水族館を早めに切り上げた俺たちは、それぞれ日が暮れるまでに帰宅した。

水族館を出た後すぐに「今日はありがとう」と言って、いつもよりちょっとだけ早いペースで歩く雄大の背中をがんばれと思いながら見送った。

それからの俺は、蝉が鳴く帰り道も、風呂に入るときも、寝る間際までずっとジンベエザメと一緒に撮った雄大との写真を眺めたり、お土産に買ったふわふわのキーホルダーを見ながら水族館での出来事を思い出していた。

想いを伝えることができない臆病な俺にとって、ずっと雄大がBLのキュンを探してくれたらいいのに、と思ってしまうくらい、その日の気分は最高だった。


 水族館に行った日から1週間ほど経ち、夏休みになった。

朝起きてから、だらだらとベッドで転がって小説を読んでいたら、昼ぐらいに雄大から「小説書いたー読む?」と連絡がきた。

(うわっ!書けたんだ!!)

雄大が小説を書くのを辞めると言ってから3週間は投稿サイトでの投稿が止まっていて、水族館まで取材を行ったものの、このまま投稿サイトの日付が7月26日で止まったままになったら嫌だな……と思っていた。

無理にBLを進めたんじゃないかと、内心落ち着かなかったから、雄大からのメッセージを読んで自然と口角が上がった。

(うぅ。今すぐ読みたい……)

だけど、雄大の作品を待つひとりのファンとして、俺の何かしらの反応が雄大の作品に影響するのは許せない。

みんなより先に読みたい気持ちをグッと堪えて、「今すぐ読みたいけど、投稿されたやつを読むよ。楽しみにしてる」と返した。

すると雄大から、「わかった もうちょっとしたら投稿する」とすぐに返事が来ていた。

いつもなら、1週間に1話は投稿していたから、今週何もなければ3週間目になるなぁなんて思っていたから、雄大からの「投稿する」の文字を見て、何度もガッツポーズをした。

 安心と共に、雄大の初めてのBLへの挑戦にそわそわが止まらなくなってきて、気を紛らわせるために近くのショッピングモールにでも行くことにした。

近所のショッピングモールに入ると、行き道にじわじわとかいた汗が冷気に触れて気持ちがいい。

本屋に行ったり、服を見たり、電化製品をぶらぶらと見て歩きながら、雄大が軽く話していた設定を思い出す。

(今回の話は、たしか幼馴染の男子高校生同士って言ってたよな。……高校かぁー、何だかんだ高校までってイベント盛り沢山だよなぁ)

当時は面倒だなって思っていたけど、雄大のことが好きな今となっては強制参加型のイベントが羨ましい。

そんなことを考えて歩いていると、ズボンに入れていたスマホの振動を脚に感じた。

「投稿したよ」

雄大からのメッセージを見て、すぐに近くのフードコートの椅子に座る。

(本当に書けたんだな。良かった……)

すぐに投稿サイトを開くと、今日の日付とともに「恋愛感情はどこからですか」というタイトルの新しい作品が投稿されていた。

しばらくは連載するつもりなのか、完結とか読み切りという印は付いていない。

(へへっ。千葉夕貴(ちば ゆうき)嶋彰人(しま あきと)っていうんだな)

主人公である夕貴は、男子校の中でも背が小さめで、ふわふわとした癖っ毛した、茶色い瞳のかわいい系の男子らしい。

(ははっ。夕貴、かわいいって言われてキレてるじゃん)

夕貴は可愛いと言われることが気に入っていないようで、クラスメイトに可愛いと言われる度に怒っていた。

反対に彰人は、野球部に入っており、高身長で、体格も良く、いわゆるスポーツマンタイプだ。

一重瞼でクールに見られがちな彰人は、見た目に反し、夕貴の世話を焼くのが割と好きなようだった。

家が近所で、歳も同じ。

小学生の頃から友人で、通っている高校まで同じ彼らは、いつも隣に相手がいるのが当たり前になっている。

夕貴は、クラスメイトから肩を組まれるのも嫌がるくせに、彰人には自分から膝の上に乗ったり、膝枕をしてもらって眠ったり、スキンシップを何とも思っていないようだった。

それに、彰人は夕貴の頭によく手を置いて歩いているようだが、夕貴はそれも許していた。

(いいよなぁ……こういう誰かの特別ってやつ)

小説上の設定だと分かっていても羨ましい。

ハッピーエンドだったらいいな、と思いながら画面をスクロールした。

 しばらく読んでいると、修学旅行に行くエピソードが出てきた。

水族館は2泊3日の修学旅行の2日目の行事らしい。

(なんか緊張する……)

俺は、さっき買ったペットボトルの水をごくごくと飲み、一息ついてからスマホの画面にある雄大が書いた物語を読み進める。


『「あ!彰人!魚いる!見て見て!」
水族館に入ると、彰人を入り口付近に展示されている水槽の前に引っ張って行った。
「ん、待って」
「ほら、早く。キラキラして綺麗ー」
キラキラと光を浴びて泳ぐ魚たちを見ながら彰人に話しかける。
彰人は魚を一瞬だけ見ると、夕貴の顔を見て笑う。
「夕貴、お前、ちっさい頃に水族館行ったときから全然変わってねーな」
「えぇ?なんでだよ」
彰人と行ったのは、たしか小学1年生の頃だったと思う。
それから全然変わってないなんて、そんなこと無いはずだ。
「なんか、ワクワクが抑えきれなくて、顔面が無駄にキラキラして発光してた」
「顔は発光しないだろっ」
「してたしてた。ピカーって。そんで、ずっと見て見てーって言って、俺の服を引っ張るから、帰る頃には首元ヨレヨレだったもん。ほんと安心するほど変わってねーな。あはは」
たしかに、彰人の服を伸ばして、母さんに怒られた記憶はある。
「もう。うっさいなあ!!良いじゃん、彰人と来んの楽しんでるってことだったんでしょ」
「ま、それはそだな。今日も楽しもうな」
彰人の大きくてゴツゴツした手に頭を撫でられる。
腹の中に彰人の声が響いて、小学生の頃とは別の感情が引っ張り出される。
「おーい、そこのお二人さん。入ってすぐにいちゃつくなー」
クラスメイトが2人の会話を聞いてからかってくる。
「うっさいなあ、いちゃついてないよ!」
すぐにクラスメイトに言い返した。』


(俺も雄大を小さな水槽のところで呼んでたな。ふふっ)

雄大の書くキャラクターたちが、俺たちの水族館での体験を追体験しているような気になって、恥ずかしいような、くすぐったいような気持ちだ。

さらにスマホをスクロールすると、カワウソの展示ゾーンでの会話が出てきた。



『柔らかい暗さの中を少し進むと、森の水辺のような明るい展示ゾーンが出てきた。
そこでは、カワウソたちが自然の日の光に照らされ、休むことなく動き回っている。
「カワウソ!ちっさい!かわいい!」
夕貴は水の中をスイスイと泳いだり、陸の上で休むカワウソを見て声を上げた。
「見て、彰人。カワウソって水中では鼻の穴閉じれるんだって。すごくない?鼻に水入んないってことだよね」
カワウソの生きてくための進化に驚いた。
「そうだな。多分、鼻を押さえてからずっと息吸ってんだよ」
鼻をつまんだ彰人が、真剣そうな顔で話している。
「え、こうやって?ずっとこうやって息吸ってんの?」
彰人の真似をして、鼻つまんでから、一生懸命息を吸い込み続ける。
「あはは。うそうそ。夕貴、ばか面すぎる」
どうやら彰人の真顔に騙されたらしい。
「はぁ?なんでそんな、しょうもない嘘つくんだよっ」
彰人はスマホを向けて動画を撮ろうとしてくる。
「もう一回やって。帰ってからおばちゃんに見せる」
「嫌だよ!彰人がやればいいじゃん」
「やだ。夕貴と同類って思われる」
「同類だろ」
「同類じゃねえ」
こういう彰人の冗談に騙されたらダメだと思うのに、いつもすぐに騙されてしまう。』

(雄大、カワウソの鼻の話めっちゃ気に入ってるじゃん。ふふ)

夕貴と彰人のやりとりを読んで、自分たちの会話を思い出す。

(雄大は立ってシャワーするときに、いかに鼻に水が入らないようにするかって熱弁してたな)

大学で知り合った俺たちと、小学生の頃からお互いをよく知っている小説の高校生たち。

今回の雄大の作品は、全然俺たちとは違うのに、なんだか近い存在に思えてくる。

(あ、ジンベエザメゾーンきた)

仲の良さを感じさせる2人の会話と、くっつきそうでくっつかない様子を見て甘酸っぱい気持ちになりながら読み進めていると、水族館のメインでもある大きな水槽のエリアに夕貴と彰人がやってきた。


『「あぁ!!ジンベエザメいた!彰人、今ここ通ったの見た?ここの水槽すっご!」
太平洋と書かれた水槽には、その場にいる人たちの視線を奪いながら泳ぐ大きなジンベエザメだけじゃなく、ゆったりと優雅に羽ばたくイトマキエイや、群れになって鱗をきらめかせて泳ぐアジなど様々な魚が泳いでいる。
「見たみた。でっか。これはやばい。夕貴なんか一飲みじゃん」
「彰人も一飲みだよ」
「俺はでかいからギリ耐えれる」
「無理に決まってんだろ」
一瞬、180cmを超えている彰人なら確かに……と思ったが、やはり敵わないだろと思い直した。
「あ、見ろ、エイ近くにいる。夕貴なんかポーズとってみ」
急に言われて急いでエイの位置を確認してポーズを取ろうとしたのに、ポーズを取る前にスマホのシャッター音が鳴った。
「おい!僕、絶対変な顔してたろ」
「ぷっ。ふはは。変な顔。かわいいかわいい」
「うわ、めっちゃ変な顔になってるじゃん!消せって」
「やだよ。俺、お前のこういう瞬間も好きだもん」
「ぐっ…」
彰人の「好きだもん」という言葉だけが、大きくはっきり聞き取れて、ドキッとする。
「急に好きとかいうな!後で消しとけよ!!」
僕も彰人のこの無邪気にくしゃっと笑う笑顔が好きだ。
だから、こうして何だかんだ許してしまう。』


(ははっ。これ、俺が雄大に無茶振りしてたやつ。……たしか、俺が雄大にジンベエザメと3ショット撮りたいって言ったんだよな)

小説を読んでいると、自分たちの水族館での楽しかった記憶が鮮明に思い出されてくる。

俺たちの場合は、スマホをかざす雄大を急かしてシャッターボタンを押させたからか、撮った写真の雄大は必死そうな真顔になっていた。

(ふっ。ん……ふふ)

あの時に撮った写真は何度見返しても面白くて、思い出し笑いをしてしまう。

でも、たしかに俺も、水族館で撮った雄大のちょっと間抜けそうな表情がたまらなく好きだ。

別に俺と雄大がこの作品に置き換えられているとは思わないけど、彰人と同じような感情を雄大が俺に向けてくれたら、どれだけ幸せなのだろうかと、雄大が綴った文章を読みながら、ふと思ってしまう。

(はぁぁぁぁ。この2人みたいになりてえ……拗らせすぎかよ、俺……)

叶わなくて良いと思っているくせに、心のどこかで叶ってほしいとも思ってしまうこのアンバランスな恋心のせいで、男子高校生のわちゃわちゃとした会話を読むと胸が軽く高鳴る反面、ちょっとだけ切なくもなった。