雄大の裸を見るのも、雄大に裸を見られるのも、なんとなく恥ずかしい。
「おねがい!……風呂上がりのフルーツ牛乳とアイスを味わいたい。できれば夜風と」
正座に座り直して、パンっと手を合わせてお願いしているが、盛大に欲望を盛り込む姿に思わず笑ってしまう。
「もう、それは欲張りすぎる。それにこの時期、夜風って言ってもまだ暑いだろ」
「でも行きたい。自分の家の風呂に入れないと思うと急に」
はぁ、とため息をつきながら、のそのそと動く雄大が机の前に座り、チキン南蛮弁当を開けて、急に食べ始めた。
「朝陽は銭湯行ってから弁当食うー?」
勝手に銭湯に行く話を進める雄大が尋ねてくる。
「俺、銭湯行って、お前ん家戻ってくんの?」
「え?うん」
「なんで勝手に決定してんだよ。っはは。お前自由すぎだろ」
そんなことない、と言いたそうな顔をした雄大が口いっぱいに食べ物を詰めて首を横に振っている。
「弁当は今食べる。それと、銭湯にいく前に、下着とか取りに帰るからな」
「あー、うん」
「なんでお前がだるそうにしてんだよ」
雄大を甘やかしていたらだめだと思うのに、やはり最終的には甘やかしてしまう。
弁当を食べ終わり、下着とジャージを家に取りに帰るために外に出る。
雄大の家のドアを開くと、太陽が地平線にゆっくりと沈もうとして、辺り一帯をやわらかな暖色のグラデーションに染めていた。
「うわ、夕陽すごくない?ほら!」
雄大が嬉しそうに夕陽を指さしている。
俺は、下がる気配のない気温と、眩しいくらいの夕陽に雄大とは反対に「あっつ……」という言葉とともに、目を細める。
自転車を漕ぎ始めると、俺の前を走る雄大の透き通るような金色の髪は夕日と風を浴びて、いつもよりきらめいていた。
部屋を出た瞬間は、ムッとする暑さに嫌気が差したが、自転車に乗る雄大を見て、ほんのちょっとだけこんな日も悪くないかと思った。
自分のアパートから下着とジャージをさっと取って、しばらく夕焼けの空の中で自転車を漕ぐと、出入り口に暖簾がかかった銭湯に到着した。
昭和40年代から創業しているというこの銭湯は、瓦の屋根に、屋号が入った煙突……と外観だけでもかなり年季が入っている。
中に入ると、お風呂から上がったばかりのお爺さんたちがテレビに映っているプロ野球中継を見ながら、コーヒー牛乳を飲んで喋っていたり、小学生くらいの兄弟が父親にアイスクリームを食べたいとお願いしていた。
「男性2名ね。はい、じゃあ、合わせて900円ね」
「あ、はい。雄大、先に払っとくな」
「ん。ありがと」
番台でうちわを仰いでいるおばちゃんに2人分の入浴代金を渡す。
「ゆっくり浸かっておいでね」
番台のおばちゃんに促されて男と書かれた暖簾をくぐろうとすると、ソファーに座った幼稚園生ぐらいの男の子と目が合った。
風呂上がりなのか、頬がほんのりピンク色になった男の子は、お父さんの横で美味しそうにアイスクリームを食べている。
「おにいちゃん!そとのおふろ、ゆうやけ、めっちゃきれいだったよっ」
男の子はアイスクリームを食べながらソファーから乗り出し、露天風呂の感想を教えてくれた。
元々、この銭湯には広くはないものの露天風呂がある。
しかも、源泉掛け流しだとかで、茶褐色に濁った温泉に入ることができることで有名だ。
「えっ、あぁ、そうなんだ。ありがとう!」
「うん!中にだーれもいないよ!泳げるよ」
男の子はアイスを傾けながら、バタバタと足を動かしている。
「あははっ。ありがとう」
返事を返すと、隣にいたお父さんが「すみません、急に」とペコリと頭を下げた。
「バイバーイ!おにいちゃん、またねー」
男の子はアイスクリームを持つ手と反対の手で、ニコッと笑ってバイバイと大きく手を振っていた。
「バイバイ、ありがとう。楽しみに入ってくるよ」
俺も男の子に手を振った。
雄大も隣にいると思って、振り返ると雄大はもう脱衣所に行ったらしく、隣にいなかった。
(うわ、あいつ、はや)
雄大の行動の速さに驚きながら、暖簾をくぐろうとした瞬間、男の子が言った「中に誰もいない」の一言を思い出して、頭の中を一気に占領した。
(銭湯の中、俺と雄大の2人だけってことだよな。……俺、大丈夫かな)
銭湯だし、誰か入っていれば、変な意識をしてしまうことはないだろうと思っていた。
だけど、銭湯とはいえ、雄大と裸で2人きりの空間は色々大丈夫なのだろうかと急に不安になってきた。
(変な反応はしない。絶対。……そもそも俺は、雄大の裸なんか直視するわけ訳ないし、できる訳ない。そうなると、どこ見てるのが正解なんだ……?それよりも、俺も雄大に見られるなら鍛えとくべきだったよなぁ。……んぇ?俺、自分の裸を好きな人に見られるかもしれないってこと?やばくない?うわ、うわ、どうしよ)
「あさひー、まだぁー?僕もう入るよー?」
1人で暖簾の前で悶々としていたら、先に脱衣所に入った雄大の声が聞こえてきた。
「待って、お、俺もすぐに入る!!」
急いで、雄大の後を追って暖簾をくぐる。
ガラガラ。
雄大が俺の返事を聞かずに、銭湯の中に入っていく音がした。
(やばい、これ、雄大が湯ぶねに入ってたら、俺の裸だけ晒すことになるじゃん)
タオルで隠そうかとか、変に持って入らない方がいいのかとか考えていたのに、急いで服を脱いで、服を畳もせずにロッカーに入れて、鍵をしてから銭湯の中に入った。
(雄大、どこ!!)
銭湯の中には、3つ横並びに繋がっているようで、微妙に繋がっていない湯船がある。
どの湯船を見ても雄大は浸かっていない。
(あれ? あ、シャワーしてる……)
雄大は、ふんふんーと鼻歌を歌いながら俯いて、シャンプーで頭をモコモコにしていた。
(良かった。俺もさっと洗おう)
雄大から少し離れた場所に座って、雄大の様子を伺いながら出来るだけ早く頭も身体も洗う。
「あさひー、洗い終わったら露天風呂の方行こーよ」
さっきまで近くで身体を洗っていたはずの雄大の声が背中の方から聞こえてくる。
振り返ると、雄大が湯船に浸かりながら、俺の背中に話しかけていた。
(はやっ。いつの間に洗い終わってんだよ)
「わかった、わかった。すぐ洗うから待って!」
「早くーゆでだこになるー」
鏡越しに見える雄大は、誰もいないことを良いことに、腕組みした腕を湯船の端に出して、腕に顎を乗せながら大きな身体を湯船にぷかぷかと浮かべている。
バシャバシャと脚を動かす雄大の引き締まった背中に、きれいな曲線を描いた尻、そこから滑らかに繋がる長い脚に見惚れてしまう。
(ほんっとに心臓に悪い、あいつ……)
「まだー?」
「うるさいっ」
(あー、この心臓の音は湯の温度が熱いせいだと思いたい)
そう思いながら、鏡が曇ってきても曇らせたままにした。
身体を洗ってすぐ、露天風呂に向かう。
雄大は俺を待ちきれずに先に露天風呂に浸かっていたから、後ろからそっと湯船に浸かった。
湯に浸かってから改めて辺りを見回すと、夕焼けに染まった露天風呂は、茶褐色の湯と夕焼けのオレンジ色が混ざって、不思議な空間に思えた。
それに、茶褐色に濁った湯は、身体を隠してくれるから、さっきよりも心が安らぐ。
「はぁぁ。気持ち良い。 熱いけど、夏の銭湯も良いな」
俺は、ため息のような声を漏らしながら、雄大に話しかける。
湯の温度も、夏の暑さも全てが熱くて、隣に浸かる雄大の頬はポッと赤く染まっていた。
「朝陽ってさ、腰あたりに傷があるんだね」
「はぁ!?え、なんで」
「え、さっき洗ってるときに見た」
確かに腰あたりに幼少期についた10cmぐらいの傷がある。
外で木に登って遊んでいたときに、落ちて、太い木の枝でざくりと切ってしまったのだ。
「見たって、うわ、はっず」
「なんで?朝陽の背中、僕と違ってきれいだなーって思ったけど」
雄大の言葉に湯に浸かっているはずの身体よりも顔が熱くなってきた。
「なんか、スラーってしてるのに、貧弱じゃないというか。なんだろ、骨格なのかなーって観察してた」
「は、えぁ。や、やめろって。そんなことないから」
変な反応をしないって、服を脱ぐ前に誓っていたのに、思いっきり変な反応になる。
「雄大の方がかっこいい体型じゃん……」
「そお?僕さ、ちょっとだけ筋トレしてるからさ」
雄大が「ほら、触ってみて、かたいから」と言って、肩と腕の筋肉を自慢してくる。
「ほ、んとだな」
そっと触れた雄大の筋肉は、吸い付くような弾力がある。
「あ、腹筋と背筋もいい感じだから、ついでに見て!」
何も考えてなさそうな声色をした雄大が、俺の手を掴んで、湯船の中に引きづりこむ。
(うわぁ!)
「ほら、どう?腹筋と背筋ついてきて良い感じでしょ」
濁って見えない湯の中で、裸の雄大の腹と背中に触れる。
目視できない分、手の感触が敏感になる。
とろみのある湯のせいか、肌を直に触るよりも、すべすべして、筋肉の隆起がよく手に伝わってくる。
(これ、俺、やばいことしてないか……)
裸の雄大の身体を撫でているこの状況がだんだん怖くなってくる。
「あはははは。朝陽、くすぐったいっ」
「あ、ごめん」
露天風呂に雄大の笑い声が響く。
「朝陽の触り方が優しすぎて、逆にくすぐったい!」
「ごめんっ、そんな変なつもりじゃ……」
「こんな感じだった」
「う、うわぁぁ」
雄大の両手がそわそわっと、俺の腹と腰を撫でる。
「や、やめっ。あははっ。やめろって」
ぬるぬるとした手が悪意を持って、腹をくすぐってくる。
「お前、絶対、あはは、わざとくすぐってるだろっ。んっ、ははっ。俺、絶対そんなんじゃない」
「10倍にしてみてる」
「10倍て……、何で10倍にしてんだよ。あはは、ギブギブ」
やっとくすぐるのを止めた雄大は、ふぅと一息ついてから、俺をじっと見つめてきた。
「思ったんだけどさ」
「うん?」
雄大の視線に耐えきれずに、手でチャプチャプと揺らした湯船へ視線を向ける。
「男同士ってさ、いつでも一緒にいれるし、銭湯だって一緒に入れるし、意外と良いのかもしれないよね」
心臓が大きくドクンと鳴った。
言葉の真意は、雄大自身の気持ちなのか、小説家としてBLを扱ってみての感想なのか読み取れない。
「良いなって。日常の中にこういう特別があるのって」
「うん……たしかに、そだな」
それは、俺だって思う。
ノンケの雄大に片想いしている俺にとっては、特別なデートができなくても、夕陽を浴びながら自転車を漕ぐ姿や、俺の隣で美味しそうに弁当を頬張っている姿を見れているだけでも幸せを感じる。
いくら俺がそう感じて、雄大に一生懸命気持ちを伝えたとしても、きっと成就しないだろう。
だから、好きだと言って、友達も好きな人も同時に失ってしまうのなら、ずっと友達のままがいいと思っている。
「……だからさ、男同士で付き合うってこういうことだったりすんのかなって」
「え?」
予想もしなかった言葉が聞こえてきて、思わず聞き返した。
雄大の身体の感触といい、雄大の言葉といい、熱い湯と気温との相乗効果でのぼせてしまいそうだ。
「なんか、BLを書き始めてみると、僕って恋愛小説書いてた割に凝り固まった恋愛観だったんだなーって、考え直すことが増えてさ」
「そ、れは、男女の恋愛だと王道の展開を好む人が多いからじゃ……」
バク、バク、と期待と不安が入り混じった心臓の音が大きくなってくる。
「僕が言いたいのは! 僕たちってさ、付き合ってるみたいだよねってこと」
現実によく似た都合の良い夢でも見ているのだろうか。
雄大に好きだと言っても、雄大を失わずにすむのだろうか。
そんなことを考えているうちに、先に口を開いていた。
「ゆ、雄大はさ……俺と……付き合える……の?」
ずっと湯船にむけていた視線を恐る恐る雄大へ移した。
「あ、あさひ!!!」
視線を動かした瞬間、雄大の焦った顔と大声が聞こえてきて、目の前がぐにゃりと揺らいで、暗転した。
目を開くと、俺は雄大のアパートの天井が見えた。
(あれ?これ、雄大のベッド?銭湯は……)
どうやら俺は雄大のベッドの上で寝転がっているようだ。
あんなに都合の良い展開なんて、やっぱり雄大と一緒に銭湯に行ったことすら夢だったのかもしれない。
寝返りを打つと、雄大がベッドにもたれながら、カタカタとタブレットで文章を打ち込んでいた。
(雄大だ……いい匂い)
雄大から香る柔軟剤か何かの匂いに安心して、雄大に触れたくなる。
ゴソゴソと布団の中を移動して、雄大の背中に頭をくっつけた。
「あさひ!!目、覚めた?」
俺が触れた瞬間に雄大の身体がビクっと大きく跳ねて、雄大が勢いよく振り向いた。
「あ……ごめん。邪魔した……」
「そんなのどうでもいいよ。大丈夫?吐き気とかない?」
いつもダラダラと甘えてくる雄大が、緊張した声で次々と質問してくる。
「大丈夫……だけど」
「記憶はある?どこまで覚えてる?銭湯で倒れたの覚えてる?」
「えぇ!? 俺、倒れたの?」
銭湯に行ったのは、やはり夢じゃなかったらしい。
「倒れた!露天風呂に入ってるときに! もう……めっちゃ心配した……良かった」
雄大の目には涙がみるみるうちに溜まってくる。
それを雄大は流れないように必死に堪えていた。
「それはごめん」
「僕が無理させたなって思って。話すことに必死になって、朝陽の変化に気づいてなかった。ごめん」
眉間に皺を寄せて話す雄大を見て、大事になったことは察しがついた。
「いや、俺もずっと湯船に浸かってたのが悪かったし……」
「倒れた朝陽を運んで、冷まして……」
「はっ?ちょっと待って!俺を運んで、冷まして!?」
よくよく考えれば、裸で湯に浸かっていたのに、今は服を着てベッドに寝転がっていられるのは誰かに助けてもらった以外に理由はない。
(いやいや、待て待て。俺は雄大にどこまでしてもらったんだ……)
考えるだけでも恐ろしい。
焦ってぐちゃぐちゃにロッカーに入れた服も、のぼせた身体も全部見られたのかと思うと、まともに雄大の顔が見れない。
「雄大が運んでくれた、んだよな?」
「そう。湯船から引きづり上げて、抱っこして外に出して、身体拭いて、服着せて……僕、服着ないまま外に出ちゃったもん」
「あぁー。もう大丈夫!ありがと、ほんっとうにありがとう」
雄大が丁寧に説明してくれるから、雄大に全裸で介抱されている状況が鮮明に脳内に浮かんで恥ずかしさで死にそうだ。
それなのに、雄大が涙を浮かべて、良かったを連呼している様子を見て、急に泣きたくなった。
「っ、ありがとな、雄大」
「朝陽がなんで泣いてんのさ」
「わかんない。もらい泣き?」
露天風呂での話を改めて聞く勇気はなかったけれど、普段、人の面倒どころか、自分の面倒を見るのでさえ、邪魔くさそうにする雄大の銭湯での行動を聞いて、それなりに大切にされているのかなと、内心喜んでしまった。
俺が目を覚ました後も、雄大は執筆するようだった。
時計を見ると23時を回っていて、ロングスリーパーである雄大にしては珍しく目が冴えてるようだ。
雄大は机をベッドの方に引き寄せて、ベッドを背もたれにしながらタブレットで文字を打ち込んでいた。
時折、首や肩をぐるぐる回して、俺の体に頭を乗せる。
「雄大、寝ないの?」
頑張りすぎないかと心配になって、雄大のベッドでウトウトしながら、話しかける。
「うん。もうちょっと書きたい」
「俺、ソファーで寝るよ」
「ううん。朝陽はそのままベッドで寝てて」
「いいの?」
「良い。むしろ、ベッドで寝てて欲しい。部屋、真っ暗にはできないけど……」
「ふふっ。いいよ、ありがとな。……なぁ、雄大が書いてるとこ眺めてていい?」
「んー?いいよ。けどかっこいいとこ見せるとか、見栄えするとかないよ?」
「うん。いい。……雄大はいつもかっこいいよ」
明るさを落とした照明の中、カタカタと雄大が文章を打ち込む後ろ姿をベッドに寝転がりながら眺める。
リズムよく打ち込まれる音と雄大の布団の匂いは、幸せだなぁ、と思う気持ちと俺の眠気を強くした。



